【A-PAD】「国際緊急人道支援」駆け抜けた10周年 災害、気候変動、新型コロナのみならず紛争地の難民支援や台湾への「大型医療船」備えも

  by tomokihidachi  Tags :  

[筆者撮影・コラージュ]

2023年2月28日、アジア・パシフィック・アライアンス(A-PAD)10周年記念フォーラム「Beyond Disaster, Towards the Future」が東京都内で開催された。
 同団体は2012年にインドネシアで開催された「アジア防災閣僚級会合」で産声を上げた。発案者はA-PAD CEO大西健丞氏だ。大西氏が設立に参画した「(特活)JAPAN PLATFORM(JPF)」を「モデル」として「アジア太平洋地域」のNGO・企業・政府などが国や組織を超えて連携する日本発の緊急人道支援プラットフォーム」を設置した経緯がある。外務省、財務省、NGOを連携した部署で、「日本NGO連携無償資金協力」に加え拠出金、支援金、補正予算など横割り行政の多大な資金投資から運営している。
外務省では「ODA(政府開発援助)大綱」の改定がなされ、気候変動や感染症などの地球規模課題が深刻化。地政学的競争の激化なども相まってこれらと連動する食料やエネルギーの枯渇と言う経済状況の悪化が指摘されている。その中で日本の国際NGOが実務を担う「国際緊急人道支援」を行政がいかに支えていくか?日本の「ODA」の存在感を高める結果に繋がっている。
 A-PADは災害のみならず、新型コロナ感染症(COVID-19)や難民支援など「国際人道支援」を幅広く行ってきた。
 災害統計的に死亡者数ベースで言えばアジアが約4割。災害被災者統計ではアジア太平洋地域が約9割。具体的に振り返ると、インドネシアにおける「スマトラ島沖大地震インド洋大津波」やフィリピンにおける台風「ヨランダ」、「フンガ・トンガ・ハアパイ」で起きた海底火山噴火。さらにパキスタンにおける水害などからも周知のようにアジア太平洋地域では自然災害が絶え間なく集中している。インドネシア、バングラデッシュ、ネパール、スリランカにおける災害プラットフォーム構築や防災強化など、価値観の相互を乗り越える協力をすることがかつてないほど求められてきた。発災時、迅速に出動できて力を出し合い助けていける仕組みづくりを。大規模災害には日頃から備えが必要であるが、マルチアクターのステイクホルダー整備として、政府、企業、民間、NGO、社会起業家などがさらに国境を超えてアジア諸国、太平洋諸国、国連機関とも包括的な体制を構築し、各国間のネットワークの支援の輪を重層的に広げていくことが課題だ。

 自由民主党で「NGO/NPOの戦略的あり方を検討する会」責任者を務める逢沢一郎 衆議院議員は「これまで国連機関が主体的に動いてきた、国際医療ボランティアも含む国際緊急人道支援を日本を始めNGO /NPOが主役の一角を占める時代が到来した。緊急援助に取り組む欧米の組織や国連職員と同レベルで活動できるようになるのではないか。また、私は『超党派のUNHCR国会議員連盟」及び「日本ミャンマー友好議員連盟」双方ともに会長を務めている。10周年を迎えたA-PADが災害のみならず食糧難に苦しみ続ける難民支援にも今後、期待したい。経験や活動、サービス面からA-PADの視野の中にも入れるべき重要課題となるだろう」と祝辞を述べた。

 元官房長官の塩崎恭久 前衆議院議員は「私はA-PADの前身『JPF』からA-PADの誕生とその発展の10年を近くで見守り支援し続けてきた。特にNGOを中心に連携の輪がアジア太平洋各国で全体をみて助け合える仕組みづくりを日本初の地域で作る国際機関として、周囲に驚かれながらも発足に繋がる提案ができた。以来、国内のみならず国際的な災害緊急援助にA-PADは貢献してきた。今年直近、トルコの大地震による悲劇が起きた。またアジアの中でも災害が起きたとしても、安心して暮らせる社会を日台の地域含めて連携して築けるような世界を目指し、今後さらなる飛躍を祈念したい」と日台関係にも言及した。

