沈黙の中に激しい怒り! 彼の謝罪にもダンマリの一手
儚く逝った大君の死後、吹雪の中をびしょ濡れになりながら宇治にやってきた匂宮。でも中の君は彼に逢おうとしません。「お姉さまが生きている間に来ていただきたかった。もう何もかも遅い」と再会を拒みます。
それでも女房たちの説得に負け、結局は物腰の対面に。宮は謝罪の言葉を連ねてかきくどきますが、御簾の向こうから帰ってくるのは沈黙だけです。本当にそこにいるのか、気配すらも乏しい様子に(これでは中の君も後を追ってしまうのでは)と宮は気が気ではありません。
結局、この日は終日、世間体も構わず宇治に留まり、どうか直接話をさせて欲しいと繰り返し頼み込みますが、中の君は女房づてに「もう少し気持ちの整理がつきましたら」というだけでした。
これを見た薫は中の君へ「許せないと思われるのもごもっともですが、お仕置きもほどほどで切り上げたほうがいいかと。宮もこんなことは初めてで、どうしていいかわからないのだと思います」などとこっそりアドバイス。余計なお世話じゃ!
薫にこんな横やりまでいれられて、みっともないやら恥ずかしいやら。それでも中の君は心を強く持ち、宮には応じようとしません。
「都合のいい言葉をスラスラと…」美辞麗句にドッチラケ
夜になり、荒々しい風の吹きすさぶ中、宮は中の君を説得しようとがんばります。「世界中の誰よりもあなたを愛している。あなたを生涯愛しぬくと誓う。ありとあらゆる神々に誓って」。
そんな言葉に中の君はしらけるばかり。(一体どうしてこんなにスラスラと都合のいい言葉が出てくるのかしら。この調子で、きっとあっちこっちで振りまいていらっしゃるのね)。しかし、こんな山の中で美しい皇子がオロオロと、自分のために気をもんでいる様子は気の毒でもあり、中の君はようやく声を出しました。
「過去の事を思っても頼りないのに、ましてや将来のことなんて」。これを聞いた宮は余計にやるせなく「せめて今、私の目の前だけでも背を向けないで」。と説得しますが、中の君は今夜もまた部屋に入っていってしまいました。あーあ。逆効果。
こんな時、調子がいいのは祖父譲りというべきでしょうが、宮の人生哲学の一端がよく現れている部分でもあります。人生は短いもの、明日はどんな事が起こるかわからないからこそ、目の前にある今が大事なんだ!というのが彼のモットー。思い立ったら即行動であり、ウジウジ悩んでタイミングを逃し続ける薫とは正反対です。
この刹那主義的な彼のモットーは、いつでも都合よく目先の女性に向けられてきました。宮の目の前にいるターゲットが、今は中の君ですが、それが移り変われば宮はまたそちらに夢中になるわけです。
それでも、何不自由なく育ち、誰にはばかることもなく恋の自由を謳歌してきた宮にとって、中の君の拒絶は非常にショッキングでした。しかしそれも身から出た錆。彼女が自分を恨んでいるのも当然だ、中の君は不安と絶望の中でどれだけ涙を流したことだろうと思い、今夜も独りで夜明かしします。
「こんな男が身近にいたら大変だ」初の夫婦喧嘩の結果は
薫がこの山荘の主人のように振る舞い、宮へも朝食を差し出すのを見て、宮は気の毒でもあり、不思議に趣きのあることだとも思いました。久々にあった親友は恋人の死に青ざめ、うつろにやつれています。
薫もこの無二の親友には話したいことがたくさんありました。でも、それを口に出して言えば、なんだか自分が弱虫で、みっともない男になってしまう気がして、ただ言葉少なに返すのが精一杯です。
涙にやつれた様子もかえって美しい薫を見た宮は(なるほど、こんな男がそばに居たら、女なら心が動いてしまうだろうな。中の君をなるべく早く京に迎えよう)と、薫と中の君が接近したら大変だと気を回します。自分が好き者なので、どうしてもこういう発想にバイアスがかかりがちなのです。
初の夫婦喧嘩(?)は中の君の圧勝。どうしても逢ってくれない彼女に降参し、宮はすごすごと京に帰っていきました。これ以上長居しても、また帝や中宮からのお叱りがあるだろうと思ってのことです。「相手にされないことがどれほど辛いか、身をもって知ってほしい」と、中の君が意を決して望んだ結果でした。
普段は楽天的で明るく、のんびりしているけれど、いざという時は「言い寄られたらついつい……」といったゆるさのない彼女の性格がよく現れています。
「あの時、ああしていれば…」親友からの朗報も後悔のタネ
こうして12月も過ぎていき、いよいよ年の暮れです。山里は深い雪に埋もれ、物思いのうちに時間が過ぎていきます。
それでも新年が来た所で、自分の心は悲しみに閉ざされたままだろう。薫はそう思いますが、いつまでも宇治にいるわけにもいきません。京では母や冷泉院や、その他多くの人が薫の帰りを待っています。でも、大君の看病にはじまり、ここで寝起きした日々もついに終わりかと思うと、なんとも言えません。ましてや薫を頼みに、悲しみを乗り越えた女房たちの嘆きはひとしお。
「お客様として風流なやりとりを拝見してきたときよりも、こうして親身に何くれとなくお世話下さったお人柄が身近で感じられたのが、もうこれを限りに終わってしまうなんて」と嘆きます。
匂宮はひっきりなしに連絡をしてきていましたが、その中に朗報がありました。薫がこうまで真剣に大君を思いつめていることを知った中宮が(その人の妹なら、宮が夢中になるのも仕方がないのかも)と思い直し、中の君を二条院に迎えて一緒に暮らしてもいいと言って下さったのです。やったね!
