桑名正博さん逝去 密造マッコリ酒を思い出す加賀テツヤとの友情エピソード

  by 中将タカノリ  Tags :  

7月15日に脳幹出血をおこし意識不明のまま入院していた歌手の桑名正博さんが26日午後、亡くなった。59歳だった。

筆者は生前、何回か桑名さんとお会いしたりステージで共演させていただく機会があった。この記事を書くにあたって手持ちの写真を探してみたが、見つかったのはピンボケの演奏風景が一枚きりだった。

加賀テツヤ(ザ・リンド&リンダース)というミュージシャンの追悼イベントでのものだ。桑名さんは、僕を音楽の業界で引っ張ってくれた大恩人、加賀テツヤの親友だった。1970年代半ばにユグドラジルというバンドで共に活動していた頃からの関係だったそうだ。ファンキーなキャラクターながら意外にお坊ちゃま育ちという境遇が共通していたからだろうか。2人の友情は1970年代末、加賀テツヤが大麻取締法違反のかどで芸能活動がしづらくなり、アメリカで半引退生活を送っていた時期も変わることなくはぐくまれ、加賀テツヤが亡くなるまで続いた。

僕が初めて桑名さんに会ったのは2006年7月30日。加橋かつみさん(ザ・タイガース)、真木ひでとさん(オックス)、そして加賀テツヤなどグループサウンズのそうそうたるメンバーを集めたジョイントライブの打ち上げにお呼ばれした時だった。少し遅れてやって来た桑名さんは、少し自慢げに

「密造のマッコリ酒やねん。呑もや!」

と白濁した液体入りのペットボトルを僕に手渡した。少年のままのような笑顔と派手な立ち振る舞い。豪快そのものの人柄に少し圧倒されながらも、僕はあっという間に桑名さんのことが好きになってしまっていた。甘くて濃厚なマッコリ酒だった。

その後も桑名さんに出くわすのは音楽イベント会場、打ち上げ、天神祭りの会場などいつもにぎやかな場所ばかり。そんなに長く会話することはなかったので、直接的には“お祭り男”の面以上のものは知り得なかったが、加賀テツヤを通して、不遇なアメリカ時代にあえて気遣ってよく連絡をくれたエピソード、恵まれない子供達へのチャリティー事業に熱心なことなど聞き、懐の深さを感じていた。人の好さ、善行をおこなっていることを前面に出したくないというシャイさが、世間には必要以上にコワモテな印象を与えてしまっていたのだろうか。いま客観的に事跡を調べていると、少なくとも晩年の桑名さんは相当な人徳家、名士だったことがわかる。

加賀テツヤ追悼イベントの際にもあえて終演の直前まで会場に姿を見せず、飛び入りのような体で曲を披露した桑名さん。無理に作った笑顔がなお悲しさををただよわせていたが、まさかこんなに早く親友の後を追うとは思ってもいなかっただろう。日本の音楽シーンはまた一人惜しい人物を失ってしまった。桑名さんのご冥福をお祈りしたい。

 

中将タカノリ

■シンガーソングライター、音楽・芸能評論家 ■奈良県奈良市出身 ■1984年3月8日生まれ ■関西学院大学文学部日本文学科中退 2005年、加賀テツヤ(ザ・リンド&リンダース)の薦めで芸能活動をスタート。 歌謡曲をフィーチャーした音楽性が注目され数々の楽曲提供、音楽プロデュースを手がける。代表曲に「雨にうたれて」、「女ごころ」(小林真に提供)など。 2012年からは音楽評論家としても活動。さまざまなメディアを通じて音楽、芸能について紹介、解説している。

ウェブサイト: 【公式サイト】 http://www.chujyo-takanori.com/ 【公式ブログ "夜はきままに"】 http://blog.chujyo-takanori.com/

Twitter: chujyo_takanori

Facebook: takanori.chujyo