 また列席した自民党の河野太郎デジタル大臣・内閣府特命担当大臣(衆議院議員アジア太平洋災害支援議員フォーラム事務局長)は熊本地震M.7の際、防災担当大臣だった自身の経験を踏まえ「当時、外国から訪日して被災された方に正確な被害状況や被災生活支援情報などをいかに伝えるか難航した。某IT企業にボランティアでデジタルシステム開発提供協力を頂いた。今、デジタル庁では防災DX協議会を立ち上げ、国と自治体の枠を超えたデジタルシステム整備を念頭に置いている。こういった海外との民間システム連携を利用するなど、A-PADにはこの10年を通過点としてご活躍を20、50、100年とさらに飛躍してほしい」とエールを送った。

 外務省の武井俊輔 副大臣は「A-PADは外務省から拠出金と助成金を投じて各国プラットフォームの緊急支援、『新型コロナ感染症(COVID-19)』対策活動など数多くのプログラムを実施してきた。10年を迎える実績の実現にはアジア太平洋地域における連携が必然だった。災害支援の『ハブ』としてイノベーションとコネクションをもたらす日本発祥の取り組みとしての意義や重要性が増している。共に迅速な医療支援や物資提供という活動は人道的に限りなく経験を積み重ねていく努力の賜物であり、各地域のNGO、政府、企業、災害感染症の国境を超えた国際災害支援協力の枠組み作りを通じた、さらなる活躍を期待したい」と強調した。

災害緊急援助だけではない『人為的災害』=『紛争』で食糧難の難民支援や『Civil Defense』にいかに参加するか

[筆者撮影:「パネル・ディスカッション(Beyond Disaster Management)」]

3部構成の後半「パネル・ディスカッション(Beyond Disaster Management)」に登壇したA-PADの大西健丞CEOは、設立から10年を振り返った。

[筆者撮影:A-PAD大西健丞CEO]

「日本では火山災害がおざなりにされていると思うところがある。小笠原の南に位置する『硫黄島』が年間9cm隆起している。世界記録に指定されている。英国の火山学者らが最も恐ろしい災害は『火山だ』という。火山が爆発して津波みたいな波が出来て日本、台湾、フィリピンのみならず、米国の方まで衝撃波が走っていく」。また大西氏は「我々は災害緊急援助だけを行ってきた団体だと思われている。けれども『人為的災害』すなわち『紛争』で『Civil Defense』にいかに参加していくか。スイス、ドイツ、北欧と事例があるが、ドイツが非軍事のところでディフェンスに参加するか、それも自然災害と人為的災害と一緒につい最近買い付けたかなり大きな医療船など、これから太平洋で、できれば台湾と一緒に運用したい。ウクライナ戦争以降、真剣に考えざるを得なくなった。これからアジアの朝鮮半島や台湾も含めて。台湾が仮に紛争状態になってしまったら、出入りできなくなる。しかし民間の病院船であれば近づけるだろう。」と語った。

[筆者撮影:A-PADのFirzan Hashim(フィルザン・ハシム) COO]

 A-PADのFirzan Hashim(フィルザン・ハシム) COO(スリランカ出身)は「スリランカでも一例を挙げれば捜索緊急援助活動を民間がかなり迅速に支援してくれた。救難、救助、捜索はこの10年でかなり発展したと思う。今後の気候変動へ向けた対応が元民間部門にも関わらせることができるはずだ。真に開かれた間口を開けるためにも『ネットゼロ』を2050年までに遂行するという目標に民間も参加できれば色々な諸国に支援し合うアジア太平洋地域全体として取り組むことができると考える。オーストラリアもそうだが、太平洋地域の国々がいかに協働でき、より広くリーチアウトができるのか?そのような手法を今編み出したいと切望している。気候変動は最重要の課題と考えるが、中でも今後10年、いえ、私はそれ以上先のイノベーションを重ね、そこからさらに子供たちの世代で安全な国、安全な世界に暮らしていけるようにしたいと考えている」との未来志向的意向を示した。

[筆者撮影:関西学院大学の村尾信尚教授]

