本日(9月16日)は、フジテレビの大スポンサーである花王の本社前で、1200人参加(主催者発表)のデモが行われました。こうしたマスコミの偏向報道に対する一連の行動は、8月7日の「お台場おさんぽ」から始まります。
8月7日は、当初デモの予定でした。しかしデモの申請が間に合わず、急きょ「お台場おさんぽ」として、各人がそれぞれお台場に「おさんぽ」に来て、それぞれが一人で何か訴える、という形態に変わったといいます。
そして、その結果2500人(警察発表)もの人が任意で集まり、大規模な散歩につながっていきました。その「おさんぽ」の成功から、全国各地へと偏向報道に対するデモが起きるようになり、今後もデモの計画が続いています。
「お台場おさんぽ」? 何ともやわらかい響きですが、これと同様やわらかい響きながら歴史を変えた事件があります。「ヨーロッパ・ピクニック」です。
誰もが予測しなかった「ベルリンの壁崩壊」、それは、僅か数人の男たちが仕組んだ奇抜な計画から始まった。「ヨーロッパ・ピクニック計画」と名づけられた計画は、旧ハプスブルグ王朝の末裔たちも巻き込んで、ものの見事に成功。奔流のような亡命者の群れは東独政権の根幹を揺るがし、ついには、ベルリンの壁をも突き崩した。
<NHKスペシャル『ヨーロッパ・ピクニック計画~こうしてベルリンの壁は崩壊した~』番組案内より>
ベルリンの壁崩壊は、1989年8月19日の「ヨーロッパ・ピクニック」から始まりました。そして、日本は「お台場おさんぽ」から、戦後66年間続いた戦後タブーからの本格的な解放が始まった、と筆者は感じています。
東日本大震災により、「がんばろう日本」と日本人の心が1つになったとき、これまでタブーとされていたことが、次々と議論されるようになりました。最初は原発のタブーに関してでした。そして、今回のマスコミの偏向報道に関するタブーが続きました。この流れは、やがて教育や宗教等のタブーまで及ぶと筆者は考えています。
数々の戦後タブーから解放されるとき、初めて自由闊達な議論で衆知を集めることができ、本当に日本にとって良い政治ができるのだと思っています。ですから、東ドイツはピクニックから、日本は「お台場おさんぽ」から、解放が始まったと見ていますが、いかがでしょうか?
「お台場おさんぽ」を、単にネット住民による一部の偏狭な行動、という見方をしていると、本質を見誤ることになるかもしれません。(写真は、花王本社デモ。【フジテレビ】抗議デモまとめwikiより)