筆者が源氏物語を読んだのは中学生の頃、マンガ『あさきゆめみし』を全巻読み終えた時の「えっ?おわり?ここで?」というポカーンとした感じは忘れられません。
マンガなので、もしかしたらどこか割愛しているのかもしれないと思い、確かめようと他の現代語訳をゆるく読み始め、ハマるきっかけになりました(結果、マンガ『あさきゆめみし』はちゃんと描いてあるとわかったのですが)。多くの作家がそれぞれ独自の現代語訳のを読み比べるのは、原作を知りながら二次創作を楽しむのにも似ていました。
源氏物語は、よく恋愛小説と言われますが、今の感覚すれば現代から見ればギャップが多くて、「えーこんなことすんの!?」「こんなの絶対やだ」みたいなツッコミ放題です。そもそも、源氏は浮気ばっかりだし…。正直、現代人でよかった、平安時代の貴族じゃなくて、よかったなと思うシーンもいっぱいあります。
高貴な人しか出てこないはずなのに、だから余計になのか、エグいしゲスい部分も多い。その合間を埋めるかのような、美しい季節の描写や、雅やかなファッション、粋美を凝らした遊びのシーンに心が休まります。
でも、物語全体を俯瞰していくと、誰もが人生で経験するいろんな悩み――恋愛、結婚、離婚、不倫、お金、友情、イジメ、仕事の成功と失敗、裏切り、子どもの問題、病気、死――までがほぼ全て網羅されています。
変わらない人生の悩みと、狭い人間関係の中での気疲れやストレスは、千年後の世界でも十分共感できるものばかりです。そのおかげで、年齢ごとに共感するシーンもかわってきます。
筆者は10代や20代では、やっぱり恋愛のシーンが一番気になりましたが、30代になってからは恋愛を含む、人間関係のストレスに目が行くようになりました。
今までいろいろな源氏物語をダラっと読んできて、いまも続行中の筆者が、登場人物を中心に、共感とギャップへのツッコミを入れながらじわっと紹介していきたいと思います。
偏った愛情が生んだイジメの結果、光源氏誕生
源氏物語がイジメから始まっている、というのは、結構スゴイなと思います。
そこそこの身分で桐壺帝の寵愛を受けてしまった桐壺更衣は、他の妃たちからひどいイジメに遭います。気の弱い彼女はつらい目にあってるとは言い出せません。その分、体調不良で里帰りのお願いばかりするようになります。帝は「可憐な人だ」と、ますます寵愛するようになります。
愛してるっていうか、えこひいきっぽい?すればするほど彼女へのイジメがひどくなるのに、桐壺帝からの配慮は見られません。帝としては「自分が愛したいように愛する、それが愛」というところでしょうか。
悪いことに、桐壺更衣の居所の桐壺は、帝がいる清涼殿からは一番遠くにありました。お召しがあれば、「またあんたなの!!今日も私に声がかからなかったわ!」と思っている他の妃たちが部屋の前をずうっと歩いて行くという苦行。
なにか汚いもの(はっきり汚物、としている現代語訳もある)がバラ撒かれて着物の裾が汚れたり、途中で立ち往生するよう、渡り廊下の戸にカギをかけたり。そういうことがいろいろあったので、桐壺帝は、近く部屋にいた女性を追い出して、桐壺更衣の部屋としました。すぐ会えるようにということですが、逆効果すぎだよ!と言いたいです。
この辺りで、筆者が小学生の頃に流行ったドラマ、『家なき子』を思い出します。とにかくこれでもか!とイジメが起こる中で、”便所味のおにぎり”がインパクト大でしたね。あれと同レベルの(シモネタよりと思われる)イジメが千年前にも。”もののあはれ”とか言ってる身分の人たちの幼稚さにビックリです。
どこからどうみても桐壺帝はやりすぎ。とうとう臣下まで「愛し方が異常」「玄宗皇帝と楊貴妃みたい、国が乱れる」と批判する中、桐壺更衣は美しい男の子を出産します。のちの光源氏(この時点で源氏姓ではないけど面倒なので以下、源氏)の誕生です。
桐壺帝が下した、唯一の英断
残念な愛し方しかできない桐壺帝ですが、彼が唯一下した英断があります。それは源氏を皇太子にしなかったこと。
桐壺帝には既にひとり皇子がおり、母は右大臣の娘の弘徽殿女御(こきでんのにょうご)。権力者の娘なので威張っていてキツイ人で、若い時から桐壺帝に仕えて何人も子どもがいるので、桐壺帝も彼女には頭が上がりません。桐壺帝も彼女と右大臣の顔を立てるために、皇子を大切にはしているのですが、源氏が生まれてからはそっちにベッタリ。
