日本は中国の影響で干支を重んじる。アメリカでは12年周期一回りの考え方はない。そこでアメリカに住む私が12年周期で一回り戻った時を考えると、当時はワールド・トレード・センターのツインタワーのビルは向かい合うように聳え立っていた。
ワールド・トレード・センタービルに対してはちょっと怖いイメージを持っていた。それはスタッテン島というマンハッタンから約25分で到着するフェリーに乗り、スタッテン島からマンハッタンに戻るときに、この双子のワールド・トレード・センターが目に飛び込んでくる迫力のある姿が視界に入るのだが、巨大な墓石に見えたのだ。
あのビルを見ながら、あのビルで働くエリート達には到底想像できないような生活をしているホームレス達はどんな気持ちでこのビルを見上げるのだろうと思ったことを昨日のことのように思い出す。
この双子のビルの近くに世界一の金融街とも言えるウォール街がある。実際のストリートは意外に地味で両側をビルで挟まれていて、仕立てのよいスーツを着た人たちが闊歩するが、ホームレスの人だって勿論居ついている。
ニューヨークは貧富の差が激しい街だが、ここいら一体の格差が一番激しいのではないかと思えるほどだ。
さて、あれから時は流れて2012年の秋を感じる9月に入った。
2001年9月11日にテロリストが飛行機を乗っ取り、ワールド・トレード・センターに突撃して双子のビルは倒壊した。
この街は動きが激しい、流れが激しい。タイムス・スクエアーには徒歩で20分程で行けるのだが、行く必要もないので用事がある以外では通らないが、通ると必ず何かが変わっている。
ワールド・トレード・センター跡に何を建設、建築するかはニュースになっていたが、私が疎かったせいか知らないうちにビルが伸びていき、それがフリーダムタワーと名づけられ、ニューヨーク州で一番高いビルになることを知った。
世界的な建築家の安藤忠雄はワールド・トレード・センター跡地を慰霊の地にすべきだと提唱していた。私はその考え方に流石に世界的な人であることに感心したが、結果的にニューヨークはマンハッタンと言う世田谷区ほどの島の面積のスペースを無駄にしたくないらしく、空に向かってビルの階数を伸ばして建設中である。
テロで亡くなった方々の亡骸の上に、まるで人柱のようにして建設されるフリーダム・タワーを今更反対しても仕方ないが、人の気持ちのわからない、遺族の方々の気持ちを踏みにじるようなビルを建てて、それで経済が潤ったとしてもそれはあまりに空虚な気がする。
松井秀喜選手がヤンキース入団のため、ニューヨークに入り先ずこのワールド・トレード・センター跡に向かったそうだ。そこで慰霊をしたというのだ。跡は大切なのである。そこが跡でなく、もしも既にビルが建っていたとしたら慰霊に向かっただろうか。
フリーダム・タワーは、テロの被害者の魂を踏みにじっているような気がしてならないのだ。その跡地はやはり慰霊の地としてそこに存在する方が、より悲惨なテロ事件を風化させない力になると思うのだ。人の気持ちより、土地の活用を優先するニューヨークは、これでまたエキサイティングだけど冷酷さに拍車をかける街になりゆくのだ。
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