100円で花に触れる機会を提供する『hanane』で生れて初めてブーケを作った!ところで多肉はその後どうなった?

  by 古川 智規  Tags :  

以前に書いた巣ごもりアイテムの記事で、「多⾁植物の寄せ植えキット」を取り上げた。そのキットを発売しているhananeを改めて取材したのでレポートする。同時に多肉植物のその後についてもお伝えする。
普段は花に何の関心もない方にも、気軽にワンコインで花が手に入る「チャンスフラワー」や、楽しく作って持ち帰る「花会」まで取材したので、花に触れる契機にしていただければ幸いである。

※参考記事
ステイホームでもできることはたくさんある!巣ごもりアイテム特集 ~モノづくり編~
https://rensai.jp/326277 [リンク]

1本100円の「チャンスフラワー」

さて同社では「花つみ」イベントとして、虎ノ門の店舗その他において、1本100円のチャンスフラワーなるものを販売している。記者を含めて花屋さんに立ち寄る機会がほとんどない方は、花というのは値段とハードルが高いというイメージがあるのではないだろうか。実際にその通りで、切り花はマグロ等の鮮魚や野菜と同様に市場(東京では大田市場・葛西市場を中心に5市場)で競争売買され、流通経路をたどって街の花屋さんに並ぶ。よって野菜と同様に一定の規格内の花でないと標準化ができず売買に適さない。野菜でもそうだが味に関係なく曲がっているものや大きさが合わないものは出荷することができないのと同様に、花も規格に合わないものは通常の流通経路には乗らない。

同社ではそれらの規格外の花を農家から買い取り、店頭でチャンスフラワーとして販売している。当然ながら規格外なのである程度の不都合は受忍しなければならないものの、通常1本100円で買えるのは造花くらいなので生花が手に入るということを考えれば、手軽に生活環境の中に花を添えることができるメリットの方がはるかに大きい。もちろん、一般の規格品も置いてあるので贈り物の花束を購入する際にはそちらを選べばいいのである。

取材中にはひっきりなしに虎ノ門界隈のOLさんが手に花を取っては買い求めていく姿が見られた。中には明らかに通りかかっただけだが、100円の値札を見て足を止めた様子の人も見受けられた。
同社の石動力CEOは、「チャンスフラワーそのものはさほど利益は出ません。100円ですからね。しかし農家にとっては規格外のものを買い取ってくれるメリットが、消費者にとっても普段自分で飾る程度の花が100円で手に入るという双方にメリットがあると考えています。それで普段は花にまったく触れる機会がない多くの方に100円で気軽に花を手に取っていただければいつか何らかの機会に、例えば歓送迎とかパートナーにとかパーティーにとか、そういう場面で花束を必要とする場面がやってきますよね。その時にウチを思い出して使っていただければという思いはあります。その意味では、多くの方に100円で実際に花を手に取っていただきたいと考えています」と語ってくれた。
1本なら1輪挿し、まとまれば花束とポケットにあるコインでまずは花に触れてみてはいかがだろうか。その後のステップは後述する。

「多肉植物」その後…

最初に記者が同社を知るきっかけとなった「多肉植物寄せ植えキット」はその後どうなったのか。
いろいろと知らないことが多かったおかげで若干の後悔は残るが、まず根から土を落とす際に葉がポロポロと抜け落ちる。通常であればそれは仕方がないので捨てるのだろうが、多肉の場合は捨ててはいけなかった。実は葉っぱ1枚からでも増やすことができたからだ。
急に秋が深まり紅葉や落葉する種類や、スポンジ内の根だけでは飽き足らずに茎から根を出し始めるもの、異様に縦に伸び始めたもの、葉を広げて横に成長し始めたものといろいろである。
このまま無秩序にに成長していくといずれ剪定が必要になるが、剪定で落としたものからも増やすことができる可能性があるので捨てるのは厳禁だ。