弘徽殿女御からすれば「自分の息子が自動的に皇太子になり、私も私のお父さんも安泰!万々歳!」と思っていたところへ、桐壺更衣があらわれて、桐壺帝の寵愛をさらっていってしまったので、人生計画がぶち壊しで、悔しくてたまらない。おまけに源氏が生まれて、息子の将来まで脅かし始めたので、桐壺更衣と源氏を憎み、イジメます。『家なき子』ならエリカの役ですね。
そんなこんなで、源氏が3歳の時、桐壺更衣は他界。一旦は祖母のもとに引き取られ、6歳になる頃、宮中に帰って来ます。源氏が賢く成長するのを惜しいなと思いつつ「後見人になるような親族もいないし、世間も承知しないだろう」と、皇太子には選びません。さすがの弘徽殿女御もこの決定にはホッとします。
イジメられて死んでいった桐壺更衣もかわいそうですが、弘徽殿女御もある意味ではかわいそうな人で、イジメはカッコ悪いにしろ、面白くなかっただろうなとは思います。この後も、憎い源氏に事あるごとに煮え湯を飲まされる弘徽殿女御。両者の決定的な対立は、源氏を挫折へ導く発端になります。
「かわいいは正義」5歳年上の運命の女性との出会い
桐壺更衣を亡くした帝の悲しみは深く、何を見ても聞いても、彼女のことを思い出して泣く日々。他の妃のところへも行かず、政務も執らず、たまに美しいと評判の女性が連れてこられても興味なし。
帝は「あの人を狂ったように愛したのも、こんなに早く別れが来るからだったのだ。それもこれもきっと前世からの定めだったのだろう」と振り返ります。前世や来世を信じていた平安時代らしい発想とはいえ、「いや、あんたのせいだよ」とツッコミたいところ。
すっかり諦めていた頃、耳寄りな情報が届きます。先帝の第4皇女がとても美しく、しかも桐壺更衣にそっくりらしい。たっての願いで彼女は後宮入りし、藤壺の宮と呼ばれるようになりました。
藤壺の宮は、顔はそっくりでもスペックが段違い。皇女という最高の身分で、見た目も人柄もよく、後ろ盾には兄たちもついている。桐壺更衣をイジメ倒した弘徽殿女御以下の女性たちも、藤壺の宮には手出しが出来ません。
あれほど桐壺更衣、桐壺更衣だった桐壺帝も、藤壺の宮がやって来てからは心が慰められ、次第に活気を取り戻していきます。彼女を忘れたというのではないけど、心が自然と動いていく。時間と人の心の移ろいを感じさせます。
帝は源氏を可愛がるあまり、後宮にいる妃たちに直接会わせます。当時は親兄弟でも基本的に男女が顔を見ることはなく、御簾ごしに会うだけだったので、子どもとはいえ、この対応は異例です。源氏を憎んでいる弘徽殿女御のところにまで連れて行って「この子を憎まないで、かわいがって欲しい」とまで。
鬼の弘徽殿女御も、源氏の可愛さには思わず微笑んでしまいます。弘徽殿女御の生んだ子どもには、皇女もいたのですが、その女の子と比べてもずっと源氏のほうが可愛い、それくらいの可愛さです。まさにかわいいは正義。
オバサンばっかりに対面させられる源氏には、自分より5歳年上の藤壺の宮は若くて綺麗で、胸がときめきます。「お母様の顔は覚えてないけど、この方に似ていたのか」と思うと、慕わしさもひとしおです。
帝も二人を実の親子のように思って可愛がり、周囲の人びとは、美しい藤壺の宮を太陽のように『輝く日の宮』、美少年の源氏は『光る君(きみ)』だと褒めたたえました。天子たる帝の寵愛を得る2人は、まさにこの瞬間、無敵の存在といってもいいでしょう。
愛した人と(自分が原因で)死別するも、今また彼女にそっくりな、若い妻と可愛い息子に囲まれて、幸せな桐壺帝。でも、もし彼が源氏と藤壺の宮と直接会わせていなければ、その後のさらなる不幸がなかったかも…と思うと、この導入部分の面白さがひとしおです。
簡単なあらすじや相関図はこちらのサイトが参考になります。
3分で読む源氏物語 http://genji.choice8989.info/index.html
源氏物語の世界 再編集版 http://www.genji-monogatari.net/
(画像は筆者作成)