【海外の反応】サッカー深イイ話

 

 

 

さてさて・・・

 

先日のサッカー日本代表のW杯最終予選でのヨルダン戦。

 

結果的には残念なものでしたが、今日はサッカー絡みの深イイ話をご紹介させて頂きます。

(引用がちょっと古いのがアレなんですが。汗)

 

 

 

この国に魅了された人たちより

 

 

 

まずはアズーリ(イタリア)と日本。

 

81 名前:日出づる処の名無し :2003/08/12(火) 23:27:00 ID:qugnUo7o
インテルは日本がとても好きです。
モラッティ会長は先日、こんな話を僕にしてくれました。
「クリスマス・イヴのことですが、仙台でお世話になった青年が、

それは素晴らしい塗りの皿をプレゼントして下さいました。

日本の方たちはとても親切で私はこの美しい特別な国、

日本との友好関係を築きたいと思っています」

 

83 名前:日出づる処の名無し :2003/08/12(火) 23:30:00 ID:qugnUo7o
選手のひとりが、僕にこう言いました。

デル・ピエロだったと思います。

 

「ここは(仙台は)僕らのとは別世界だな。子供は子供で、少年は少年でいられる世界だ。

自然の美しさやスポーツの本当の意味のすぐそばで、この子たちは、しなやかに生きているんだね」

 

唐突なほど正直で純粋なこの言葉に、僕は胸を打たれました。

 

87 名前:日出づる処の名無し :2003/08/12(火) 23:36:00 ID:qugnUo7o
たとえばパオロ・マルディーニは、
こんなふうに思い出を話してくれました。

「僕のキャリアの中では、女の子たちに囲まれて、

声をかけられたり握手を求められたり写真を一緒にとったり、

世界中どこでもそんなことは何回もあったよ。フランス、アメリカ、南アフリカやロシアでもね。

でも日本では全く別なんだ。

 

日本の女の子たちは眼とハートの中に特別な何かを持っているんだ。

西洋人が、たぶんもう、永遠になくしてしまったような穏やかさだね。

感動的な優しさや穏やかさ、

心の中の美しさの魔法にかけられて言葉を失ったよ」

イタリア男性たちにとって、日本女性は魅惑的な夢であり、完璧な清純を意味するのです。

 

88 名前:日出づる処の名無し :2003/08/12(火) 23:36:00 ID:qugnUo7o

マルディーニは、こう続けます。

 

「日本へは、その前にも何回か行ってるけど、

トヨタ・カップのためだけに何日間か居ただけなんだ。

5月、6月はまるまる何週間も仙台に居られて、

日本女性の世界をちょっと分かることができたのは、ラッキーだったよ。

あそこでは、最高の思い出もできたんだ。僕は妻へのお土産に、

とってもきれいな「帯」を持って帰って、今それはミラノの家の壁に飾ってあるんだけれど、

妻にもよく日本の思い出話をするんだ。その帯を見るたびに日本を思い出す。

そうすると胸がきゅっとなって、ウルウルしてきちゃうんだ」

 

90 名前:日出づる処の名無し :2003/08/12(火) 23:45:00 ID:qugnUo7o
韓国戦の数時間前、アズーリの選手達はテレビで、日本VSトルコの試合を観ました。

 

みんなで中田や稲本を熱烈に応援したのです。

 

アズーリの夢は6月30日に横浜で行われる決勝で日本と戦うことでした。
日本VSトルコの試合が終わったとき、アズーリの選手達はとても心が痛んだことでしょう。

 

日本は数週間もの間、アズーリにとっては「故郷」だったわけですから、彼らの悲しみは日本に対する正直な気持ちでした。

アズーリは3週間日本にいて、日本人の優しい情熱はイタリア人の情熱と同じように思えたのでしょう。
外国に居ながら、イタリアに居るときと変わりない居心地の良さを感じられたのですね。

韓国戦はとても難しいものでした。
そして、おそらく、イタリアは審判の一撃で負けました。

 

91 名前:日出づる処の名無し :2003/08/12(火) 23:46:00 ID:qugnUo7o
アズーリは韓国が好きではありませんでした。

 

そして2つの目的のために日本に帰りたいと望んでいました。

 

1つ目は、横浜で決勝戦に出るため。

 

そして2つ目は、彼らを惚れ込ませ魅了した国にもういちど帰りたかったからでした。

 