落葉した葉っぱは捨てずにスポンジの上に並べておく。すべての種類で可能なわけではないが、栄養繁殖ができる種の場合は、取れた葉から芽や根が出てくる。これを葉挿しという。
多肉植物は葉に多くの水分を含むので、落葉した葉からでも内部の水分を利用して繁殖することができるものがある。先に芽が出るものや根が出るものとさまざまであり、それを観察するのも楽しい。敷き詰めておいた砂利は観察の邪魔になるので一時的に取り除いた。

根が出たところでスポンジの切込み部分の上に置いておくと、勝手に根がスポンジの隙間に入っていったのが面白い。種子も球根もなく、受粉したわけでもないのに増やせるのは多肉植物の楽しみの一つと言えるだろう。まだ成功していないが、接ぎ木や挿し木にも挑戦したい。

「花会」でブーケ作りにチャレンジ

チャンスフラワーで花を普通に手に取るような習慣が付けば、自分でアレンジしてみるというのはどうだろうか。同社では、いけばな教室も行ってるが、ハードルが高いと思う方はフラワーレッスンとしての「花会」が用意されている。記者が参加したのは夜の部でテーマは「パンプキンを使ったハロウィンブーケ」。初心者というか、花を自分で選んで何かをするということ自体が生まれて初めての記者は若干の尻込みをしつつも、虎ノ門の店舗に向かった。

夜の部は夕食としてのお弁当と、お酒が提供される。一応お酒は飲み放題だが、気をよくして飲みすぎると花どころではなくなるので、ほどほどに。

ソーシャルディスタンス確保ため定員を減らしていて参加者は記者を含めて4名だった。まずは講師で同社CEOの石動氏(先生)が手本を見せる。花選びからスタートなのだが、与えられた花を使うのではなくお店にあるものを自由に好きなだけ選んで使うので後述するがセンスが必要なところだ。

先生の完成品がこれ。お手本ではあるが、この通りに作るのではなく自分のセンスと想像力で選ばなくてはならないので、あくまでも束ね方や挿し方の見本ということになろうか。

お店に並べられた数々の花の中から、厚紙で作られたオリジナルの運搬用パッケージに入る本数の範囲内で選んでいく。何を何本選んでもいいし、選ばなくても構わない。そこに作者の個性が現れる。

参加者が選び始める。記者を除いた参加者3名は何度も経験しているいわばベテランで、何度もテーブルと花との間を行ったり来たりしながら自分が選択した花がイメージに合うのかどうかを確認していた。

記者が選んだ花の数々。というよりも花は最後まで選べず、どちらかというと「草」系統のものばかりを先に選んで、最後に花を数本と、メインにしようと思っていた観賞用のトウガラシを選択した。また王道であるバラは「いかにも」という感じがして記者のイメージではなかったので白いバラを1本だけ入れた。

写真は記者がブーケを作っている最中だが、一度利き手とは反対側の手に花を持ってしまえば、完成するまで離せないので1本1本左手の中に草花を挿しながら乏しいイメージを目いっぱい膨らませて手早く完成にもっていく。
ブーケの難しいところは花束とは違い、明確に向きがあることだ。この場合は正面から見るという原則がまず最初にあるので、花や草の向きと上下左右方向の立体感やボリューム感を考慮する必要がある。記者の場合は左右はともかく上下方向は花がよく見えるように高さを考えたつもりだ。

特にこだわったイメージもセンスもないために真っ先に完成させてしまった記者は、ブーケをしばる前に先生に見てもらう。手を放して先生の手に委ね手直し中。
先生の第一声が「初めてなんでしょう?カタチになってるなぁ!」だった。記者には最高のほめ言葉でこの上ない恐縮とともに、心の中でガッツポーズ。そして先生は全体的なバランスに問題を感じたのか、白バラを1本だけ足して体裁を整えてくれた。最後は記者の手に戻ってきて、自分でブーケをしばり完成させる。
石動氏によれば、「これは毎回そうですが、性格が出るんですよね。なので個性を最大限尊重して大きな手直しはしないですね。バランスを考えて整える程度です」とのことだった。

