レトロな歴史ゲームはシビアで史実重視だ!
最近、昔のプレイステーション1のゲームなどが静かなブームになっているようだ。中古ゲーム屋に行っても、意外とプレイステーション1が売れていたり、メモリーカードがアマゾンでごく最近のレビューがついていたりしている。そうなってくると、
古い戦国ゲームなどもやりたくなってくるものだ。今日は、古いプレステ戦国ゲームの中でも硬派中の硬派、史実に徹底的にこだわった「戦乱」を取り上げてみたい。
冒頭の画像は、ゲームに登場する浅井長政の画像である。
ところで最近の戦国ゲーム、個人的には違和感がある。ホストっぽいチャラい感じの戦国武将が、歴史を無視した動きをするゲームが多いのだが、歴史というのはそんな甘いものではないと思うのは筆者だけであろうか。
戦国時代の平均年齢はわずか30歳であったという説もある。武士はもう嫌だと嘆きながら戦場に赴き無残な死を遂げた武将もいれば、戦場で恐怖のあまり物陰で震えていたところを討たれたものもある。
最近のゲームは、そういう戦国時代のシビアな側面を描こうとはしていない。
昔のゲームはもっと硬派だった。もっとシビアだった。歴史に忠実なゲームを作ろうと、クリエイターたちは腐心していた。
パソコンで制作された後プレイステーションに移植されたホクショーの『戦乱』も、そういう硬派ゲームの一つだ。1996年のプレステのゲームである。ホクショーは今でも健在だが「垂直搬送機・仕分け搬送機・各種自動化装置をはじめとした物流システム・機器の専門メーカー」という、実に固い会社である。名作として名高い「GETEN」シリーズや「臥竜伝」などを出した歴史シミュレーションゲームの一方の雄であった。
そういう固いメーカーが作っただけに、このゲームの硬さは徹底している。このゲーム、小谷城攻城戦・長篠の戦い・姉川合戦・稲葉山城攻め・川中島合戦・桶狭間合戦・賎ヶ岳合戦の7つの合戦を史実通りに再現しており、プレイヤーは合戦の当事者のどちらかを担当してコンピュータと戦うことになっているのだ。
戦場はクリエイターが現地踏査を行なって地図通りに書き起こした3Dグラフィックになっており、武将も「浅井福寿庵」「森本村鶴松太夫」など、史料にしか登場しないマニアックな武将まで網羅している。(武将の説明は末尾を見てね)
顔グラは史実の肖像取り込み!夜襲をかけると兵士が激疲労!
なにしろ、キャラクターの顔グラが当時の合戦図屏風や肖像画を取り込んだものなのだ。冒頭の画像を見てほしい。これが歴女が大好きな浅井長政の素顔である。これがゲーム内でそのまま出てくるんですよ?どう見ても美形ではないですね。おっさんですね。
まあ、浅井長政の画像(浅井長政画像 高野山持明院蔵)も娘の淀殿が描かせたものなので、史実に忠実な感じだとこの画像以外あり得ないんですけどね。
なお、このグラフィックを知り合いの歴女に見せたら「キモイ」「こんなの嫌」とおしなべて不評であった。某大手メーカーの美形な浅井長政のグラのほうがいいそうです…
おまけに夜中に動くと部隊が疲れ果ててしまい、「味方の藤堂高虎様は疲弊しております、休息を命じられませ」とか、いちいち文句を言ってくるのである。一々ウザいつーの!!
まあ、20キロから30キロ有る鎧を着て道無き道を飯も食わずに移動するんだから疲労もするだろうけどね…
おまけに昼夜の概念が有り、夜中はただひたすら待つだけである。飛ばせないんだぜ…
こういう苦難を乗り越えながら、敵の大将を討ち取ればクリアーなのだが、それも一枚絵がバーンと出て、解説文が出るだけである。硬派にも程というものが有るぜぇ~。ところが、この解説文、なかなか歴史をよく調べて書いているという感じで中々良いのですな。とりあえず、中古ゲーム屋で見つけたら数百円くらいで売られていることもあるので、歴史好きは迷わずゲットするが吉!だと思うんだぜ~
画像はウィキペディアより引用
脚注:
「森本村鶴松太夫」「浅井福寿庵」…
いずれも浅井家の家臣で、浅井久政の近臣。小谷落城の時、久政に従い切腹。信長公記巻六に、「ここにて浅井福寿庵腹を仕り候。(中略)下野(浅井久政)腹を召し、鶴松太夫追腹仕り名誉出来なき次第なり」とあるが、それ以外の活躍はなし。そんな人物まで出てくるんだよ。ちなみに、信長公記には鶴松太夫としか書いていないので、スタッフの現地調査で出身地を突き止めたのであろう。