仏教で愛という場合、愛情の意味で使われることはありません。愛情の意味であれば、慈悲といったりします。仏教で愛とはパーリ語でタンハーといいまして、渇きの極限状態で水を求めるような渇望、愛着を指しています。
ブッダは輪廻転生を説くのですが、バラモン教(後のヒンドゥ教)やジャイナ教のように恒常不変の霊魂(アートマン)を説きません。すると、なにが輪廻するのだということになります。そこでブッダは無明(無智)や愛(激しい渇きのような愛着)といった条件によって人は輪廻すると説きました。それが縁起の教えです。
縁起とは条件により生起するという意味です。
①無明 煩悩の本となる無智
②行 身体、言葉、意識による行為
③識 認識作用
④名色 身体と心作用
⑤六処 眼、耳、鼻、舌、身、意の六つの能力
⑥触 接触
⑦受 苦、楽などの感受作用
⑧愛 激しい渇きのような愛着
⑨取 激しい欲望
⑩有 存在させる力
⑪生 生じさせる力
⑫老死 老死に向かわせる力
無明を条件として行が生じ、行を条件として識が生じるというふうに、つぎつぎと条件が重なっていきます。もっともこれらは単独で直線的に存在するものではなく、繭のように生命存在を幾重にも覆っています。その中心が無明です。無明が無くならない限り、生死はなんどでも繰り返されるというのです。
漢訳:愛、渇愛
Skt.:tṛṣṇā pali:taṇhā
仏教語大辞典 中村元著 p14b.
The practical Sanskrit-English dictionary
http://dsal.uchicago.edu/dictionaries/apte/
The Pali Text Society’s Pali-English dictionary
http://dsal.uchicago.edu/dictionaries/pali/