部屋中をモノで埋め尽くし…エモすぎるパパの愛
亡き恋人、大君によく似た異母妹・浮舟。薫は彼女に運命的なものを感じつつも、身分の低い相手と関わることをためらいます。それもそのはず、彼女は実父の八の宮に見捨てられた後、母の中将の君と共に受領の常陸介(ひたちのすけ)の連れ子として育った田舎娘。ここで常陸介とその家族の様子が詳しく語られます。
常陸介はもともと政府高官の上達部の血筋で、一門も裕福で立派。そのため介自身もプライド高く、派手な生活が大好きです。先妻との間に数人の子供をもった後、浮舟の母・中将の君との間に5、6人の子がありました。
もとは結構いいところの出身だったにも関わらず、若い頃から陸奥(現在の東北地方)や常陸(茨城県)などの国守を歴任したためか、すっかり田舎紳士然としてしまい、お国なまりが抜けません。そのせいか上流階級に対するコンプレックスがひどく、京に戻って来た今は中央政府のお偉いさんにゴマをすってヘイコラしています。
弓が上手な一方で、琴だの笛だのはからきしダメ。そしてモノの真贋を見極める眼識も、審美眼もゼロ。しかしお金だけは有り余っているので、それ目当てに女房らが身分の上下を問わず集まって、屋敷の中は華やかです。
若くていい感じの女房たちが衣装だけは立派に整えて、貴族がやるように歌合わせだとか、物語の会だとかを開いて”下手なサロンごっこ”をするので、そこへまた男たちが群がり、毎度派手にどんちゃん騒ぎしていました。なんやかんやで若い人が集まって盛り上がっている、羽振りの良い家です。
介は連れ子の浮舟を冷遇する一方、自分の子供達を可愛がり、特に中将の君との最初の娘を溺愛していました。年は14、5歳で、色白でふっくらして髪は黒くて長い……という当時の美人の条件以外には取り立てて言うところもない、平凡な娘です。
しかし介にとってこの子は天使。宮中で音楽を教える先生を招いてお琴を習わせ、一曲マスターするごとに先生を伏し拝み、膨大な御礼の品を贈ります。今で言えば、一流のピアノやバイオリンの先生に、わざわざレッスンに来てもらうような感じでしょうか。娘がちょっと難しい曲で先生と合奏なんかしようものなら、大感動してあたりを憚らず号泣する有様。パパ、エモすぎる。
彼の「いっぱいあるのはいいことだ」哲学は至る所に反映され、部屋の中もパパが買ってきた調度品やお道具であふれんばかり、娘本人はその中からようやく目だけをのぞかせているというからすごい。そんな引っ越し前夜みたいな部屋で暮らすのも大変ですね。
「この子が一番!」娘を巡り夫婦でモンペ合戦
親バカすぎる夫に、中将の君はかなりシラけていました。仮にも宮家の女房だった彼女はいくらか分別もあるので、娘がお琴を弾けたくらいでそこまで感動しません。実父に捨てられた浮舟を愛しむ中将の君と、自分の子だけが可愛い介。互いの推し娘が違うために、夫婦の間では常にそれが諍いの種です。
常陸介が「なしてそんなに冷てんだべ。浮舟ばっかしかわいがって。オラの娘はどうでもいいんだべ。なーに、母ちゃんだけが親じゃねえ。父ちゃんが母ちゃんの分まで、大事にしてやっからな」といえば、中将の君は「浮舟が差別されて可愛そう、私が頑張らないと!」と、こうして娘を巡るモンペ合戦は常にエスカレートしていく状態。エンドレス。
実の娘には有り余るほどのモノも衣装も教育も与えるのに、連れ子の浮舟には何もしてくれない夫。この人に何を言っても無駄と、中将の君は自衛策を講じます。
例えば、職人に作らせた調度品・手回り品の中で、特にいいものは浮舟用に取っておき、B級品の方を夫に「こっちの方が立派です」。モノの値打ちがわからない介はそれを真に受け、実娘の部屋に並べ立てている……というわけです。
モノはそれでもいいですが、大変なのは婿選び。先妻の娘たちをそれぞれ嫁がせた今、次は浮舟の番。しかももう20歳を過ぎているので、当時でいえば晩婚。この不憫な、愛おしい娘を早く誰か良い人と結婚させたい。そこで、屋敷に集う若者のひとりに白羽の矢を立てました。
