アトラスが、「PROJECT Re FANTASY」を発表したのは2016年の年末のことだった。「真・女神転生」シリーズや「ペルソナ」シリーズといった、「正統派ファンタジー」以外を得意としてきたアトラスが、「真なる幻想世界(ファンタジー)への回帰」をテーマに、新たな王道RPGを作るという。もちろん、熱い期待を抱かずにはいられなかった。
その時から月日は流れ、2024年の今、とうとうその作品がリリースされた。そう、『メタファー:リファンタジオ』だ。筆者が今年1番……いや、2016年からの数年間で、1番楽しみにしていた作品だと言っていいだろう。
そんな作品をレビューできることを光栄に思いつつ、感じたことをストレートにお伝えしたい。
王道のファンタジーRPG! 『メタファー:リファンタジオ』
『メタファー:リファンタジオ』は、アトラスの完全新作ファンタジーRPG。舞台となるのは、3つの国として分かれていた大陸が連合王国となった、「ユークロニア連合王国」。この国では最近、「ニンゲン」と呼ばれる正体不明の怪物による被害が相次いでいた。
そんな中、この王国で王子の暗殺事件が発生、さらには国王までもが暗殺されてしまう。当然「では誰が次の王となるのか?」という問題が発生するが、国王の葬儀の場で王国全土を巻き込む「選挙魔法」が発動。この魔法の内容は、「国民からの支持を最も集めた人間が次の王となる」というものだった。
元来、国民からの支持を最も集めていたのは国教である「惺教」の大教主・フォーデン。しかし、若き国軍将校・ルイは「ニンゲン」頻発の原因が、国王や「惺教」の政治にあると断じ、現状に不満を抱える国民達からの大きな支持を得る。
こうした状況に対しフォーデンは、王国全土を舞台にした大規模なレースを主催。表向きは、国民誰もが活躍をアピールできる場を用意することが目的だという。しかしその裏には自分の息のかかった参加者を多数用意し、自分の立場を盤石にするという意図が込められていた。
プレイヤー=主人公もまた、このレースの参加者の一人。その目的は、ルイの暗殺。
実は王子は暗殺されたのではなく、呪いによって意識不明の状態にあった。呪いを解くには、術者であるルイを殺さなければならない。
だがそのためには、ルイが接近を許すほどの立場を得る必要がある。そこで、レースを通じて国民からの支持を集めよう、となったのだ。
まず秀逸なのが、ここまでのストーリー。大まかなあらすじは、「王子に呪いをかけ、王国の乗っ取りを企む悪者を倒す」というもので、一般的なファンタジーRPGでも十分ありうる筋書きだ。一例をあげるなら、『ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君』も、「トロデ王と姫に呪いをかけたドルマゲスを倒す」というかたちだった。
見方によっては、ありきたりともいえる。実際、プレイする前の筆者は「心から夢中にはなれないのではないだろうか……」と不安に思っていた。
これまでにゲームをたくさん遊んできたプレイヤーは覚えがあるのではないだろうか? 「つまらなくはないが、おもしろくはない」という感覚。たとえば「王子に呪いをかけ、王国の乗っ取りを企む悪者を倒す」というストーリーは王道だからこそ、一定のおもしろさを持っている。
だが、テンプレートになるほど使われているため、どうしても既視感が強い。だからこそ、おもしろさは感じても、時間を忘れてのめりこむほどじゃない……。
しかし、実際に本作をプレイした筆者は、まさに時間を忘れ心から夢中になっていた!
