プロ野球を見続けてきて、はや四半世紀以上が経とうとしている…
これまで、ただ純粋にボールが「速い!」と感じたのは伊良部秀輝、松坂大輔、ダルビッシュ有、大谷翔平‥あたりだろうか。筆者はセ・リーグの野球はあまり熱心でないから、パ・リーグに籍を置いていた投手ばかりになってしまっているのは面目ないが、動画などで確認するかぎりでは江川卓も、たしかに速そうだ。
上に挙げた投手は皆、身長190センチ前後の大男たち。見た目からして凄い球を放りそうな“いかにも”な威圧感がある。しかし、カレの身長は169センチ‥。一般人と変わらないか、むしろスポーツ選手としてはかなり低いくらい。本当に160キロ近いスピードボールを、はたしてこの男は投じていたのだろうか。“速さ”についての話題となると、野球ファンの間でも必ず名が出てくるといってもいい、伝説の剛速球投手…
僕は山口高志を見たことがなかった
有意義な本だった。同僚や実際に対戦したことのある打者の証言を元に、山口高志という投手がいかに偉大であったのかを立証させている。実は僕がそのスピードに対して、いささか懐疑的であったのは身長だけではなく、山口氏が現役時代に残した成績も理由のひとつにあった。
プロ1年目の成績が12勝13敗1S。新人が初年度から二桁勝つのは容易なことではないが、負け数も多い。3年目まで毎年2ケタの敗戦数を記録し、トータル34勝35敗20S。速球派投手として比較される機会も多い江夏豊の1年目の勝敗数と、奇しくもまったく一緒なのであるが、彼は高校出の投手、山口氏は社会人出身の投手だ。‥たとえばこれが22勝の木田勇のように、他を寄せつけぬ圧倒的な数字をあげていたなら、僕もスンナリ理解を示していただろう。
まずこの謎が判明する。理由は「起用法」にあった。現代では考えられない、先発ローテーションに加わりながら、勝敗に直結する抑えも兼務していた。だから負け数だって多くなってしまう。‥もし、体のサイズが氏とほぼ同一である、日ハム・武田久のような「リリーフ専門」でいたならば、あるいはもっと息の長い現役生活を送れていたのかも知れない。それが許されなかったのが当時のプロ野球というか、上田利治率いる阪急ブレーブスの方針でもあったらしく…
ドラフトでの“逸話”もよかった。真っ先に指名できる権利を持っていた近鉄が、なぜ社会人ナンバー1投手と評されていた【松下電器の山口】を指名しなかったのか、僕は前々から疑問に感じていた。彼を獲得できていたならパ・リーグの戦力図はだいぶ違ったものになっていたはず。それなのに、どうして西本監督‥と。本書を通じ、その具体的な理由をようやく知るに至った。
プロ初登板は後楽園球場での日ハム戦。そこで伏兵・加藤俊夫に本塁打を浴びるなどして、敗戦投手となっていた。その加藤をして『とてつもなく速い球だった』と云わせている。後年、同じ後楽園のスピードガンで計測された、貴重な山口氏の球速表示はいかほどであったのか。‥これらはWikipediaにも載っていなかった情報。おもわぬ「副産物」を得た気分だった。
速さやボールの威力については1975年の日本シリーズ、広島の打者として対戦した水谷実雄の回想が、もうすべて集約していると思う。
たいしたもんだ。あのタカシからよう打った。ボールは速かったし、ホップしてくる。あいつは真ん中を目がけて投げてきよった。イン・アウトコースどうのの駆け引きやない。バッターとしては楽なピッチャー。球種もないし、読みやすい。それでも捉えられん。理屈抜きで打てんかった。※【六 最盛期】より
もはやお手上げ状態。アマチュアではない、プロの打者をもってしてもこうなのだ。一体どれほど剛速球を投じていたというのか。この目で投球ぶりを直に見れなかったのが残念でならない。だが、おかげで「真実」を知ることができた。伝説級のストレートを受け継いだとされる、阪神時代の教え子・藤川球児や同学年の251勝右腕・東尾修も、山口氏に対しては心からの賛辞の言葉を贈る。
伝説の剛速球投手、山口高志はたしかに存在していた—