< 凝った敷石と藁葺き屋根の鐘撞堂(京都、北区、鷹峰光悦 著者撮影/NikonD750)>
< 光悦垣 隣家との適当な隔絶感があって美観も良い 紅葉すればさぞかし…(京都、北区、鷹峰光悦 著者撮影/NikonD750)>
今回一番印象が薄かったスポットを一つ挙げるとすればここかもしれない。
日蓮宗の寺ではあるが、元々は徳川家康が1615年に本阿弥光悦にこの地を与え、光悦が縁者をはじめとする職人を集め、工芸の拠点として設営した施設である。本阿弥光悦は刀剣の鑑定などを家業とし、茶道、陶芸等にも秀でた当時の文化人の大家として名を轟かせた人物。
1637年に光悦が亡くなった途端、この工芸職人の拠点が寺になってしまったと言うことは、彼の夢も彼の命とともに空中分解してしまった…ということだろう。あるいは20年強という時間は彼の夢をサステイナブル(持続可能)なものにするには短すぎたのかもしれない。詩仙堂のような邸宅ではないので、凝りに凝った庭園というわけではないし、建物も概ね大正時代に再建されたもの(そんなことしない方が良かったのに)。むしろ見どころとしては光悦垣、凝った敷石など光悦が得意とした工芸がらみのものだろう。日本の住宅街もせめて垣根が鉄の網やコンクリートなどではなく、光悦垣だったら少しマシな景観になるのになぁとは思った。
ここもまた紅葉スポットの一つだ。京都の山近くないしは山奥のスポットは驚いたことにどこも紅葉スポットである。歴代いかに紅葉が(おそらくは春の桜以上に)京都の人たちに親しまれてきたかの証だが、紅葉シーズンの京都は宿も高いし、道路は混む、人はワサワサいるだろうしで、ちょっと頭が痛い。
了