
5年間、ヒットラーに付き添い、最後まで独裁者の傍らに居た、ロフス・ミッシュが先日、亡くなった。かつての親衛隊員は、老齢にいたってなお、かつての経歴について話すことを躊躇しなかった。その際には、ヒットラーに対する恩情さえ示した。
アドルフ・ヒットラーのボディーガードであったロフス・ミッシュが亡くなった。かつての親衛隊曹長は、1945年、4月30日、ベルリンの地下壕におけるヒットラーの自殺に居合わせた、最後の生き証人でもあった。
彼は、戦後、ソビエトに身元を把握され、拘束された。ソビエトは、ヒトラーが生き延び、どこかに潜伏しているかもしれないと考えていたので、ミッシュをモスクワの秘密警察本部であるルビェンカへ連行し、拷問を加え、ヒトラーについての情報を引き出そうとした。ミッシュは、幸運にも生きてルビャンカから出ることのできた数少ない人間の一人でもあった。
政治家との結婚
8年の牢獄生活の後、50年代半ば、ミッシュはベルリンへと戻り、画家として生きた。既に亡くなった彼の妻は、なんと西ドイツの政治家で、ユダヤの家系でもあった。
ミッシュは、彼の戦時中の活動は、戦後の政治家には周知のことであり、当時の市長であったビリー・ブランドゥトでさえ、そのことを知っていたと述べたことがある。彼のヒットラーの傍らで過ごした五年の歳月については、2009年に『最後の目撃者』という本を上梓している。
それ以前、2005年4月には既に、南ドイツ新聞ウェブサイトのインタビューにて、独裁者の最後の日について、詳細に答えている。
その中で、彼は、武装親衛隊(SS)への加入の動機として、入隊二年後に公務員になりたかったことを挙げている。最終的には、帝国鉄道の車掌になることが目標だった。そして、ナチスの党員には決してならなかったことを強調していた。が、その思想から、完全に距離を置いていたわけでもなかった。彼は、ヒットラーのことを、好意的に捉えていた。あまつさえ、独裁者に恩情さへ抱いていた。ミッシュは、ヒトラーのことを、“可哀想な人”と述べている。
一人娘の音信不通
ミッシュには、イスラエル人と結婚した一人娘がいた。2005年のインタビューでは、「彼女は、自分とのコンタクトを打ち切ってしまったんだ」と嘆いていた。なぜ、彼女がそうしたのか、父であるミッシュは、全く理解できなかった。
ミッシュは、心臓発作により、亡くなった。96歳だった。
南ドイツ新聞から引用