生前には認められず、死後に評価されるようになった人物は数多くいます。でも逆に生前に評価が高く、その後に評価が落ちた人物はそれほどいないのではないでしょうか?
その稀な人物のひとりが、20世紀前半に活躍したアメリカの技術者、トマス・ミジリーです。
ミジリーは多くの有益な発明をした技術者として賞賛を浴びた人物ですが、今では地球の敵とされるほどの最悪の評価にまで落ちています。
トマス・ミジリーはどんな功績を残し、どんな罪過を与えたのか、その功罪について紹介してみたいと思います。
トマスミジリーの功績
ミジリーはアメリカの自動車会社ゼネラルモーターズの子会社に研究員として入社し、その後ゼネラルモーターズ・ケミカル・カンパニーで副社長まで務めました。
100を超える特許を取得し、優秀な研究者として尊敬を集め、数多くの賞を受賞し、全米発明家殿堂入りを果たしたほどの人物です。
そのミジリーの発明の中に、世の中を変えたと言ってもいいほど大きな業績がふたつあります。そのふたつの業績を紹介しましょう。
ガソリンの改質
ひとつ目は、ガソリン改質方法の開発です。
1908年に、フォード社が大量生産方式のT型フォードを発売し、ガソリン車の普及が始まりました。しかしガソリン車にはノッキングを起こしやすいという欠点がありました。
ガソリンエンジンは、ガソリンと空気の混合気をピストンで圧縮し、そこに点火することでピストンを押し上げ、それを動力として取り出すものです。
しかし、点火とは違うタイミングで着火してしまうことあり、それが異音や振動、燃費の悪化を招いたり、エンジン自体の寿命を縮めたりします。これがノッキングです。
ミジリーは、1921年にノッキングを起こしにくいようにガソリンを改質する方法を発見しました。
その後、ガソリンはミジリーの改質方法を使ったものが使用されるようになり、自動車の本格的な普及につながりました。
安全な冷媒の開発
当時の冷蔵庫には冷媒としてアンモニアが使用されていましたが、アンモニアは毒性が強く、爆発の危険性もあるため、より安全な冷媒が求められていました。
ミジリーは、1930年に毒性がほとんどなく、爆発の危険性もない新しい冷媒物質の開発に成功しました。
それによってエアコンや冷蔵庫の普及が大きく進んでいったのです。
トマスミジリーの罪過
ミジリーは、世界を変えるような発明をし、その業績を称えられたまま、1944年に亡くなりました。
しかし、その後に状況が一変して、評価が地に堕ちてしまったのです。
それは、上で説明したふたつの大発明によるものでした。
有鉛ガソリンの環境問題
ミジリーが発明したガソリンの改質方法は、鉛を使ったものでした。
ミジリーの死後20年近く経って、鉛を使った有鉛ガソリンが環境問題として取り上げられたのです。
1970年代には、鉛を使ったガソリンを禁止する動きが開始され、アメリカでは1996年に路上を走行する車への有鉛ガソリンの販売が禁止されました。
現在では、有鉛ガソリンは公害問題を引き起こした根源のような扱いになっています。
フロンによるオゾン層の破壊
ミジリーが冷蔵庫用の冷媒として開発した物質はフロンと呼ばれています(海外ではフレオンという呼び名が一般的)。
かつては、安全性の高さと利用範囲の広さから、夢の化学物質とまで呼ばれていた物質です。
しかし、1970年代にオゾン層の破壊が問題になり、その原因物質として1980年代からフロンの規制が始まりました。
現在では、フロンはオゾン層を破壊した物質としてその名を知られるようになっています。
ミジリーの評価
ミジリーは、当時の世の中に求められていたものを開発しました。
そして、その有用性が認められ世界中で使用され、人々の生活を支えたのです。
しかし、結果的に有鉛ガソリン、フロンという、環境破壊の代名詞とも言える物質を2つ発明したことになりました。
環境歴史学者のJ・R・マクニールはミジリーのことを「有史以来、地球の大気に最も大きな影響をもたらした生命体」とまで呼んでいます。
トマス・ミジリーは、称賛されるべき人なのか、非難されるべき人なのか、どう位置付ければいいのか正直わかりません。
ただ、現在ミジリーのことが語られるとき、否定的な文脈で語られることが多いのは事実です。
皆さんは、ミジリーをどう評価すべきだと思われますか?
写真:https://www.photo-ac.com/より引用