 関西学院大学の村尾信尚教授は丁度「私は1998年から2000年までは外務省の予算査定を担務していた。当時、大西君がクルド自治区で様々な支援をしていたが、資金がなく日本の企業を回ってスポンサーを探していた。その際、NGO―外務省―経済界が『三位一体』となって一つのプラットフォームに支援を回せないか?意気投合した。そこからできたのが『ジャパンプラットフォーム(JPF)』だった。その後日本に限定されていたJPFが海外に進出した」と村尾氏は設立の経緯を語り、さらに「10年前の時を同じくした当時「欧州連合(EU)」がノーベル平和賞を受賞したことを受け「EUが『国家(Nation)』で『連合する(Union)』のであれば、我々A-PADはアジアを『市民社会(Civil Society)』でまとめて『ノーベル平和賞』をもらおうじゃないかという話になった。今後の未来へ向けてロシアやウクライナ、また中台など国々が対立している時でもその諸国の一般の市民やグラスルーツの人々は誰も戦争を望んでいない。少なくともA-PADは『Beyond Disaster』ではなく、『Beyond Nation』『Beyond States』へ。平和を求める私たちの声は一つだ。『人為的な災害』も乗り越えていけるよう次の10年にも期待したい」と求めた。

[筆者撮影:笹川平和財団の茶野順子 常務理事]

 笹川平和財団の茶野順子 常務理事はA-PAD設立のため最初に基金を集めた立役者だ。茶野氏の投資がなければ、前段の村尾氏が拠出した外務省からの資金援助はなかったかもしれない。  
 茶野氏は「すぐに支援したいと思った理由は3点ある。第一にJPF10年間の成功例がある。官民から資金を得て活動していくとう透明性のある資金調達でNGOはさらに専門性を高めて災害支援に優れた実績があった。第二にビジョンがある大西さんを始めとする3人の国際緊急援助NGO運営者の方々の人為的存在に非常に期待できると感じた。第三にアジアの変わりつつある現状。どの国でも経済成長を始めており、貧困層以外にも中間層が出てきている。しかし災害が多発している一方、その中でも自分たち自身でエンパワメントして災害支援をしていきたいという自主的な志を持った人材が出てきている。21世紀はアジアの世紀であり、先進国に依存しがちだった課題が今のアジアには日本からの提案を受けるだけの素地ができている。何より自国の問題解決の推進国になろうと環アジア太平洋地域の連携へのステップとなるのではないか」と強調した。

[筆者撮影:外務省の遠藤和也 国際協力局長]

 外務省の遠藤和也 国際協力局長は「開発協力(ODA)大綱」の改定が行われている。今、世界が直面している紛争や気候変動、それに伴う避難民の問題という諸所で複合的な危機に結びつき起きている地球規模課題を連携させ、戦略的思考によって対応していかなければならない。第一に災害と気候変動は切り離せない課題である。まさに『Beyond Disaster Management』が表すように災害緊急援助フェーズから復旧・復興ニーズにいかに繋げていくか?第二に前職の総合外交政策局審議官の在任中、日米豪印の複数国間「QUAD(クアッド)」枠組協力を担当していた当時からマルチなアジア・パートナーシップを念頭に置いた『災害・国際協力』など地域の結びつきが今、進みつつある。平時における机上訓練を実施することで結束を図る。第三にNGO、経済界などを含めた広い意味での民間セクターとの日本政府や公的セクターがさらなる大きな資金の動員ができるか?という長年の懸案に加えて「気候変動」にしても民間の資金をどうやって動員していけるのか?「ODA大綱」の役割は無論重要だが、外務省を触媒的にして民間セクターと政府の間でも関係協力をいかに進めるかが今の「ODA大綱」議論でも最大の焦点である。G7広島サミットの直前に催される「仙台防災枠組み 中間レビュー会合」でも防災の観点からA-PADの掲げる目標であると同時に「SDGs(持続開発可能な目標)」9カ年の成果を含み、NGO、マスコミ、横断的なセクターを開発協力でより一層深めていく」と気概を込めて展望を語った。

 大西氏はパネルディスカッションのクロージングとして、「外務省には今後、インターネット通信を復興や開発の分野にも開発協力援助に入れて欲しい。外務省が通信にお金を拠出してくれたら、呼び水的に他セクターも安心して資金を出しやすくなる機運が高まるのではないか。インターネット徴収の普及をODAでの普及という観点から考えていただきたい」と今後のさらなる支援の輪の広がりに希望を込めた。

