< 熊野磨崖仏全景 大分、豊後高田 著者撮影/iPhone)>
< 不動明王 大分、豊後高田 著者撮影/iPhone)>
< 大日如来 大分、豊後高田 著者撮影/iPhone)>
< 鬼の石段 大分、豊後高田 著者撮影/iPhone)>
大分県への一人旅は別府で三泊。地方への旅は観たいポイントが距離的に離れていることが多いので、レンタカーが断然便利だ。大分空港で1日2000円で軽自動車をレンタル。梅雨時で連日雨の予報だし実際雨が降ってるが、雨だから行けないなんて言ってられない。着くと3時過ぎるなぁと思いつつも人里離れた熊野磨崖仏に向かう。
しばらく川沿いに設けられた緩い坂道を登っていくと、鳥居があって岩が荒っぽく階段風に積み上げられた急勾配の坂道が現れる。これが磨崖仏が鬼に命じて一夜にして造らせたと伝えられる石段だ。こんな山奥までこれだけの数の岩を運ぶのはさぞかし重労働だったろう。ちょっと雑な仕事になってしまったので「鬼がやった」ということにしておきましょう…ということか?
石段を登り始めたところで静かだった森が一斉に「シャーシャー」と唸り始める。雨が止んでクマゼミが一斉に鳴きはじめたのだ。さらに薄暗い森の中を息をらしながら石段を一人登り続けると七割ぐらい上がったところの左手にパッと明るい平地が現れて…磨崖仏だ。
磨崖仏 千年が過ぎ 蝉が過ぐ
信心を 石段で見る 磨崖仏
よう来たと 労を労う 磨崖仏
鬼の石段途中の句碑に刻まれた俳句だが、今まさに彼らが経験したのと同じことを自分が経験しているのだなぁ…と改めて「きて良かった」と思っている自分がいた。
千年の昔から多くの人が磨崖仏を見たい一心でこの荒っぽい石段を上って来たことだろう。自分もその一人に加われて光栄だ。一人きり、静かな(蝉はうるさいが)森の中で磨崖仏と向き合う…なんて満ち足りた時間だろう。
左の大きい方が不動明王、右が大日如来。不動明王はユーモラスで親しみやすいタッチ、大日如来はむしろ写実的で端正な造形。彫った人が違うのじゃなかろうか?そもそも大日如来の付き人であるはずの不動明王の方が大きくて主役然としているのはどういうわけだろう?そもそもこれって完成品なんだろうか?色々と疑問は湧いてくるが…。
実は磨崖仏のことはあんまりよくわかっていない。石なので炭素年代分析も金属の成分分析もできない。言い伝えによれば奈良時代に彫られたとのことだが、日本の仏教の歴史と照らし合わせて考えるとどうも辻褄が合わない気もする。
了