昭和に起こった、とある詐欺事件を克明に追った約20年前のテレビ番組をインターネット上の動画で見た。
そのコメント欄に、事件の経緯をよく理解することなく書き込まれた「だまされた老人の方が悪い」という一方的な発言が散見された。
そのようなコメントを見て感じたのは、「匿名性」の素晴らしさと「だまされた老人の方が悪い」という考え方の素晴らしさだった。
まず第一に、「だまされた方が悪い」という考え方は、「別に相手をだましてもかまわない」という考え方の根拠になる。コメントをした人物が、(意識的にしろ、無意識的にしろ)たくさんの人をだましてきたのだろう、と推察できる。いじめた人間がいじめられた奴が悪いと言うのと同じ論法である。
次に、「だまされた方が悪い」というからには、だまされても文句は言わないのだろう。まさか、自分が騙された場合に限って許せない、という身勝手な理屈をこねたりはしないだろう。当然のことながら、見捨てられても文句は言わない、いや、言えないはずだ。
それから、この詐欺事件は、現物資産である「金」の投資に関わる詐欺(いわゆるペーパー商法)なのだが、どうして投資で詐欺にあった人間だけが、自業自得と非難されないといけないのだろうか?投資でだまされた人間が自業自得だというなら、某化粧品会社の販売した某化粧品で身体的な被害を受けた人間も自業自得だろうし、某サイトで購入した商品がきちんと届かないというのだって自業自得と言えるだろう。なぜ、投資だけを「汚い」という勝手な先入観で眺めていることに気づかないのだろうか?
最後に、行政機関がこのような自己責任発言を監視できたなら、どんなにか素晴らしいだろうと思った。
区役所やら市役所やらに、生活保護だとか保険料の減免だとか申請してくる連中に、「あのとき、あなた自己責任って言ってたでしょ?だから、あなたがどうなろうと知ったことじゃありません」と言って追っ払えるからだ。
「匿名性」を使って非難する人間は、「匿名性」ゆえに自らを保護していることに全くと言っていいほど気が付いていない。
本物の悪と戦う人間の前に、邪魔な石となって進行を妨げているのに気付かないのだ。