民間災害支援連携プラットフォーム「シーマ(Social Emergency Management Agency: SEMA)」で、一人でも多くの人命を救いたい

「A―PAD」10周年記念「災害マネジメント・アワード」表彰式
日本をはじめ、インドネシア、フィリピン、スリランカ、バングラデシュの6団体が受賞したが、ここでは日本の取り組みを取り上げたい。

1)「Yahoo!(株)」親会社の「ZET ホールディングス(株)」川邊 健太郎 代表取締役社長 創設「シーマ(Social Emergency Management Agency: SEMA)」
3.11の際、「Yahoo! News」の責任者をしていた。当時、発災から5日間社に閉じこもりきりで日本の惨状を伝える体制の指揮を取っていた。しかし実際には被災した人々の役に結局のところ立っていないのでは?との忸怩たる思いがあった。次に何かあったら、今度は直接、被災者の方になれるような尽力をしようと心に誓った。2016年、熊本地震があった。物資援助など、仲間が現地支援を行ったが、一社だけでは限界がある。そんな時に大西氏から米国の「FEMA」による民間連携の話を聞いた。緊急援助における企業とNGOの協働モデルを確立。現在70数社が登録。A-PAD JAPANと共に2017年に「シーマ」を設立して以来、ほぼ全ての国内災害には対応してきた。新たな地方公共団体との連携をしながら民間企業が災害支援をしていく新たなモデルを提供できたのではないか?ただ、対象は日本国内に留まる。環アジア太平洋全域の災害は地震、台風、長雨、豪雨、火山と日本とほぼ同じだ。気候変動も相まって自然環境もますます厳しくなるだろう。民間災害支援連携プラットフォーム「シーマ」によって、一人でも多くの人命を救うことに尽力していきたい。

[筆者撮影:「シーマ(Social Emergency Management Agency: SEMA)」創設者]

「A-PAD」緊急捜索救助チーム・チーフの黄 春源さん トルコ現地提携NGO「GEAR(ギア)」との協働を語る

「A―PAD」10周年記念「感謝状贈呈式」
複数の団体が感謝状贈呈を受けたが、ここでは最も直近の「トルコ・シリア大地震」でA-PADと現地提携団体として緊急援助にあたった「GEAR(ギア)」を取り上げ、ギアと共にトルコで緊急援助支援を果たしたA-PADスタッフの活躍を伝えたい。

 1)トルコ現地 緊急援助提携NGO「GEAR(ギア)」
トルコの国全体的災害のトップに位置する連帯的な政府の組織が「首相府災害危機管理庁(AFAD)」だ。初動では今回の「トルコ・シリア地震」で7000件倒壊したという。
対してトルコの緊急援助NGO「GEAR(ギア)」は主に「都市型捜索活動(Urban Search and Relief:USAR)」に尽力している団体だ。隊員は皆、ボランティアでトルコ国内では1万2000人以上のNGO。トルコ国内に20以上の支部がありレスキューチームが常に訓練を積んでいる。
 例えば、工事現場や建設会社とも連携しながら、ビルを倒壊していくから完全に「パンケーキ・クラッシュ」になった建物を想定する設定で完全に潰れる前に訓練してください。という仮想訓練。トルコの「GEAR」はNGOとしては国内の中にも認定された「ミドル」の実力を誇っている。国連の基準で言えば、毎年「3つ」設定されている。その中で国連が取った基準は「ライト」チームだ。シフトを変えて情報収集したり、「Emergency of Operate Center :EOC」などの環境が既に整っている。

そのトルコの防災行政や地元緊急援助NGO支援さえも行き届いていなかった、忘れられた街「アデュヤマン」。
「A-PAD」傘下である「(特活)空飛ぶ医療捜索団(ARROWS)」は、この山岳の村落部にもトルコ現地パートナーの「GEAR」と連携して支援に入った。
レスキューの経験が長いという「A-PAD」事業部の緊急捜索救助チーム・チーフの黄 春源(Chun-Yuan Huang)さん。台湾出身だ。
「僕の31年間の緊急援助に関わってきた経験から支援物資は圧倒的に枯渇するし、すぐには届かない。きちんと届けるマネジメントができていない。」つまり、「プロジェクト・マネージャー」が被災現場に必要だということだ。

