銀幕のスターと言われた女優たちはもう天国に旅立っている。銀幕と言う美しい言葉が流行りし頃はDVDなどもなく、憧れのスターに出会うためには映画館に出かけなくてはならなかった。また、映画館は当時の最大の娯楽であった。
先日、映画館で白黒作品の『ローマの休日』を見た。既にDVDでは見たことがあるが大きなスクリーンでは迫力が違っていた。1953年度のアカデミー賞において新人のオードリー・ヘップバーンが主演女優賞を受賞した出世作だ。当初はエリザベス・テイラーを主役に考えていたが、監督のフランク・キャプラが破格の制作費を要求したため話が流れ、ウイリアム・ワイラーにお鉢が回ってきた。ワイラーは自由に配役することを条件に監督を引き受け、ほぼ無名で痩せすぎで映画向きではないと思われたオードリー・ヘップバーンを主役に抜擢した。そしてスターは誕生した。
1961年に映画化された『ティファニーで朝食を』は原作者のトルーマン・カポーティーは主演をマリリン・モンローにすることを望んでいたが、モンローは娼婦役に難色を示して出演を断った。ローマの休日と同じパターンで第一候補が辞退したことにより繰り上がり当選でヘップバーンはその時も大役を手にした。
ニューヨークで暮らすといろんな場面に遭遇する。
『ティファニーで朝食を』のオードリー・ヘップバーン扮する娼婦のホーリー・ゴライトリーが住んでいたアパートを発見したのだ。これはセットでなく今も実存するアパートなのだ。内部で撮影が行われたかどうかは内部まで足を踏み入れていない私にはわからないが、アパート自体は今も1961年映画化のそのままである。
場所は71丁目の3番街とレキシントン街の北側に位置する。階段も濃い緑のドアも、そのドアに丸い大きなアクセントがあるのもそのままだ。ひっそりとしている。誰かカメラ片手に撮影をしていてもよさそうなものの、今まで一度もその光景にでくわしたことはない。
世界中にこのドアーは映画を通して知られているはずだ。しかし、今現在は何もなかったようにそのドアは街の風景に溶け込んでいる。今から半世紀前はここで撮影が行われ、スタッフがせわしなく動き、見物人をさばくのも大変であったろうに、主役も天国に送った後のアパートは、映画化から半世紀を経てひっそりしている。
オードリー・ヘップバーンは時にこのあたりを彷徨うのだろうか….. 役名のホーリーのごとく精霊は働いてこのあたりに来るのだろうか….
私はメトロポリタン美術館に行く際に、意識してこの道を通る。そしていつもオードリー・ヘップバーンのことを考える。ヘップバーンのスレンダーな姿はなぜか夏に似合う。
このアパートの前を通り過ぎる時、必ず後ろ髪をひかれるように振り返る。そこにはなぜか妖精のような空気を感じるのだ。
画像: from frickr YAHOO!