当たるも八卦当たらぬも八卦?信じる者は救われる?不況時に流行る占いの世界を取材した!【後編】

  by 古川 智規  Tags :  

経済の不況時や政情が不安定な時に流行るのが占いだ。女性にはポピュラーなものだろうし、男性には毎日のテレビや雑誌で転回される占いくらいは見たことがあるだろう。
そもそも占いとは何なのだろうか。そんな素朴な疑問から取材をスタートした。記者が取材した占いの世界は極々一部かもしれないが、2回に分けてレポートする。本稿はその後編である。

※参考記事
当たるも八卦当たらぬも八卦?信じる者は救われる?不況時に流行る占いの世界を取材した!【前編】
https://rensai.jp/446676 [リンク]

実際に鑑定してもらう

さて前編で紹介した「道しるべCafe」に入った記者は早速、鑑定をお願いした。氏名・生年月日・性別を伝えて鑑定開始。特に悩みはないので、自分自身が持つ性質や性格から聞いていく。命術はなぜか西洋でも東洋でも星に関する用語が多く出てくる。黄道十二星座は現在でも有名だが発祥は古代だ。四柱推命でも生年月日から導き出された「星」と表現される。古代から洋の東西を問わず、占いのような神秘的なものには天体や天文学が深くかかわっていたことがよくわかる。当時はどちらも科学的なものではなく神秘的な学問だったのが、時代が下り天文は科学という学問分野になり、占いは非科学的な一種の統計や経験に基づいたものになっていった。

生まれながらに持っている性質が当たっているときも、そうでないこともある。同じ生年月日で性別が同じであれば全く同じ命式になるが、仮に生年月日が同じ人を連れてきても性質や性格が全く異なる。これは育った環境やかかわった人が異なるからで、人格形成の過程で異なったものになるのは当然だ。よって当たっているところは万人がそのまま受け入れることだろう。

問題は外れていると思った場合だ。考え方としては本来持っている性質なのだが成長の過程で隠れてしまった性質を見つけ出すことで今後の生活に生かせばよい。いくら20万通り以上あるからと言っても、生まれ持って敷かれた線路の上を走るだけなのであれば感情があるヒトとしては面白くもなんともないし、それこそ生きている理由がなくなる。仮に人生が敷かれた線路なのであれば、決まっている行先など聞きたくはないし、占いで相談する理由がなくなってしまう。よって記者としては、当たっていることはむしろどうでもよく、現時点の自分に当てはめて隠れた性質、つまり外れていると思しきこと教えてくれることこそに価値を感じた。

将来の具体的なことについては特に悩みはないので、結婚をしてないという事実に基づいて「結婚に関すること」という非常に漠然的な質問をした。
鑑定師は清水葵先生だ。結論から言うと、する気があるのであれば2025年5月以降という鑑定。えらく具体的だ。別にその気がなければそれでいいし、お付き合いしている人がいるのであれば相性を見ればいいのだが、そういう人はいないので機会があれば2025年5月以降ということを覚えて心の準備をしておくといいだろう。理由は非常に納得ができるものだったが、詳細は割愛する。

次いで、いわゆる金運と呼ばれるお金のことにはさほど興味はないので「今後の仕事について」という、これまた漠然とした質問に終止した。同じく清水葵先生の鑑定。もともと人付き合いや人脈に優れている星があるので、新しいことにチャレンジしてもよいとのこと。現状に加えて新しい分野に挑戦するのも、まったく異なる分野に足を踏み入れるのもOKとのこと。それでも人脈を生かすことができ信用される星なので、そのような分野での成功が期待され今から準備しても構わないようだ。

最後に命術である四柱推命に加えて卜術であるタロットができる鎌田美穂先生に大アルカナから1枚だけカードをオープンする1枚引き方式でリーディングしてもらった。生まれて初めてのタロットだったが、記者が引いたのはカード番号0番の「THE FOOL.」だ。自分の世界が一巡し生まれ変わり、完全に自由で何事もこれからの0番なのだそうだ。トランプで言うところのジョーカーなので何にでもなれ、まだルールがない状態で新しいことをしようとするのも、いやならやめることも自由とのこと。どちらでも心のおもむくままということだろうか。カード1枚だけのリーディングで具体的な年代の明示はないものの、偶然かもしれないが四柱推命で仕事について質問した結果と似たような結論に思えた。

個人的に鑑定を受けた結果に基づく考察

実際に鑑定してもらい感じたことを率直に論じるが、感じ方やとらえ方は人それぞれなので、考え方の一つとしお読みいただきたい。

まずは当たるか当たらないかという点については、過去のことや自分のことは自分が一番知っていると思いがちだが、確かに自分には嘘はつけないのでその通りだ。鑑定師に当たり障りのないことを言われれば何となく当たっているような気になる。いずれにしても「そんな気がする」ことは大切で、自分が持つ性質について外れていると考えて全否定すればせっかくの鑑定は無意味になるように感じる。当たっていそうなところの多少で占術や鑑定師を判断しても問題ないだろうが、「当たるも八卦当たらぬも八卦」なので、よい部分だけ受け入れるとか、前述の通り隠された性質を知り開花させる方向に進むとか、そういったポジティブなとらえ方ができるようであれば価値は何倍にもなるだろう。また鑑定師も人生が(経済的だけの意味ではなく)豊かになるようにアドバイスをするプロなので、相談者がネガティブな考えにならないように伝えてくれるだろう。

