須磨での日常、源氏と愉快な野郎たち
源氏が須磨に来てあっという間に半年が過ぎました。日増しに秋らしくなり、夜は特に波音が近く聞こえます。何もなくても秋は寂しいのに、海辺での初めての秋は一層、身にしみるものがありました。
「波音が迫ってくるようだ…」源氏は独り目を覚まし、轟く波を聞きました。ただそれだけなのに、涙が溢れ出てきます。そばにあった琴をかき鳴らしてみますが、あまりに哀切な音になるので手を止めて「風は、恋しい方から吹くのだろうか。私の泣き声に混じって波音が聞こえてくる」。
メランコリックな源氏のつぶやきに、惟光らも目を覚まし、こらえきれずもらい泣き。それを見て源氏はハッとします。「ああ、自分だけじゃない。京が恋しいのは皆同じなんだ。でも私のせいで、しなくてもいい思いをさせてしまっている…」。
源氏はとても寂しがり屋です。でも、ここで自分が「京が恋しい、寂しい」と言っては、従者たちを心配させてしまうだけ。家族や恋人を置いて自分と運命をともにしてくれている、彼らの主としての自覚が足りなかったな、と反省したのです。
翌日から源氏は、昼間は冗談を言って笑わせたり、皆でいろいろな色の紙に落書きをしたり。率先して気分をあげようと努力します。源氏って、身分の上下に関係なく、とにかく人に気を使うタイプなんですね。
源氏は出来杉君のようになんでも万能ですが、特に絵が上手。京にいた頃は、話に聞いた海や、山の景色を想像して絵を描いたものでしたが、今は本物の海が目の前にあります。源氏は、リアルで躍動感あふれる絵をたくさん描きました。
源氏のスケッチに惟光たちは感心して、「有名な絵師を呼び寄せて、色をつけさせたらもっと素晴らしいでしょうね」と言い合います。このスケッチ、今は何気なく描きためているだけですが、のちのち源氏の出世に大いに役立つとは、誰も思いもよりません。
5人の従者たちは全員男。まったく女っ気がなく、何から何まで自分たちでやらないとダメな不便な暮らしですが、彼らは幸せでした。いつもぴったり源氏にくっついて、たまに「ああ、なんと殿はお美しい」とうっとりしながら……。
朝早く起きてお経をあげ、日がな一日、絵を描いたり合奏したり。寂しさを紛らわせるべく、源氏の須磨での暮らしは淡々と過ぎていきます。なんだかんだで、この男所帯は結構楽しそうです。
「今日は十五夜…」源氏、宮中でのお月見を思い出す
明るい月の光に、源氏は今夜が中秋の名月であることに気が付きました。「今日は宮中でも音楽の夕べだろう。帝や朧月夜、京の人びとも同じ月を見ているのだろうなあ」。月を眺めていると、過去のことが走馬灯のようによぎります。源氏はこらえきれず声を上げて泣きました。
夜が更けても、源氏は部屋へ入ろうとせず、まだ月を見ています。「月を見ていると心が慰められるな。京の都は月のように遠いけれど…」。そういえば、兄上とゆっくりお話をしたなあ。優しいご様子が、本当に父上によく似ていらした。「帝から賜った衣は今ここにある」。源氏はやっと部屋に入ります。
去年の中秋の名月は清涼殿(宮中で帝が居る御殿)にいたのに、今は配所で帝から下賜された御衣の香りを拝している…というのは、大宰府に左遷された菅原道真の漢詩を引用しています。
源氏もまさに道真の漢詩と同じ境遇。信じられないような運命の暗転に、恋しさと辛さの両方からの涙が溢れます。誰に言うわけでもなく、手元に残った御衣を思い、独りでつぶやいた秋の夜。「惟光たちの前で言うと心配かけるから」というのも手伝い、源氏の独り言がやたらに増えます。現代に彼がいれば、ツイッターをおすすめしたいですねえ。
「今でも思い出した時にメールを出す」そんな女性とすれ違い
トップクラスの政治家が行くと悲惨ですが、中流クラスの人間にとっては、太宰府は栄転の地でした。太宰大弐(だざいのだいに、九州エリアの長官)が上京するため須磨を通り、源氏の琴の音を聞いて挨拶に来たのです。源氏とは旧知の仲で、彼の大弐の息子の出世を後押したこともあり、大弐の家族もみな、源氏の不遇に同情しました。