本作序盤の秀逸な点は、新たな設定を出しつつ、ツッコミポイントを丁寧に潰していく点だろう。まず筆者がツッコミたくなったのは、「国民からの支持を最も集めた人間が次の王となる」という設定。
ファンタジー世界は、国家同士が争い武力によって王権を奪うのが定石。このため、「国民からの支持を最も集めた人間が次の王となる」と言ったところで、その言葉には強制力がない。「国民からの支持を最も集めた人間」を殺し、武力で制圧してしまえば国の権利などいくらでも手に入るハズだ。
だがこの点は、「選挙魔法」によって無効化されている。「選挙魔法」は、「国民からの支持を一定以上集めた人間」を守る効果を持っているのだ。
ならば、金の力を使って国民を買収するという手はどうだろう? 心の底で自分のことを支持していようがいまいが、「支持している」と表明してくれさえすればいい。自分の名前が書かれた投票用紙さえ集めれば、選挙には勝てるのだ。
だがこの手段も「選挙魔法」の前では意味がない。「選挙魔法」は人々が持つ「指示する心」を見通し、カウントしているのだ。
本作序盤の展開が秀逸なのは、ファンタジーにおいて新鮮な「選挙魔法」という設定を、単に説明するのではなく、エピソードとして描き、ツッコミポイントを潰していく点。先に触れた通り、「王子に呪いをかけ、王国の乗っ取りを企む悪者を倒す」というストーリーは、おもしろいものの新鮮味がない。だが、「選挙魔法」という新設定を組み込むことで新鮮味を与えている。
ただ、新設定にはツッコミどころがつきもの。ファンタジーに限らず「なぜガンダムの世界では、わざわざ巨大ロボットで接近戦を行うのか?」「ポケモン世界で食肉用の生物とポケモンはどのように区別されているのか?」など、ゲームに対するツッコミどころは無数に存在している。
もちろん、こうしたツッコミどころは、ファンからすると無粋以外の何物でもないだろう。ただ、見方を変えればツッコミどころとは作品に対する疑問であり、好奇心がかたちを変えたものともいえる。
「なぜガンダムの世界では、わざわざ巨大ロボットで接近戦を行うのか?」にしても、「ポケモン世界で食肉用の生物とポケモンはどのように区別されているのか?」にしても、作品世界に多少なり興味があるからこそ、ツッコミたくなるのだ。ということは、もし仮にそれらのツッコミへの答えがエピソードとして描かれた場合、「答えを見てみたい!」と興味が喚起される。
本作のシナリオは、こうしたメカニズムを操るのが巧み。「この設定はどうなってるの?」という疑問に対して、エピソードで答える……というかたちを繰り返すことで、思わず物語にのめり込んでいってしまうのだ。
また同時に、シナリオでプレイヤーと作品世界をつなぐことも丁寧に行っている。
本作をはじめとしたファンタジー世界は、我々の住む現実世界とはまったく状況が異なる世界。こういった設定では感情移入が難しくなることも少なくない。
ただ本作の場合、「ユークロニア連合王国」に住む人種間の差別を描くことで、我々の住む現実世界とのつながりを作っている。
本作には9つの人種が登場する。
国の中心的な種族である「クレマール族」、クレマール族に次ぐ主流派「ルサント族」、長寿が特徴の「ローグ族」、知能が高い「イシュキア族」。社交的な「ニディア族」に人口的には多いものの政治的な立場は弱い「パリパス族」、コウモリのような見た目と優れた聴力を持つ「ユージフ族」に、独自の宗教を信じる「ムツタリ族」。そして、プレイヤー=主人公が属する「エルダ族」だ。
これらの人種間に存在する差別も、本作のテーマのひとつ。差別には目に見えるものもあれば、目に見えないものもある。
街を歩いているだけで気味悪がられたり、罵声を浴びせられたり、あるいは奴隷のような境遇に置かれたり……といったものは、目に見える差別。「ダイレクトな差別」と言ってもいいだろう。
一方で、信頼を得にくい、職業に就きにくい……などといったものは、目に見えない差別といえる。と言うのも、「信頼を得にくい」のであって「絶対信頼されない」わけではない。そもそも信頼されないのは性格の問題かもしれない。
