この度の安保法案に対して、テレビニュースで、ある長崎の平和運動家が、強い口調で「平和を武力で守るのか!」と怒りを露わにしておられました。
しかし、逆に伺いたい。武力の脅威に対して「武力以外の何で平和を守ろうと言うのですか」と。「話し合いで守ろう」と思っていらっしゃるのでしょうか?
相手が武力侵攻してくるときは、すでに話し合い(外交等)が決裂しているのです。逆にいえば、話し合いではどうにも解決できないとき、相手は武力に訴えてくるものです。
まさか、「白旗を掲げて、降参せよ。」とでもおっしゃりたいのではないでしょう。自分の子や孫を今シリアで起こっているような難民などには絶対させたくないし、まして虐殺されることなど金輪際、容認できません。
戦争がむごいもので、悲惨なもの、いやなものであることは、皆分かっています。また、長崎のように原子爆弾による被爆で苦しんで来られた方々の戦争はしたくないという気持ちもよく分かります。
しかし、降りかかる火の粉は、黙って受け続けるわけにはいきません。したくない戦争も巻き込まれざるを得ないのではありませんか。
そんな戦争が実際には起こらないよう、万が一を考慮して安全保障の体制を強化しておくことは、災害に備えて防災訓練や防災用具の充実を図ることと同じことではないでしょうか。
自然災害と戦争の違いは、相手に意思があるかないかです。自然には、意思がありません。したがって1000年に一度の災害に備えるか、百年に一度に備えるか、あるいはそれ以下で我慢するか、すべてこちら側で決定するしかありません。
しかし、戦争には相手の意思があります。相手の意思を可能な限り封じ込めておくことが平和の維持につながります。そのためには、相手と同等程度かやや上回る戦力を保持しなければなりません。これを抑止力と言います。
戦力のバランスが崩れた時、持てる方は勝ちを意識し、持たざる方は相手の不意の侵攻に疑心暗鬼になります。すなわち平和の維持に対し不安定状態が発生します。
平和の維持とは、そうした不安定な国際情勢を作りださないよう常にバランスを保つ努力を続けなければなりません。それは政府だけの仕事ではなく、平和を守っていく上で、われわれ一般国民の最大の関心事でなければならないと考えます。
観念論や感情論だけでなく、冷静な現状分析のみが平和を保ちうる最善の方法だと考えます。