1950年のノーベル物理学賞はセシル・パウエルに贈られた。受賞理由は「写真による原子核崩壊過程の研究方法の開発および諸中間子の発見」である。
パウエル氏の業績は何と言っても湯川博士が予言した中間子を、“写真乾板”を使って発見したこと。これにより1949年に湯川博士のノーベル物理学賞の受賞が決定する。
湯川博士の中間子論が発表されたのは1935年。この理論の登場によって、核子を結びつける粒子として、中間子が世に出た。しかし、新しい粒子を持ち出した理論については批判が多かった。
やがて、第二次世界大戦が始まり、様々な国際交流も断たれることになった。その中にあっても、物理においては、基本粒子を追い求める研究は続けられており、細々ながら情報も交換されていた。
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引用元 高エネルギー加速器研究機構:写真乾板で見る原子核破砕 Wikipedia:写真乾板 わかるまで素粒子論:新粒子がいっぱい 名古屋大学F研基本粒子研究室:原子核乾板