「職業に就きにくい」こともそうだ。絶対に「職業に就けない」わけではなく、中にはその職業に就ける者がいる。もしかすると、個人の資質の問題かもしれない。
こうなってくると、種族が差別されているのか、個人の問題なのかわからなくなってしまう。「明確に差別だ!」と、言い切れなくなってしまうのだ。
だが、「差別」が「YES or NO」のような2択ではなく、パーセンテージのようなものだとしたらどうだろう? そこに、何パーセントかの「差別」が混じっているはず。そういう意味では、「濃度の薄い差別」と言えるかもしれない。
本作にはこうした差別が、ストーリー上の様々な箇所で登場する。世界観がファンタジーなのでそれらの差別は誇張されたかたちで登場する。しかし、根っこにあるものは現実と同じ。
だからこそ、強く感情移入してしまう。
自分が直接差別したり、差別されたりしたことがなくとも、ニュースやSNSを通じて差別を見聞きしたことなら誰しもあるだろう。また、「濃度の薄い差別」であれば、心当たりを持つ人もいるかもしれない。本作の作品世界は、まさしく我々の住む現実の「メタファー(暗喩)」なのだ。
こんな風に本作では、作品中に描かれる差別を通じて、我々の現実世界と作品世界とがつながるようになっている。そしてつながった時、主人公たちへの感情移入が成立するのだ。
ファンタジーによくあるストーリー展開を用いながらも、「選挙魔法」という新設定を使って新鮮味をプラス。さらに、新設定にまつわる疑問と回答を繰り返すことでプレイヤーの心情を引き付けつつ、人種間の差別描写によって、感情移入をも成立させる。
こうした複数のことをスムーズに成立させるのは難しい。たいていシナリオのどこかでつながりが悪くなり、ギクシャクしてしまう。だが本作はそうなっていない。
たくさんの要素が極めてスムーズに描かれ、気づくと夢中になっている。シナリオに対して相当な回数の検証を行ったのだろう。「ありきたり」ではなく、新たな「王道」と言えるストーリーだ。
「ペルソナ」からの洗練と発展! 『メタファー:リファンタジオ』のゲームシステム
続いて、本作のゲームシステムに目を向けたい。本作のゲームシステムを超ザックリ言い表すと、本作を開発したアトラス社の「ペルソナ」シリーズ。作品中にカレンダーが存在し、カレンダーに合わせてゲームが進行していく。
1日は昼と夜に分かれており、基本的に昼夜1回ずつ行動が可能。行動は主にダンジョンへ挑むか、仲間とのエピソードを進行させるか、主人公のパラメーターをアップさせるかというもので、ダンジョンへ挑む場合のみ、昼夜の行動を一気に消費する。
ダンジョン攻略には締め切りとなる日付が設定されており、それまでに攻略しなければならない。また戻ってくると日付が経過してしまうため、いつまでにダンジョンのどの部分まで攻略するか、計画を立てる必要がある。この点は他の一般的なRPGと大きく異なる点だが、「ペルソナ」シリーズではこれまで基本としてきたものだ。
ダンジョン内も基本的に「ペルソナ」シリーズを踏襲している。3Dフィールドを移動し、敵シンボルと接触するとコマンドバトルへ移行。
ただ、本作ではダンジョン探索中も敵に攻撃を仕掛けることができ、自分より弱い敵であれば探索中の攻撃だけで倒すことが可能だ。また、弱い敵でなくとも攻撃によって一定以上ダメージを与えれば、事前にダメージを与えた上、気絶させた状態でコマンドバトルへ移行することができる。
つまり、ダンジョン探索パートにアクション要素が取り込まれているのだ。
実は本作発売前、このアクション要素追加を知った筆者は、本作に対して不安感を覚えた。というのも、アクション要素とコマンドバトルというのは、そもそも楽しさの方向性が違う。
アクションRPGであれば、「敵の攻撃をいかに回避し、敵の隙に対し強力な攻撃をヒットさせるのか?」というのが楽しさの肝。攻撃と回避のタイミングをめぐるスリルと爽快感が醍醐味だ。
一方コマンドバトルでは、「数ターン先の状況を読み、有利な状況を築くか?」という点が楽しさの肝。「先を読んでいかに有効な手を打つか?」という戦略性が醍醐味だ。