「誰もいいとは思ってねえんだよ、でも……」評判の若者の裏の顔
彼の名は左近の少将。22、3歳位で、性格も落ち着いていて学問もできると評判ですが、目立ったところのない人です。最近離婚し、新しい奥さんを募集中とかで、熱心にプロポーズをしてきます。
やや物足りない感はありますが、これより上の身分の人は結婚を申し込んでなんか来ない。薫が申し出てくれたのはもったいないけど、釣り合わない関係は不幸の始まり。(まあこの人なら無難だろうし、浮舟を大事にしてくれるでしょう。こんなに可愛らしい姫ですもの)と、中将の君は仲人を通じて日取りを決め、夫に内緒で準備を進めていきました。
少将の方でも「早く結婚したい」と言ってきたので、すべてを独断で運んできた中将の君は少し不安になり、仲人に浮舟が常陸介の実子でないことを明かしました。
それを聞いた少将の態度は一転。「聞いてないぞ。実子じゃない娘と結婚なんて、みっともない。ちゃんと身辺調査したのかよ。テキトーな話を持ってきやがって」と仲人を責めます。
仲人は口のうまい、腹黒い男でした。「いえね、私の妹があちらに勤めておりまして、そこから「娘たちの中で格別に大切にされている姫」と聞いていたんですよ。まさか連れ子とは思いもよりませんで。
器量よしで気立てもよく、母親がいたく可愛がっていて、良いお婿さんをと躍起になっていると言うんでご紹介したまでです。決して、いい加減な縁談を持ってきたわけではありません、ハイ」と自己弁護。
少将はニヤリといやらしい笑みを浮かべて言います。「だいたいな、あんな受領の家の婿になるなんて、誰もいいことだとは思ってねえんだよ。でも、今はみんなやってる。
なんでオレが介の娘と結婚したいかって、カネがほしいからだよ。カ・ネ。出世すりゃ、美人だろうが家柄の良い娘だろうがどうとでもなる。だが、理想や風流を追い続けて、挙句の果ては惨めったらしい貧乏生活なんて、オレはごめんだ。
オレはとにかく安定した人生を送りたい。今は若くて薄給だからこそ、カネのある義理の父に経済的なサポートをしてほしいんだ。
なのに連れ子だって? そんなことしたら、実子でもない娘に通ってまで常陸介に媚びたいのかって思われるだけじゃねえか。すでに先妻の娘と結婚してる奴らからもバカにされるのがオチだ」。
やれ人柄が良いだのなんだのと言われていた少将は、こんな男だったのです。安定した人生を送りたいという気持ちはいつの時代でも万人に共通する願いですが、それにしても随分露骨でいやらしい。カネ、カネ、カネ。
そこへ拍車をかける腹黒仲人。「それでは実の娘とのご結婚を検討されてはいかがです。まだ若すぎる位でしたが、常陸介の秘蔵っ子だそうですよ」。
さすがの少将も「手のひら返して姉から妹に乗り換えてってのも、どうなんだろうな。でもまあとにかく、オレは常陸介を見込んで後見人になってほしいんだ。介に話してうまくいくもんなら、やってみてくれよ」。
仲人はすぐさまこれを伝えにいきました。
「ご縁が流れていってしまうかも」腹黒仲人の巧みな話術にご用心
常陸介は呼んでもいない男がズカズカ上がりこんで来たのでご立腹。しかし左近少将の名前を出されて渋々応じます。仲人は、極秘裏に妻の中将の君から浮舟の縁談を預かったことを打ち明け、まるで少将が第三者から連れ子との結婚を非難されたかのように装って言います。
「常陸どのを頼りがいのある方と見込んで申し込んだことで、血のつながらない娘御がいるとは知らなかった。お許しいただけるのであれば、当初の希望通り、実のお嬢さんとの結婚をお許し下さい」。
これを聞いて介は一気にご機嫌。「そうですか、それは実に嬉しいことです。妻はワケアリの姫のことにばかりかまけておりましてな、いやはや、私の不出来な娘をご所望でしたか!!