[筆者撮影:筆者撮影:「A-PAD」事業部の緊急捜索救助チーム・チーフの黄 春源(Chun-Yuan Huang)]

「今回の震災の緊急援助には「台湾」が物資提供協力しており、搭乗費を無償援助してくれた」という黄さん。集落のニーズを調査し、「アデュヤン空港」などから飛んで、支援物資を確保しに台湾にトンボ帰りした後、すぐトルコに再入国した。1番ニーズが高い時に「台湾」の民間や企業から個人でも団体でもトルコ支援に対して非常に力を入れていたという。
 台湾の民間企業が2社、各自「防護服」と「テント」を無償支給してくれた。当時、トルコ全域ではどこでも物資が枯渇した状況だった。そこへ調査から3日後のその夜に支援物資は届いた。最初のニーズ調査は病院が機能を止めていたので、医療従事者の方々は夜通し仮設テントで雑魚寝する患者さんたちを診察していた。最初は「医療従事者専用のテント」を支援し、その後に「医療テント物資」も2張り支給して中待合も作れるものを提供できたという「トルコでもまた新たな実績が作れた」と黄さんは胸を張る。

「GEAR」の建築専門家に聞くと、15年前からの法律が少し緩和された。また、シリア難民も入ってきて、シリアの国境近くの家がコンクリート建築なのに脆弱性があり壊れやすい。
トルコとシリアの国境からトルコに足を踏み入れたところ、あちこちに新しい建物が建っていたという。早めに建ててすぐ安値で売れるようにしたのか、古い建物以外にも極めて新しく建てられた建造物までも震災で、倒壊していた。
 「A-PAD」だったら、テントを物資支援するだけでなく、他にもやりたいことが実現可能なはず。
 被災から二週間経ち、だいぶインフラや道路の改修が進んでいた。一週目ではテントも水もなかったが、徐々に確保できるようになっていく。さらに国の行政が動き、犠牲もだいぶ減っていくから支援先の病院や最初の過程では「ゴミだらけ」だった衛生環境も改善した。スタッフもオフィスや家で30人、50人近くが床で眠っていた。プライバシーを守るためのダンボールの仕切りもないまま、床に眠っている被災者の方々。それでもトルコの「AFAD」が支援した仮住まいの中で提供された暖を取れていた者もいた。
 また、二週後には、はじめ機能していなかった病院の方も、私たちが撤収する前の挨拶に伺った時、綺麗な衛生環境を取り戻していた。被災した部分を修理したり、医療従事者も良い寝場所が確保できていた。

 黄さんは「命の現場」で長くプロフェッショナルな奉仕活動ができる誇りをもち、各国の被災地で出会う災害弱者や災害医療で関わる人々の温かさに触れて込み上げてきた熱いものに目頭を抑えずにはいられなかった。「なんか…感動する。今回もいい仕事ができて、よかった」その微笑みの源こそが黄さんを突き動かす「原動力」なのだろう。

(了)

tomokihidachi

2003年、日芸文芸学科卒業。マガジンハウス「ダ・カーポ」編集部フリー契約ライター。編プロで書籍の編集職にも関わり、Devex.Japan、「国際開発ジャーナル」で記事を発表。本に関するWEBニュースサイト「ビーカイブ」から本格的にジャーナリズムの実績を積む。この他、TBS報道局CGルーム提携企業や(株)共同テレビジョン映像取材部に勤務した。個人で新潟中越大震災取材や3.11の2週間後にボランティアとして福島に現地入り。現在は市民ライターとして執筆しながら16年目の闘病中。(株)「ログミー」編集部やクラウドソーシング系のフリー単発案件、NPO地域精神保健機構COMHBOで「コンボライター」の実績もある。(財)日本国際問題研究所「軍縮・科学技術センター」令和元年「軍縮・不拡散」合宿講座認定証取得。目下プログラミングの研修を控え体調調整しながら多くの案件にアプライ中。時代を鋭く抉る社会派作家志望!無数の不採用通知に負けず職業を選ばず様々な仕事をこなしながら書き続け、35年かけプロの作家になったノリーンエアズを敬愛。

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