では、この2つの要素を組み合わせたとき、どちらが胆になるのだろう? アクション要素を重視し、「アクションさえ上手ければ、戦略性ゼロでも敵を倒せる」となったら、コマンドバトルの意味がない。一方、「戦略さえ巧みなら、敵の攻撃を回避したり攻撃アクションを仕掛けたりする必要がない」というかたちでは、アクション要素を足す意味がないだろう。
だが結果として、筆者のこうした考えは、まったくの杞憂だった。
本作で重視しているのは、あくまでコマンドバトル。「ペルソナ」シリーズを継承していると書いたが、コマンドバトルについては「真・女神転生」シリーズの「プレスターンバトル」を継承。
「プレスターンバトル」とは、行動によって行動回数が変化するバトルシステム。パーティー全体で行動回数を持っており、この中で攻撃などのアクションを実行する。
行動回数は1アクションにつき1ずつ消費するが、敵の弱点属性で攻撃したり、クリティカルが発生したりすると0.5しか消費しない。一方、敵の得意属性で攻撃したり、ミスが発生したりすると2消費してしまう。
プレイヤー側だけでなく敵にもこのルールが適用されるため、ハイリスク・ハイリターン。敵の弱点を的確に突けば自分のターン内で決着をつけることが可能だが、敵のターンになってしまうと、一気に倒されてしまう危険性が出てくる。そして、属性攻撃可能なスキルがメインとなるため、MPの消費が激しいというのも特徴だ。
この「プレスターンバトル」と、本作で導入されたアクション要素とのかみ合わせがいい。「プレスターンバトル」のリスクを抑えるためには、ダンジョン探索時点で敵を攻撃し、HPを削ることが有効。HPを削り、倒すまでに必要な攻撃回数を減らせば、MP消費を軽減できる。
もちろん、アクションが苦手だと逆にダメージを受け、敵に先手を取られてしまうこともある。そのリスクを避けるなら、攻撃アクションを仕掛けず、いきなりコマンドバトルへ移行すればいい。ただし、「プレスターンバトル」のリスクが増えてしまう。
「プレスターンバトル」のリスクと、アクションを仕掛けるリスク、どちらのリスクを取るか?これは、「反射神経」ではなく、「判断」の問題。すなわち、「戦略」……コマンドバトルの醍醐味だ。
つまり本作は、アクション要素をプラスすることで、コマンドバトルの醍醐味である戦略性を深めているのだ。
ところで「ペルソナ」シリーズでは、戦闘中、タイトルにもなっている「ペルソナ」を召喚して戦う。「ペルソナ」は、神や悪魔、妖怪や歴史上の英雄などがモチーフとなっているが、本質的には各キャラクターの性格が具現化したもの。そもそも「ペルソナ」という言葉は、性格を表す心理学用語「パーソナリティ」の語源だ。
性格を表す言葉としてはほかに「キャラクター」がある。「キャラクター」は生まれもった不変の性格のこと。
一方「パーソナリティ」は、状況や環境に応じた性格のこと。どんな人間も、周囲の環境や相対している人間によって、性格がある程度変化する。これを表した言葉が「パーソナリティ」だ。
「ペルソナ」シリーズでは、戦闘の状況において「ペルソナ」を変更しつつ戦う。これは主に「ペルソナ」シリーズで主人公となる少年たちが、周囲の状況に応じて自分の性格を変化させつつ、苦難を乗り越えていく……という表現に繋がっている。
一方本作の戦闘では、「アーキタイプ」と呼ばれるものを駆使して戦う。使用する「アーキタイプ」によって装備やスキルが変化するというかたちだ。「アーキタイプ」は「ナイト」や「ヒーラー」などRPGのジョブ的な名称がついているが、機能的には「ペルソナ」と同じものと言えるだろう。
ただストーリー上の位置づけは異なっており、「アーキタイプ」とは、英雄が持つ人物像の元型とされている。自分の性格を具現化した「ペルソナ」に対し、「アーキタイプ」は憧れの具現化と言えるかもしれない。
学校で部活に入部したときや、初めてバイトしたとき、あるいは新入社員になったとき……。こうしたとき我々は、どうふるまえばいいのか、先輩から「その場所で求められる役割に相応しい人物像」を学ぼうとする。つまりこれが、「アーキタイプ」!
