< 大浦天主堂 国宝(長崎、南山手 著者撮影/RICOH GRII)>
< 日本二十六聖人殉教地のモニュメント(長崎、西坂 著者撮影/NikonD200)>
オランダ坂を登り切った所にあるグラバー邸と並ぶ長崎のランドマーク。
明治維新直後に建てられた教会であるが、これだけ立派な教会が長崎を一望できる一等地に建つ教会がすんなりと受け入れられてしまうのも、鎖国中もオランダはじめ諸外国との交流を絶やさなかった長崎ならではのことだ。
とはいえ、この教会はわざわざ西坂町にある「日本二十六聖人」の殉教地の方向を向いて建てられているとのこと。二十六聖人というのは豊臣秀吉のキリシタン禁令によって処刑された人たちで外国人や子供も含まれる。開国早々ローマ・カトリック教会の手で長崎の地に教会が建てられた…ということは、どうやら当時のローマ・カトリック教会の世界ではこの「未開で野蛮な日本という国で犠牲となった26人のキリスト教徒」というセンセーショナルな過去の事件の話題でもちきりだったらしいことが何となく伺える。
今で例えるなら「慰安婦少女像」をどさくさに紛れて日本のどこかに置かれてしまった…というのと同じようなことで、随分嫌味なことをされてしまった気がしないでもない。当時の長崎のキリスト教徒たちも過去の日本政府を糾弾するようなことに喜んで手を貸して…というような構図も自ずと想像できる。この手のセンセーショナルな事件に群がる人たちの構図って今も昔も変わらないんだなぁと改めて思う次第。
今では誰もそんなことを気にしないだろうけど。
了