とはいえ私にとっては命に変えても良いと思うほどでございましてね。とかく今の時代は結婚して不幸になる話も多いですから、どうしたものかと考えあぐねて手元で可愛がっておったのです」。
さらに介は若い頃、少将の死んだ父に仕えていたことがあるといい、息子の少将にもなんとかして近づきたかったが、長く地方にいたので接点も持てず残念だったと言います。介からすれば、昔の主のお坊ちゃんがわざわざ自分の娘と結婚したいと言ってきてくれた!これはもうエモくならずにはいられません。
仲人は(しめしめ)と内心ほくそ笑みながら、少将の未来がいかに有望であるかを並べ立てます。
「来年には四位におなりになるのは確実です。帝が直々に「何代にも渡って忠実に仕えてきたそなたに妻がないとは。早くよい妻を迎え、しっかりした後援者を得なさい。そうすれば今日明日にでも上達部にしてあげよう」と仰ったとか。それほどご信任の篤いお方なのです。
お人柄も上品で誠実で理想的なお方ですね。でもおかげであちらこちらから引く手あまた、いろんな家が婿にしたいと狙っています。常陸どのがためらっておられると、このご縁は他に流れていってしまうかもしれませんねえ。本当に、あなた様のためを思ってこう申し上げるのです」。
早いもんがちと言わんばかりの仲人のクローズドトーク、なかなか見事ですね。どうにも怪しいですが、宮中の事情など知らない常陸介はすっかりそれを信じ込んでニッコニコ。
「陛下がそうまでおっしゃるなら、何と安心なことでしょう。只今の収入など心配ご無用。私が生きている限り、頭の上にもお祀りして差し上げます。いえ、死んだとてすべての財産はこの娘に譲るつもりです。
それほどに、多くの子供達の中で格別に愛している娘でございます。この子を幸せにしてくださるのなら、あなた様が大臣になるための費用でもなんでも、いくらでも出して差し上げましょう。このご縁は、少将どのにも私の娘にとっても、実にWin-Win、というところでしょうかな」。
仲人はこれを聞いて速攻で少将のもとに戻りました。彼は(大臣になるための費用だって!)とあまりにも大げさな話に田舎じみたものを感じましたが、実際にそこまで出し惜しみをしない心づもりなのはありがたい、とニヤニヤ。
「で、介の妻にはこうなったことは伝えたのか。随分真剣だったから、急に鞍替えしたことがバレたらあれこれ言われるんじゃないか」。
仲人は食い気味に「気にすることないですよ。妹娘も母親が大切にしていたことは間違いないんですから。ただ、連れ子が20歳なのを気にして、そちらの結婚を焦っていただけです」。
連れ子の姫こそが、一番大事にしている娘だって言ったの、お前じゃん……。と少将はこの口の減らない仲人に不信感をいだきますが、とにもかくにも常陸介が自分のパトロンになってくれるのはいいこと。最初こそ誹謗中傷があるかもしれないが、長い目で見れば安定した暮らしを手に入れるほうが大事、と結論づけ、日取りはそのまま妹と結婚しようと決めました。
さて、浮舟の婚約者がカネ目当てに妹の方に乗り換えたとは知らない母は、少将との結婚式を数日後に控え、念入りに支度をしていました。
簡単なあらすじや相関図はこちらのサイトが参考になります。
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