トラパットーニ、トッティ、デル・ピエーロ、ヴィエリ、マルディーニ、

そしてアズーリの選手全員が、韓国戦の敗北の悲しみと共に帰国しました。
そして、日本のように大変美しい国を、自由だが礼儀作法のしっかりした国を、

自分達が恋に落ちた国を後に残していく悲しみと共に帰国しました。

アズーリの心の中で、彼らを優しさと愛情をもって取り囲んだ全ての日本人の笑顔が、

悲しい顔に変わってしまうイメージが残るかもしれません。

そして飛行機に乗る前に、アズーリのみんなが思ったことでしょう。

 

「ニッポン、アリガトウゴザイマシタ」と。

 

 

個人的にアズーリが好きだったので、

この敗戦は正直受け入れ難いものではありました。
もう一度日本で見たかったなあ。

 

 

87 名前:_ 投稿日:02/01/18 09:27 ID:sT4W+oO/
98仏W杯のクロアチア戦だったと思うが、日本の予選敗退が決まった時、

勝利に喜ぶクロアチアのサポーターに対して、日本のサポーターから

「決勝リーグ進出おめでとう。同じリーグを戦った戦友として、 日本は、クロアチアの今後の健闘を祈ります」

というような英語の横断幕が張られた。

 

そして、日本側から

「クロアチア・ちゃちゃちゃ クロアチア・ちゃちゃちゃ (拍手)」

というエールが送られた。
期せずして、クロアチア側からも

「ニッポン・ちゃちゃちゃ ニッポン・ちゃちゃちゃ(会場全体が大拍手)」

という状況になった。

 

自分は当時も今もヨーロッパ在住の身で、ユーロスポーツTV(英語版)で 観戦していたんだが、

司会者とコメンテーターが、

 

「何と感動的なシーンなのでしょうか。長年W杯を観戦していますが、

試合後にこれほど胸がいっぱいになったのは初めてです!」

 

「本当にその通りです。試合後に両チームの健闘を称えあう、これこそが、

W杯が目指しているもののハズです。なんて素晴らしい・・・(嗚咽)」

 

自分もその言葉に泣きました。

 

 

 

ラグビーのノーサイドではありませんが、
こうした試合が終われば敵味方は無い精神は素晴らしい。

 

 

123 名前:日出づる処の名無し :2003/08/13(水) 12:19:00 ID:krTS5ibS
あるフーリガン。

日本に来て大暴れしてやろうと思った。
しかし、試合が終わりいつの間にか相手国サポーター、そして日本人達と、

肩を組んで酒を飲んでいる自分がいた。
どうして俺は・・・・以下失念。

 

176 名前:ベルギー FW ウィルモッツ インタビュー :2003/08/13(水) 19:26:00 ID:IsRXswcQ
ベルギー FW ウィルモッツ

俺は納得のいかない判定であっても、俺はそれを受け入れるよ。
スポーツマンはフィールド上でのことは全て受け入れるぐらいの

度量がなければやっていけないからね。
おそらく今大会を観た多くの選手達が開催国である韓国に対して、

過剰なほど偏った判定が下されたと思っていることだろう。
ただ、それもサッカーだと割り切ることも必要なんだ。


その点、日本はそういった疑惑を持たれることなしに

決勝トーナメントに進出したんだから、本当に立派だと思うよ。
日本が実力でベスト16に進出したことに異論を唱えるものなどいないと思う。
もしトーナメントの1回戦でトルコと対戦していなければ、

日本はもっと上のラウンドに進むことも不可能ではなかったはずだ。


6月4日、埼玉スタジアム。
この日はオレのキャリアの中でも忘れられないものだ。
美しいスタジアムに、フェアなサポーター。
選手にとっては大きなプレゼントだよ。
だからこそ、試合はドラマティックなものになったんだと思う。
日本戦こそがベルギー代表のベストゲームだったし、

大会全体を通してもベストの部類に入る内容だった。

 

177 名前:ベルギー FW ウィルモッツ インタビュー :2003/08/13(水) 19:27:00 ID:IsRXswcQ
日本を警戒していたことは言うまでもないけど、

実際に同じピッチに立つまでどんなチームかつかみかねていたんだ。

 

でも、試合が始まってすぐに、

俺達の敵はとんでもなく手強いという事に気付いたよ。

 

技術や戦術の面だけじゃなく精神面、

とりわけ戦う意志がハンパじゃなかった。

試合が終わったあと、しばらく経っても、

オレは気分が高揚したままだったんだ。
こんなことは初めてだった。
国民の期待を受け必勝を期して臨んできた相手と全力をぶつけ合った。

 

