今は、ツイッターや、インターネット・メールのシステムで、
一般市民が有名人に対して、対等な立場で、対話できる環境が整った。
これは、有名人、一般市民双方にとってメリットがあるのではないかと思っている。
しかし、ツイッターやメールの短所は、
文字数に制限があったり、
書き手(送信側)の作文力の未熟さから、
送信側の真意が、きちんと正確に、相手に伝わらないことが多い。
時には、受信側から、逆上したような返信があったりして、
「オレの送信、どんなふうに相手が受け取ったのだろう・・・」
と、びっくりさせられることもある。
だから、送信する場合は、よほど慎重に、作文を構成しなければ、
相手に真意が正確に伝わらない。
そういうデメリットも、十分承知した上で、
毎日毎日、ツイッターに向かう私(=ふくやまひろし)は、
インターネット環境の向上に、大変に感謝している。
2012/09/24現在、
世界中で、PCに向かって、ツイッターをやったり、メールをしたり、ブログを書いたり、
世界中の一般市民が、膨大な文字を読むこと・相手に真意伝わるように、作文を構成することを、毎日毎日、日常的に行っている。
これは、インターネット環境が整う前の社会では、考えられないことだった。
これらのインターネット環境が整えば整うほど、私たちが手放したもの、
それは、新聞である。
インターネットの普及とともに、私たちは、新聞を取らなくなった。
おそらく、新聞業界は、その購読数の減少に、アタマを悩ませているに違いない。
しかし、よく考えてみると、私たちが手放したのは、
「新聞“紙”」のシステムであって、
「新聞」のシステムではない。
私たちは、「新聞紙」は取らなくなったが、
「新聞社」のニュースは、インターネットで、毎日毎日、接している。
それも、膨大な量だ。
先日、新聞協会が政府に、「購読費削減の撤回要望」を提出したニュースは、記憶に新しい。http://www.sankeibiz.jp/compliance/news/120921/cpd1209211721009-n1.htm …
これは、“役所が率先して新聞を読まなくなると、国民に対して、活字離れ・情報離れを助長してよろしくない”という内容のようだ。
私的には、
「まあ、恥ずかしげもなく、こんな作文をつくったものだ・・・」
と、あきれたというか、バカにする気持ちが出てきたというか、
非常~~~に残念だった。
世界中の一般市民は、インターネットの普及により、
新聞だけの時代より、遙かに大量の活字を読んでいるし、
こちらから情報を発信する(作文する)機会も激増している。
そのことを、新聞社は、知らなかったのだろうか?
それとも、知っていて、あんな、バカバカしい要望書を出したのだろうか?
もはや、日本の新聞社は、お役所にたよるしか、生き延びることができないほど、落ちぶれてしまったのだろうか??
それとも、日本の新聞社は、
「尖閣問題を煽って、日本と中国を戦争に持ち込み、その提灯記事を書いて、読者を獲得する・・・」
くらいの戦略しか、残されていないのだろうか?
こんな冗談を、思い起こさせるほど、
あの要望書は、くだらないものだと、
(ふくやまひろし)は思います。
(ふくやまひろし)