スポーツに政治を持ち込むべきか

「ドーハの悲劇からの脱却」

2022年11月20日から12月18日にかけて、FIFAワールドカップが中東カタール国にて開催されている。

11月23日の日本対ドイツ戦は、優勝予想国のドイツを日本が2対1で下し、歴史的な勝利を果たした。日本がW杯にて、W杯優勝経験国を下すのは初めての事であり、所謂「ジャイアントキリング」を達成した。

巷では、今回の勝利を1993年同国開催におけるドーハの悲劇の雪辱を果たし、ドーハの奇跡と呼ぶ向きがあるが、決して奇跡だけがもたらした結果ではない。日本代表としての、これまで積み重ねてきた経験と選手の質の向上など様々な要因が、この勝利に繋がった事は言うまでもない。監督の森保一氏は、ドーハの悲劇の出場メンバーであった事も、ドラマ性を感じる要因となっている。

日本が勝利に沸く一方で、この大会には人権問題という側面がある事も事実だ。

 

「人権問題とスポーツ

日本やサウジアラビアが、歴史的な勝利を飾った裏側でこの大会自体の開催について、人権問題の観点から疑問を呈する意見が存在する。実際に抗議の意思を示す参加国や選手が存在し、国際人権NGOのヒューマン・ライツ・ウォッチやアムネスティ・インターナショナルは、FIFAに救済基金の設立を要請するキャンペーン「#PayUpFIFA」を開始した。

2022年大会の開催がカタールに決定した2010年以降、スタジアムの建設や周辺整備の工事が始まった。この工事に関して、英ガーディアン紙は、現地の過酷な環境や過酷な労働で、10年間で移住労働者の6500人が死亡し、多くの労働者の権利が侵害されているという報道をした。これによって、カタールや大会自体への抗議の熱が高まったといえる。だが、この報道についてドイツの公共放送局である「Deutsche Welle (ドイチェヴィレ)」はファクトチェックを行い、事実に反する点があるとした。また、FIFA会長は、19日の会見にて批判報道は「ひどく不当」だ、と反論している。ガーディアン紙の報道は、間違った情報から人々の意識を人権問題へ誘導している可能性がある。

なぜ、人権問題についての活動がサッカーワールドカップという舞台で行われるのだろうか。欧州では、それが社会貢献の一つと見做されるが、ロシア大会の時に開催国のロシアに対して、この様な運動は見られなかったはずだ。世界中の注目が集まるサッカーワールドカップは、自らの主義主張を示したい者にとっては格好の舞台なのかもしれない。特に、サッカーワールドカップは国家間の代理戦争と呼ばれる。実際、その様な側面がある事は事実なのだろう。しかし、選手に過度の期待を持つ事は間違っているはずだ。サッカーに限らず、あらゆるスポーツ選手が人権問題について、どう考え行動するかは選手自身に委ねられるべきであり、他者に強制されるべきではない。また、その様な「空気感」を生み出すべきでもない。今大会において選手には、純粋にサッカーに集中できる環境を提供すべきだろう。

我々は、スポーツと政治の関わり方の問題については簡単には答えが出せないでいる。過去の五輪を見ても様々な問題があった。しかし、国際大会を開催し、参加し無事に終える事で様々な人種や宗教や思想がある事を知る。それこそが世界平和に貢献するはずだ。

PN:水守 幸矢で執筆活動中。 よろしくお願い致します。 ご意見、ご感想、ご用命など→[email protected]

Twitter: KOUYAMIZUMORI