そう簡単に気分が落ち着くもんじゃない。
あれほど魂を揺さぶられたことなんて、

国際試合でもクラブレベルでも経験したことはない。

生きていて本当に良かった、と思ったくらいさ。
俺の子供が大きくなったら、そして孫が出来たら、

絶対に日本戦のことを聞かせてやるよ。

 

 

 

 

本当に物凄い熱気につつまれたW杯でした。
そのベルギー戦は仕事しながらラジオで聞いていたんですが、
そのラジオからでも興奮と熱気が物凄く伝わってきました。

試合展開はベルギーに先制されて、

FW鈴木選手のゴールで追いついた時のスタジアムの歓声。
アナウンサーの絶叫と興奮。

今思い返しても凄かったなあ。

 

その当事者であるウィルモッツが、

 

あれほど魂を揺さぶられたことなんて、
国際試合でもクラブレベルでも経験したことはない。
生きていて本当に良かった、と思ったくらいさ。
俺の子供が大きくなったら、そして孫が出来たら、
絶対に日本戦のことを聞かせてやるよ。

 

これほどまでに言わせるとは、よほどのことだったんでしょう。

 

 

446 名前:>445-446は他スレからの転載 :2003/08/14(木) 21:00:00 ID:8xKgKYDQ
外国人の日本人に対する評価は、今回、最高に達したと言っても過言ではないでしょう。

 

イギリスから6,000人以上のサッカーファンたちが、

日本に押しかけましたが、彼らはすっかり日本びいきになってしまったからです。

 

BBCも、毎日、日本と日本人について報道していますが、

日本人の親切さとマナーの良さについて、

イギリスのフーリガンたちさえも世界最高の紳士に

仕立て上げてしてしまうほどであったと絶賛しています。

そして、イギリス人のサポーターたちが、帰国の途上、

横断幕『THANK YOU JAPAN』を掲げながら

行列を組んで道行く姿が、テレビで報道されました。

これは、外国にいる日本人たちにとっても、実に印象的で、

こんなに嬉しいことはありませんでした。

 

そして、BBCやITVの解説者たちを始め、新聞各紙も口を揃えて、

『今回の日本人の接客態度はW杯の歴史を

塗り替えるほどに最高であった。』と評しています。

 

916 名前:日出づる処の名無し :2003/08/19(火) 02:07:00 ID:mbDtXu6S
(914の続き)
「日本のサポーターは世界レベルだ!」より抜粋

埼玉スタジアム2002に着くと、大盛り上がりだった。
なぜならば今日、主催国日本が初めて試合を行なうのだ。
スタンドには見渡すかぎりの青いユニフォーム。

 

イギリスのカメラマン、マスシュー・アシュレイは

度々日本に来てはJリーグの写真をとることが好きなのだそうだ。
日本のファンは世界で一番熱心にサッカーを応援すると、彼は言う。
熱心なファンが多いことで有名なイギリスより熱心なのだそうだ。
まったく同感だ。

 

私はさまざまな開催地、ウェンブリー、オールド・トラッフォード、

ハイバリー、サンシロ、カンプ・ノウ、ベルナベウ、マラカナ、

そしてラ・ボンボネーラに行った。

どこもいい雰囲気だったが、今夜の埼玉のようではなかった。

 

なぜなら、日本のサポーターはただ大騒ぎしているわけではなく、

選手にやる気を起こさせるように場を盛り上げていくのだ。

 

ヨーロッパや南アフリカのサポーターはただ大声で叫んでいて、敵を嫌っては脅かすだけだ。
ミラノでは、インテルやACミランのファンは喜びではなく周りに恐怖を広げる。
また、サンシロでも楽しい雰囲気は感じられなかった。

 

しかし日本のファンは精一杯の愛情を示し、

ゲームを愛し、敵にさえ愛情や敬意の念を表す。
これは今夜の埼玉で、私が実感したことなのだ。
世界中で、敵の旗やロゴを持った地元ファンを見たことがあるだろうか?
そんな国は日本以外に存在しないだろう。

 

(中略)

 

両チームがピッチに入ってきた時、スタジアムは大歓声に包まれた。
日本のファンは既に世界レベルだ。
そしていつか、日本代表も世界レベルになるだろう。

 

917 名前:日出づる処の名無し :2003/08/19(火) 02:09:00 ID:mbDtXu6S
(916の続き)
「これこそ、私が求めていた日本」より抜粋

 

