2月4日、立春を迎えた奈良は雨につつまれていた。時刻は午前6時。暗闇と静寂の中、『立春朝搾り』を出荷する『春鹿』の酒蔵だけは煌々と灯がともり、人の出入りも慌ただしい。一年のうち、もっとも寒さの極まるこの日にあわせ、蔵人は徹夜で酒をしぼり、酒販店はそれを当日中に飲み手に届けようと泊まりこみで出荷のスタンバイをしている。奈良は日本最古の酒どころ。そこで醸された酒を日本一新鮮な状態で飲むことは、この界隈の酒飲みにとって欠かされない一大行事なのだ。
蔵元の今西清隆さんは語る。
「全国で39の蔵がこの『立春朝搾り』の企画に参加していますが、関西の中心(旧畿内)ではうちと、伏見の増田徳兵衛商店さんだけです。イベント性や生原酒(加熱、加水をしていない状態の酒)の人気の高まりもありますが、通常の銘柄だといくら声かけしてもこの時間にこれだけの酒販店さんは集まりません。酒販店が積極的に動いてくださるのは、新しい伝統を作り出していこうという意気込みと、確実に買い手がいるからのこと。一年に一度しかない立春に『春鹿』のお酒を飲もうと思ってくれている人がたくさんいらっしゃることを嬉しく思っています」
また大阪府河内長野市で“銘酒蔵かまだ”を営む釜田さんはこう言う。
「僕は昨日から泊まり込み。年だからしんどいけど、問屋にない面白くて美味しいお酒をお客さんに飲んでほしいからね。できのいい生酒は美味しいけど、管理も大変。気分としては“もうけ度外視”だよ。もうかるけどね(笑)」。
瓶詰めが終わったことがアナウンスされると、100人はいるであろう酒販業者が酒蔵内に通され、グループごとに作業台に配置された。
そう、酒販業者は自分で仕入れる分をセルフサービスでラベルを貼り、ケースに入れていくのだ。表情は真剣そのもの。このように一致協力した体制があってはじめて飲み手は『立春朝搾り』の恩恵に預かっているのだと知った。それを支えるものは酒に対する情熱に他ならない。一連の作業が終わったのは8時前。ここで、酒蔵から朝食の振舞いがあった。
やわらかく炊きあげられたご飯と豚汁をいただいて、長時間張りつめていた緊張がほどけてゆく。
居合わせた皆の顔からすっかり険しさが抜けた頃、再びアナウンスがあり、大阪・今宮戎から迎えた宮司らによる祈祷が始まった。荘厳な空気の中、自然のすべてに感謝し、日々の安寧を祈り、この酒が喜びの中で給されることを祈る。「酒は文化」という言葉があるが、筆者がこの日見た風景は日本そのものだった。
筆者が酒蔵を後にしたのは9時をいくらか回った頃。すっかり明るくなった奈良の街を、『立春朝搾り』を積んだ車がそれぞれの地元へと走っていた。
今年の『立春朝搾り』は日本酒度-6(甘辛の目安。0を基準に、高いほど辛く、低いほど甘い)、酸度2.0( 1.5以上が濃醇、それ以下が淡麗 )、アミノ酸1.0(1.0を基準にし、高いほど濃醇、低いほど淡麗)。やや甘口ということだが、飲み口は軽くあと口爽やかで、時間がたってもベタベタしない。 華やかな香りとほどよいうま味、かすかに残った炭酸が三位一体となり、何度でも杯を重ねられる逸品だ。
今回の取材に快くに応じていただいた春鹿・今西清兵衛商店、今西清隆社長、今西敏郎執行役員、関係者のみなさん、そして取材の助手を務めてくれた大阪・千日前“BAR 新宿コルト”新宿キーコさんに感謝します。
『春鹿』ホームページ
http://www.harushika.com/
『BAR新宿コルト』ブログ
http://shinjukukiko.jugem.cc/