我々と同じように、本作のキャラクターは英雄たちの「アーキタイプ」から学びを得ようとしている……ということだろう。
「ペルソナ」→「アーキタイプ」という置き替えは、2つの面でとても上手く機能していると感じた。
1つめは、システム面。
「ペルソナ」シリーズでは、作品によって異なるものの、悪魔と会話したり戦闘結果のドロップアイテムとして獲得したりといった手法でペルソナを獲得、さらにペルソナ同士を合体させて強化する必要があった。
これに対し本作の「アーキタイプ」は、仲間とのエピソードを進めることで獲得できる。合体による強化はない。
「アーキタイプ」を集めるための戦闘を行う必要がない上に、攻撃アクションで弱い敵を片付けられるため、ダンジョン探索のテンポがいい。人によっては物足りないと思うのかもしれないが、もし「ペルソナ」と同様の仕組みになっていたら、戦闘回数が増え、結果的に攻撃アクションにも飽きを感じてしまったように思う。
2つめはストーリー面。
本作での「アーキタイプ」は、そもそも仲間となるキャラクターが生き方として抱えているもの。主人公は、仲間の生き方に影響を受けることで「アーキタイプ」を体得していく。
この設定は、仲間とのエピソードを進めて「アーキタイプ」を獲得していくシステムと完全に一致している。仲間たちの人生を理解し、強力なアーキタイプを獲得し、種族の壁を越え、支持を獲得していく……かたちで、ストーリー的な要素とシステム的な要素が深く結びついており、物語の説得力を高めていると感じた。
ここまで紹介してきた本作のゲームシステムをまとめると、『ペルソナ5』のゲームシステムを洗練し、より発展させたものと言える。
ベースとなるゲームシステムは『ペルソナ5』で、ダンジョン探索パートに含まれていたアクション要素やステルス要素、パズル要素を発展させ、その上で、ダンジョン探索パートのアクション要素とかみあわせがよく、さらに深い戦略性が味わえるプレスターンバトルを導入した。そして、複雑化しがちな「ペルソナ」の収集は、仲間とのエピソードにまとめるかたちでシンプル化したかたちとなっている。
もともと『ペルソナ5』の時点で完成度の高い、おもしろいゲームだった。このため本作も、完全新作でありながらシステム面においても完成度の高い作品に仕上がっている。
確実におもしろい! だが、しかし……?
本作は非常に完成度が高く、おもしろい作品だ。筆者は今回特典付きの「アトラスブランド35thアニバーサリーエディション」を購入したが、その上で、2016年から待った甲斐はあったと言い切れる。それは事実だ。
……だが、しかし。筆者の感想をストレートに書くと、少しだけ、引っかかる部分があった。
本作で引っかかった部分、それは、作品的に「挑戦」と言えるような新しい要素がなかったこと。
たとえば、アクション要素とコマンドバトルの融合は、リリース前、非常にチャレンジングに思えた。新たなものを創造しようというチャレンジ。
しかし蓋を開けてみると、完成度は高いものの、『ペルソナ5』の延長線上でまとめてしまっただけのようにも見える。もちろん、既存作品の延長線上で進化させることも十分難易度は高いし、結果として完成度の高いシステムに仕上がっているのだから、何も問題はない。ただ、リリース前に感じたワクワク感をイメージすると、ちょっと物足りなさを感じてしまう。
他に「選挙」をテーマとした点についても、リリース前はゲームシステム的にどう組み込むのか期待していた。期間内にどれだけ効率よくクエストを達成するかによって、支持率がダイナミックに変動し、それによってストーリーが変わるのか……などと期待していたのだ。ただ実際には、ストーリー進行と支持率がシンクロしており、支持率自体の増減がゲーム化されているわけではない。
つまり本作は、新しいことにチャレンジしているようでいて、実は安全策をチョイスしているとも言えてしまうのだ。このため、「すげえ!」という驚きや、「こんな展開が!」というワクワクは少ない。
だが、それでも限定版を買ってもバッチリ満足できるレベルでおもしろい。時間を忘れさせてくれるほどおもしろいのだから、ここに書いていることは、重箱の隅をつつくようなイチャモンに過ぎないのだろう。
でもそう思い直してもなお、なんか微妙な引っかかりを覚えてしまう……。どことなく、寂しさにも似た引っかかりだ。
なぜ引っかかる部分があったのか。それはやはり、2016年から待ちに待ったうえで、完全新作としてめちゃくちゃ新しい体験ができるのでは……と心のどこかで思っていたからだろう。
本作を純粋に楽しんでいる人には申し訳ない。ただ、冒頭に書いた通り感じたことをストレートにお伝えするのであれば、この引っかかりについて、書かずに終えるわけにはいかなかった。
とはいえ、ここまで書いてきた通り、本作の完成度が高い傑作レベルの作品ということは事実。この点は、「期待通りではなかった」と感じている筆者ですら、時間を忘れるほど楽しんだということが示している。
なので、単に面白いRPGが遊びたいと思っている人であれば、手放しでオススメできる一作だ。ぜひプレイして欲しい。
(文/田中一広)