そして自分ではなかなかできないことは客観視だ。その点においては自分について客観的に知ることができる占いは、自身を見直す契機としては絶好の機会だろう。友人知人で利害関係があればある人ほど率直な意見を聞くことは難しい。占いで示されようが自分で気が付こうが、己を知ることで欠点を改善し長所を伸ばす出発点になると考えれば有益だ。

占いについてのインタビュー結果概略

占いをどのようにとらえるのかについては個人の自由で、古代や中世と違いそれで政治を行うわけではないので好きなように考えればよい。記者が若い女性複数名にインタビューしたところ、全員が有料の占いを利用したことがあると答えた。悩みの有無が利用の動機になったかどうかを聞いてみたところ、悩みはないが最初からエンタメのつもりで占ってもらったという回答や、悩みはあるが結論は決まっていて背中を押してほしかったという回答が多かった。記者もそのような「占いを利用する」方法が良いと感じた。そもそも現代の占いは、個人の人生における指針を提案し、自身を見つめる機会を提供してくれ、もって相談者が幸せを感じるように精神的に導いてくれる「心の平安を提供する」存在であると考えれば分かりやすいだろうか。

そういう意味では「いいことだけを信じる」と回答した若い女性の考え方は有益な占いの利用方法なのかもしれない。積極的に占いを利用する人が鑑定結果をとらえる考え方は強弱はあろうが、極論「完全に信じ切って依存する」か「いいことは積極的に取り入れ、悪いことは参考程度に気を付ける」という2つに大別されるだろうか。果たしてどちらが鑑定を受ける側の姿勢として正しいのかといえば、記者は後者だと断じることができる。あくまでも人生を切り開くのは自分であり、その方法の解ではなくヒントを得るために占いを「利用し活用する」のが良い姿勢だと感じる。その上で、死ぬほどの悩みを抱えている人が存在するのは確かなので、そこはケースバイケースで「わらをもつかむ」代わりに鑑定師に相談すればよいのではないだろうか。鑑定師もプロなので、相談者の性質を見て、より幸せを感じてもらえるように伝えることだろう。

男性へのインタビューでは占いを利用したことがると回答した人はほとんどいなかった。しかしテレビや雑誌で見ればそれなりに気にするという回答はあり、それはラッキーアイテムやラッキーナンバーというものだった。男性は占いに懐疑的というよりも、ネガティブなことを言われる(と思い込んでいる)ことに耐性がないので利用しないのかもしれない。現代的な占いの意味を知りエンタメ感覚で悩みがなくても利用してみれば案外、「面白い」というところからスタートできるのかもしれない。

記者的な占いの結論

これまでの考察で占いは将来のことについてだけではなく、自分探しにも大いに使えることは分かった。しかし先のことを知りたいのは人間の欲求としては自然なことだ。将来のことについては誰にもわからないが、記者のオピニオンを述べると予言と預言の違いと考えると理解しやすいだろうか。どちらも「よげん」と読み漢語としてはもとは同じ意味だったが、現在では若干異なる。予言は将来に起こることを予知して明言することで、虫の知らせということはあるかもしれないが的中したしないの範囲を出ることはまずないので現在の占いの範疇ではない気がする。一方で預言は「預かった言葉」で、狭義では神やその遣いから託された言葉や神託という意味合いなので、その内容は将来のこととは限らない。占いで将来のことを論じる場合はこの預言に近い概念ではないかと考えられる。

自分が生まれ持った(占い的な)性質等の多くのパラメーターから導き出される超複雑なバイオリズムのようなものを見て、一定の将来にどのなりそうなのかを推測し、そのリズムに乗せていくためにどうすればよいのかのヒントをくれると考えられる。つまり預言をくれるのは自分自身の星であり、鑑定師は相談者が気が付いていないことを理解できるように伝えてくれると考えれば予言ではなく自分から発信される将来のことに限らない預言であると解すことができる。

「人事を尽くして天命を待つ」という古い言葉があるが、「人事を尽くす」とは人間として出来得る限りのことをやり尽くすこと。精一杯の努力と換言することもできる。そうした人事を尽くした人にこそ「天命」という神様なのか運命なのか宿命なのかはわからないが、そうした超然的な力が背中を押してくれるのだろう。それが八百万の神々と思うのであれば神社仏閣やパワースポットに行けばいいし、ご先祖様ならばお墓参りに行けばいい。宇宙を創造した唯一神なのであれば教会で祈りをささげるのも方法だろう。占いでは天命の部分も教えてくれるのかもしれないが、知ったところで人間の力ではどうにもならないことであり、むしろ人事を尽くせるように、またやり尽くす方法論として自分の性質に基づいたヒントをくれる方が人間として生きていくのに張り合いがあるし人生が楽しいものになるような気がする。

最後に、そもそも占いを受けたことがなかった記者は、鑑定結果よりも長い時間をかけて確立された占術そのもの、もう少し踏み込めば学術としての占術に関心を持った。占いの世界をもっと理解するためには占ってもらう側よりも、占う側に回ったほうが早いのではないかと結論付けた。
街中に点在する「占いの館」に立ち寄り、まだ知らない「自分を発見」してみてはいかがだろうか。

※参考記事
当たるも八卦当たらぬも八卦?信じる者は救われる?不況時に流行る占いの世界を取材した!【前編】
https://rensai.jp/446676 [リンク]

※写真はすべて記者撮影

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