お店のスタッフが持って帰れるようにきちんとパッケージングしてくれてハロウィンブーケの完成である。
ベテランさんの中には、この包装の仕方まで盗み取ろうと教えを乞う参加者もいて、見ていて向上心は大切だと痛感した。

参加者全員の完成品である。記者のものは同社広報担当の河野さんに持ってもらい撮影した。
参加者の一人は「私もまったく花に触れる機会はなかったんですよ。だけど、花を触っている自分が充実しているというか、好きというか、かっこいいというか、そういう感覚が出てきてはまってしまいましたね。いつでもすぐそばに花があるという環境は今までにない経験なので、精神衛生上とてもいいことだと思います。完全に自己満足ですけど、自分で自分を満足させることってあまりないですよね。そういう意味では環境があまり変わらない今の状況ではなおさら自己満足で良かったと思っています」と語ってくれた。
この感覚は記者も大切だと思う。人との直接のかかわりが少なくなる中で、花に限らず自分で自分を励ますことができるほど日常や自分に満足できる人がどれくらいいるだろうか。そう考えると短時間であっても充実した時間を過ごす一つの手段としては非常に有意で、大人も情操を向上させる必要があるのではないかとさえ感じた。

生花なので各自が持ち帰るとじきに枯れてしまう運命だ。4つのブーケを集合させて撮影できるのは、これが最初で最後のはかない瞬間である。花の選択もボリューム感もまったく違うそれぞれの個性あふれるブーケだ。なんとなく撮影の流れで批評会になり、花会はお開きになった。
ご飯を食べてお酒を飲みながらの花会は非常に楽しく、記者には非日常の時空が流れているような気がして新鮮だった。ただし、これをもって夜の地下鉄を3本乗り継いで帰宅するのは初めての経験の記者には恥ずかしかった。

やっとの思いで持ち帰ったブーケを玄関ドアにかけてみた。ボリューム感は満点であるが、ブーケが左右方向に少し広がってしまったのかもしれない。次回参加する機会があれば、花を挿す工程としばる工程に注意したい。

このきれいなパッケージを外すのは忍びないが、生花を長く持たせるためには、早く生けかえて新鮮な水に浸さなければならない。しかし、よく考えてみたら花を自分の家に持ち込んだ経験がないので花瓶がないということに気が付いた。
仕方がなく手元にあったコーヒーショップのテイクアウトカップに水を入れてブーケを挿した。これはこれでいい感じだと自己満足する。

とはいえブーケを持ち帰ったパッケージが忘れられず、カップごとパッケージに押し込んでしまった。これで壁掛けができ日常の生活環境の中に自分で作ったブーケが「鎮座」することになった。こうしたことの副次的効果は大きく、外出先から帰宅した途端に部屋に花の香りが漂っていておどろいた。見るだけではなく、花が鼻を刺激するというシャレのようなことが実現したのである。

植物を鑑賞することを「愛でる(めでる)」と表現するが、この言葉には愛する・いつくしむという字面の意味のほかにも、「大切にして感動しほめる」という意味がある。これは極めて日本的な感情表現をも含む、古来からその意味も使い方も変わっていない日本語の古語である。ヒトの遺伝子には植物を愛する感情が刻まれているのだろうが、特に日本人にはこの「愛でる」という感情があるからこそ、花に限らず樹木でもコケでも岩でも美の表現として積極的に使ってきたのだろう。社会がギスギスする今の時期こそ、改めて植物を「愛でる」心を育みたい。花を持って地下鉄に乗る自分がかっこいいと思えるにはまだまだ修行が必要なのだろうが、それもまたいいではないか。

※写真はすべて記者撮影

乗り物大好き。好奇心旺盛。いいことも悪いこともあるさ。どうせなら知らないことを知って、違う価値観を覗いて、上も下も右も左もそれぞれの立ち位置で一緒に見聞を広げましょう。

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