島根県の「自殺→自死」は「障害→障がい」に続く役所主導の言葉狩り?

  by 84oca  Tags :  

10月31日付の読売新聞報道によれば、島根県は同月30日に松江市で開催された県自殺総合対策連絡協議会の場で自殺者の遺族より「自殺」に含まれる「殺」と言う文字の否定的なイメージが「罪人」を想起させるなどの理由で用語の見直しを求められていたことを受けて、2013年度より従来の『自殺対策総合計画』の名称を『自死総合対策計画』に改めると発表しました。合わせて、対策計画の表題だけでなく県の文書規定でも原則として「自殺」を使わず「自死」に書き換える方針も表明されました。「自殺」の使用見直しを求めていた遺族側からは県の決定を歓迎する声が挙がっていますが、一方では過去にも行われて来たこうした役所主導の言い換えの例に漏れず「過剰な言葉狩りではないか」との批判の声も挙がっています。

 

過去には「自決」でも類似の論議があった

過去に行われた類似の論争としては、1945年の沖縄戦においてアメリカ軍に追い詰められた住民が互いの命を絶ち「玉砕」したとされる事件の呼称について今回と類似の議論がありました。当時、アメリカ軍の従軍記者が渡嘉敷島で住民が集団で玉砕して果てた現場に遭遇し、その凄惨な光景を打電した事件が起きるに至った背景に旧日本軍の強制命令が存在したか否かについて現在に至るまで肯定・否定の両面で論争が続いていますが、渡嘉敷島やチビチリガマ(読谷村)の事件から5年後の1950年に沖縄タイムス社より発行された『沖縄戦記 鉄の暴風』で執筆者の1人・太田良博が初めてこの事件について「集団自決」と言う表現を使用して以降はこの呼び方が主流となっています。「自決」の本来の意味は「民族自決」のように「他者の干渉を受けず、自ら決する」の意味で、転じて「他人に命を絶たれるならば、自ら絶つ」の意味が中心になった経緯がありますが、事件の背景に旧日本軍の強制命令が存在したとする立場からは「自らの意思」で死を選択したのではなく強制が背景にあったのだから「自決」でなく「強制死」とすべきである、との意見も出されています。

 

さらに古い言葉では「自害」や、主に切腹に対して用いられる「自刃」、また責任有る立場の人物の場合に用いられる「自裁」など、状況や手段によって「自らの命を絶つ」意味を表す言葉は数多く存在します。英語ではもっぱら”suicide”が使われますが、これはラテン語の”suus”(自分自身の)と”cida”(殺す)が語源になっており、ニュアンスとしては「自殺」が最も”suicide”に近い日本語の表現と言えます。また、かつてサッカーで自陣営にゴールしてしまうオウンゴール(own goal)は「自殺点」と呼ばれていましたが、これは英語のルールブックに書かれた正式名の”own goal”でなく、スラングとして使用されていた”suicide goal”を直訳した表現が日本で広まったものだと言われています。

 

「障害→障がい」に続いて「自殺→自さつ」が出て来る?

島根県が今回の言い換えを決定する以前から「自死」と言う熟語が存在したのに対し、2000年に東京都多摩市が「障害」の「害」が差別的であるとして住民に使用の再考を求められたのを契機に登場し、今では全国の道府県や市町村に拡大している交ぜ書きの「障がい」は政治的な理由から発生した表現の代表格と言えるでしょう。ただし「障がい」の場合は戦前から「障害」と「障碍」の表記が混在し、1945年に当用漢字表が制定された際に「碍」が排除され1956年に国語審議会が「同音の漢字による書きかえ」を公表してダメ押しをする形で公文書上における「碍」の使用を全面的に否定した経緯があるので、問題はより複雑です。2010年の常用漢字表改訂に際しても「ら致」や「破たん」などの交ぜ書きが字種の追加により解消され、また常用漢字に含まれない字を公文書で使用する際は最初に読み仮名を振れば使用可とする方針が再確認されましたが、それでも「碍」の追加要望はことごとく排斥され、文化審議会国語分科会の意思決定として「そんなに『障害』が嫌なら交ぜ書きの『障がい』を使え」と表明するに等しい結果に終わりました。

 

そうした政治的な理由で近年になって登場した「障がい」に対して、使用されている漢字が当用漢字や常用漢字に指定されていたかどうかに関わらず戦後の早い時期から政治的な理由で交ぜ書きが推進されていた代表的な熟語と言えば「子供→子ども」が代表格です。「子供」表記を否定する意見で代表的なものは「『供』は『従者』の意味で前時代的な階級社会の価値観に繋がる」と言うものですが「『コドモ』は奈良時代から存在する単語であり『子共』や『小供』など多種多様な当て字の中で『子供』が残ったに過ぎず、差別的な意味は含まれていない」とする反論もあります。

 

今回、島根県が提唱した「自殺→自死」が不評で広く世間に受け入れられなかった場合、次に地方自治体から出て来る「自殺」の言い換えは「障がい」や「子ども」と同じように、交ぜ書きの「自さつ」かも知れません。

 

画像:自殺総合対策トップページ(島根県)

※11月5日現在、言い換えに関するプレスリリースは出ていません

1975年、兵庫県姫路市生まれ。商工組合事務局勤務を経て2012年よりウェブライター活動を開始。興味のある分野は主にエンターテインメント、アーカイビング、知的財産関係。プライベートでは在野の立場で細々と文学研究を行っている。

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