宮は母の魂胆を深読みし(もしや、あとで姉宮(女一の宮)の侍女にでもなさるおつもりなのでは)と勘ぐりましたが、ともかくOKが出たのは本当のこと。薫にもそれとなく知らせます。
(僕の三条邸も再建が終わって、大君を迎えようと思っていた矢先だった。やっぱり中の君と結婚していればよかったな……)。薫は再び後悔に駆られますが、これからはそんな未練がましいifを捨て、天涯孤独の身になった中の君の後見人として頑張ろう、と思うのでした。
「私の真の理解者はもういない」天涯孤独の姫の悲嘆
明けて新年、宇治にも春がやってきました。あれほど雪深かかった山荘の周りも次第に雪が溶け、日も少しずつ長くなっていきます。しかし中の君はそれすらも「とても信じられない。どうして私はまだ、生きているのかしら……」と思うばかりでした。
今まではどんな時でも、お姉さまがいてくれた。四季折々の花や鳥を見ては楽しみ、心細いことや悲しいことも語り合ってきたからこそ、やってこれた。でも今、もうそんな風に自分の心を真に理解してくれる人はどこにもいない。これからは独りでいろんな事を抱えて生きていかなくてはいけないんだ――。
父・八の宮が他界したときよりも、中の君の心は暗く沈んでいました。悲しくてどうしていいかもわからず、後を追いたいように思いますが、そこは天のさだめた寿命があるのでどうしようもありません。
山寺の阿闍梨から、山菜と共に頼りが来ました。「年が改まりましたがいかがお過ごしですか。ご祈祷はたゆみなく行っておりますが、今はあなた様のご無事を心よりお祈り申し上げております」。
更には、書き慣れないかな文字で「君にとてあまたの春を摘みしかば 常を忘れぬ早蕨なり」。毎年、八の宮様にと摘んできた早蕨を、今年も同じように摘みました、とありました。
匂宮の中身のない美辞麗句に慣れていた中の君には、年取った阿闍梨が一生懸命考えて書いてくれたであろう、この飾らぬメッセージが胸にしみました。
そう言えば昨年、八の宮の死の悲しみに姉妹ふたりで悲しんでいるところにも、阿闍梨の山菜は届いていました。女房たちがそれを風流だともてはやしている中で、ふたりは(そんなの、何が面白いの。お父様がいらっしゃらないのに、何を見ても悲しいだけよ)と、思い合って過ごしていました。
一昨年に父、そして昨年は姉と、立て続けに家族を亡くした中の君は、阿闍梨に返歌を贈ります。「この春は誰にか見せむ亡き人の かたみに摘める峰の早蕨」。一体誰に見せればいいのでしょう、亡き人の形見として摘んでくださったこの早蕨を。
独りぼっちになった中の君は、悲しみのせいで少し顔がすっきりし、どことなく姉の大君に似た雰囲気を備えるようになっていました。
痩せ型の大君に対し、中の君はどちらかというとぽっちゃりで、姉妹揃って居た時はそんな風にも見えなかったのですが、最近は女房たちも時々はっとするほど似ています。中には(薫さまが未だに「大君の亡骸を保存しておいて、朝夕にでも眺められたらいいのに」とおっしゃっているようだけど、同じことならご結婚なさったらよかったのに)と思うものも。そんなおおっぴらに言ってるのか、遺体保存の話。
しかし匂宮は中の君を二条院へ迎える準備を着々と進めていました。一方、帰京し、新年になってもなお気持ちが改まらない薫は、久々に宮とふたりきりで話し合います。
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