【書評】シュンペーター的思考

  by 白井 京月  Tags :  

書名:「シュンペーター的思考」

筆者:塩野谷祐一

出版社:東洋経済新報社

発売日:1995年4月

 

1883年2月8日。ヨーゼフ・アロイス・シュンペーターは、オーストリア・ハンガリー帝国の一寒村、ツレスチェに生まれた。1887年、シュンペーターが4歳の時、父親が亡くなる。1893年、母親はシューンペーターと共にウィーンに移り、陸軍少将と再婚する。当時のオーストリアはヨーローッパの中でも厳格な貴族制度の下にあり、少将以上の軍人は、ハイ・ソサエティに属していた。それ故に、シュンペーターは、1893年から1901年までを、ウィーンの有名なエリート校、テレジアヌムに在学することになる。この転機がなければ、シュンペーターは名もない一寒村に埋もれて生涯を送っただろうと塩野谷氏は言う。

いうまでもなく、シュンペーターは、ケインズと並んで20世紀前半を代表する経済学の巨頭だが、その生涯は、いわゆる学者のものではない。20代、シュンペーターは、「理論経済学の本質と主要内容」(1908)、「経済発展の理論」(1912)、「学説と方法史の諸時代」(1914)を発表し名を馳せたものの、一流大学には受け入れられなかった。理論経済学者であったシュンペーターは、歴史学派の強い影響下にあったドイツおよびオーストリアでは受け入れられず、母校ウィーン大学でも教授の地位を得ることは無かった。

塩野谷氏の区分に従うならば、1925年以降はシュンペーターの後半期と呼ばれる。政治と銀行の仕事から足を洗ったシュンペーターは、ボン大学教授のポストを手に入れる。さらに、1932年、シュンペーターはヨーロッパを去り、ハーバード大学に移った。こうして彼は、50代と60代の18年間をハーバードで過ごし、66歳でその生涯を閉じる。再び塩野谷氏に従うならば、「景気循環論」(1939)、「資本主義・社会主義・民主主義」(1942)、「経済分析の歴史」(1954)が、シュンペーターの後期3部作である。

さて、本書で塩野谷氏が示すシュンペーター的思考とは何を意味するのか。それは、3つの研究対象(経済静態、経済動態、社会文化発展)に対して、4つの方法(理論、統計、歴史、制度)を用いるという壮大な構想だ。この壮大さこそが、シュンペーターの魅力だと言えよう。ただ、面白いのは、もっとも広く読まれているであろう「資本主義・社会主義・民主主義」について、シュンペーター自身が、それを自嘲気味に評価しているということだ。あれは、ただの走り書きなのだ、と。その思いの背景にあったのは、あの著作だけが、エリートに向けてではなく、一般人に向けて書かれたものだからだと、塩野谷は解説している。なお、誤解のないように付言しておくが、シュンペーターは決して社会主義者ではない。

本書で展開されている膨大かつ重厚な思索をここに要約することなど到底不可能だ。また、本書は、時間をかけて味わいながら読むべき書物であって、簡潔に整理するような性質のものでもない。ここでは、本書で展開された一つの考察についてのみ注目することとしたい。

シュンペーターの経済静態の理論の中には、「資本利子」というものが存在しない。それどころか、企業者の「利潤」すら、そこには存在しないのである。それらが発生するのは、経済が静態から動態へと変わる時、即ち、革新(イノベーション)が生じることによってなのだとシュンペーターは説明する。そして、この点を指摘するためにこそ、静態と動態という二つの理論を用いる意味があるのだ。つけ加えるならば、「信用創造」もまた、動態においてはじめて可能となる。

では、シュンペーターの言う「革新」とは、どのようなものなのか。端的に言って、それは、経済発展の原因となるような大きなインパクトを持っていなければならない。それは、新しい財、新しい生産方法、新しい販路、新しい供給源、新しい組織などである。これらの新しいものが経済に導入されることによって、革新は古いものを破壊し、新しいものを創造する。これが「創造的破壊」である。言い換えれば、革新と呼ぶに値する創造は、破壊を伴うものなのだ。

シュンペーターは「一世紀といえども短期である」という有名な言葉を残した。シュンペーターの景気循環分析は、コンドラチェフの長期波動を大枠として行われる。第1の波が、1787-1842年の産業革命。第2の波が鉄道コンドラチェフ、第3の波が新重商主義コンドラチェフである。この、第3の波は1898年に始まるもので、保護主義的政策や社会立法の風潮が高まる時代でもある。そう見るならば、サッチャリズム等のリバタリアンの台頭は、この第3の波の反動としての第4の波と捉えることも出来るだろう。そして、現代は言うまでもなく、情報・通信・知識における技術革新という第5の波の中にある。それは、何を創造し、何を破壊するのか。その影響範囲がグローバルなものであり、かつ、社会や文化に大きく関わることは間違いない。私たちには、今こそ企業者精神が強く求められている。企業者精神とは、先見性であり、独創性であり、決断力であり、実行力のことだ。変化は避けられない。変化を読み、変化を作る。これこそが、企業者による革新なのである。

 

※本文初出は、2009年7月3日の私のブログです。

フリーの哲学者。作家。詩人。ポパー的可謬主義者であるとともにローティ的アイロニスト。 テオリア(観照)のある生活を理想としている。静かなる社会派。目標は可愛いお爺ちゃん。

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