日本のサッカーファンは、本当に国際的だ。
スウェーデンの黄色いシャツを着た人を多く見た時、

私はいい気分になった。
日本人ファンが、私の国、私のチームを

サポートしてくれているのを見て感動した。

 

(中略)

 

日本人ファンは世界で最も愛されるべきであり、歓迎されるべきだ。
しかし一つだけ問題がある。

 

私はカメラマンとして、違う国から北ファンの写真をとりたいのだ。
どこへ行ってもいつもそうしてきたつもりだ。
しかし日本では不可能だ。

 

たとえ私がスウェーデン人、ドイツ人、イギリス人、

ブラジル人のファン尾写真を撮りたくても、

それ以上にプレーを見て喜んでいる素晴らしい表情をした魅力的な顔があるのだ。
そう、それはみんな日本人だ。

 

 

「日本の最北端でカニを食す」より抜粋

 

ウェイトレスはメニューを持ってきてくれたが、英語に訳すことができない。
近くのテーブルにいた人に、メニューを説明してくれるように頼んでいる。
団瀬の2人連れで、そのうちの1人は英語を話すことができた。

 

さまざまな種類の魚の刺身、ご飯、温かいスープ、そしてカニを頼んだ。
食事が運ばれるのを待っていると、一緒に食べないかと彼らは誘ってくれた。
とても嬉しくて、断る理由など何もなかった。
誰かと一緒に食べたかった。
彼らはエンジニアで、札幌の会社で働いているそうだ。
その日は一日だけ出張で来ていた。

自分がワールドカップを追いかけているフリーのカメラマンだと伝えると、

若い男性の方はとても興奮していた。

 

彼は札幌でドイツ対サウジアラビア、

イタリア対エクアドルの2試合を見たそうだ。

 

(中略)

 

2日続けて、私はすばらしい仲間と食事をともにすることができた。

914 名前:日出づる処の名無し :2003/08/19(火) 02:05:00 ID:mbDtXu6S

 

以下、2002WCを取材したスウェーデンのサッカージャーナリスト兼カメラマン、

ステラン・ダニエルソン(当時56)の日本滞在記『日本発見』より

「まえがき」より抜粋

 

そんなわけで、私は生まれて初めて日本にやってきた。

当初の滞在予定は2週間だったが、結局はなんと6週間にも及んでしまった。

そのわけは、日本と日本人が・・・・・・あまりにも素晴らしかったからである。

 

918 名前:日出づる処の名無し :2003/08/19(火) 02:10:00 ID:mbDtXu6S

「暖かい涙、感動の涙」より抜粋

 

飛行機の中で、暖かい涙が頬を伝った。
止められなかった。
離れるのは悲しいが、決して悲しみの涙ではない。

 

この1ヶ月、たくさんの経験ができて幸せだったが、決して喜びの涙でもなかった。
それは感動の涙だった。

 

日本では感動的な経験をたくさんした。
これまで旅した国の中でも、心に残るものひとつになるだろう。

 

最も印象的だったのは、日本人だ。
日本人が私をどんなに暖かく扱ってくれたかは表現できないほどだ。

 

南米もアフリカも人々はとても素晴らしくて大好きなのだが、

日本ほどの扱いを受けたことはなかった。
そしてなんといっても隆の家族。
なんて素晴らしい家族なのだろう。
私のことを本当の家族のように扱ってくれた。

 

日本人は外国人を好きじゃないよ、と誰かが言っていたが、

それはまったくの嘘っぱちだ。

 

これまでに50カ国以上の国々を訪れてきたが、

ここまでよくしてくれたのは日本人だけだ。
日本人と同じくらい、すばらしくて、フレンドリーで、

正直で、思慮深くて、頭のいい人間には会ったことがない。

 

きっとあと100年経っても、

私は日本で貰った全てのものに恩返しすることはできないだろう。

 

でもこれだけは言える。

 

あらゆることにありがとう、と。

 

「どうもありがとうございました」。

 

 

先日のヨルダン戦は現地の一部サポーターや一部の選手の振舞いは正直残念でしたが、

改めて日本代表と、そのサポーターを誇らしく思うのと同時に、
これからも続けていって欲しいと強く思いますね。

 

 

 

ダラダラとした文字通りの「なりゆき」任せな人生。 『ウマイ!おもろい!何だこりゃ?』を、 手当たりしだい行き当たりばったりに書いております。 サッカーにラーメン、辛いもの。 それ以外にも日本の海外の反応や、 ド肝を抜かれるクオリティの迷惑メールなどが大好物です。

ウェブサイト: http://1093.seesaa.net/category/9290336-1.html