源氏はこの訪問をことのほか喜びます。「ここに来てからは親しい人たちになかなか会えない。わざわざ訪ねてきてくれて本当にありがとう!」。知人程度の知り合いですが、知っている人に会えて嬉しい!!寂しがり屋の彼が、いかに人に飢えているかがよく分かります。
大弐は大家族で、若い娘たちも大勢いる中、かつて源氏の愛人だった娘もいました。この娘は筑紫の五節(ごせち)という呼ばれ、新嘗祭に舞を披露する”五節の舞姫”を勤めた時、源氏と出会って関係を持ったらしい。というのも、彼女と源氏がいつ出会ったのかが書かれていないため。舞姫に選ばれるだけあり、可愛い女性だったようです。
源氏は時々、彼女のことを思い出しては文を出します。「もう終わってるし会いもしないけど、思い出した時にメールを出す」間柄です。ここでもやり取りが復活し、五節はそんな源氏が気の毒で「家族と別れてここに残りたい」と思うほどでしたが、2人の関係はより戻ることはなく、たまの文通だけが続きます。
「自分も左遷されるかも」太后のひと言で手紙激減
一方、京では源氏ロスが続いていました。帝はもちろん、皇太子は源氏を恋しく思い、人知れず涙をながすことも。源氏が実の父とは知らない皇太子の涙に、秘密を知っている王命婦は動揺を隠せません。宮はただただ心細く、仏様に祈りを捧げて暮らしています。
源氏を慕う人は数多く、特に親しかった人は源氏とマメに文通をしていました。そのやり取りの中から源氏作の漢詩などが評判になり、太后の耳に入ります。「源氏は犯罪者ですよ。本来なら自由などあってはならないはずなのに、風流ぶって政府を批判しているとか。そんな男におもねるとはけしからぬ」。
太后のひと言は効果バツグン。まさに鶴の一声です。(源氏と仲良くしていると、自分も左遷されるかも…)とビビりまくった人びとは、あっという間に文通をやめ、源氏のもとへ届く手紙は激減します。
その頃、二条院では、女房たちが紫の上を絶賛していました。元々源氏付きだった彼女たちは、プライドもあり、最初は年若い紫の上のことをナメていました。が、彼女の美しさや、行き届いた配慮、思いやり深く優しい性格に感動。今ではすっかり敬服し、誰一人辞めることなく、しっかり仕えていました。
下手をすれば末摘花のところのように、有能な女房たちに見限られ、家財も勝手に持ち出されたりして、すっからかんという事態も起こりうるこの状況で、紫の上はしっかり奥さん業をこなしていたのです。よくできた妻…まったく、源氏にはもったいないくらいですね。
「鳥さんの声が聞こえる」源氏の寂しさ、ピークに
紫の上の様子を聞くにつれ、源氏は須磨へ彼女を呼びたくて仕方ない。紫の上の悲しみも時間とともに深まり、お互いにもう離れ離れでいるのが耐えられない。しかし、こんな侘しい海辺の家に、彼女を連れてくるのはかわいそうすぎる。源氏自身、かつては口を利いたこともないような下人とも直に話すような、そんな暮らしなのですから。
友人らとの手紙のやり取りに情熱を注いでいた源氏にとって、手紙がぱったり来なくなったのは大変なダメージでした。忘れられていく寂しさの中、いつの間にか冬になり、雪の日の灰色の空や、冷たい月光も源氏は眠れぬ日々を過ごしました。
明け方に聞こえた鳥の声に「友千鳥 諸声に鳴く暁は 一人寝ざめの床とこも頼もし」。ちいちいと千鳥がなく声が聞こえると、独りじゃないんだなあって思えて、とっても心強いよ。彼、だいぶキてるなあという感じですが、今やもう鳥さんとかお月さまに本音を話すしかないんです。
百人一首「淡路島 かよう千鳥のなく声に 幾夜寝覚めぬ須磨の関守」は、源氏の須磨での暮らしを詠んだ歌と言われています。手紙が届かなくなったし、惟光たちには弱音を吐けない、愛する紫の上も呼び寄せられない。源氏の寂しさはピークに達し、その中で初めての正月を迎えようとしていました。
簡単なあらすじや相関図はこちらのサイトが参考になります。
3分で読む源氏物語 http://genji.choice8989.info/index.html
源氏物語の世界 再編集版 http://www.genji-monogatari.net/
(画像は筆者作成)