どうもどうも、特殊犯罪アナリスト&裏社会ライターの丸野裕行です。
あなたは、ヤクザを辞めた人々がどんな人生を送っているのかを知っていますか?
前回の『稼業に疲れ切った男』に続いて、男が男に惚れるアウトローな稼業に従事していた元ヤクザたちの悲喜こもごもな人生を綴ってみたいと思います。
※「足を洗ったヤクザたちの第2の人生」バックナンバーはこちら
絵が好きで賞ばかりもらっていた
思わぬところで、才能が開花した元ヤクザもいる。
斉藤猛さん(仮名、35才)は変り種の人生を送っている。
「僕は関東のX会の第3次団体の幹部やったんです。昔から絵が好きで、小学校の頃から展覧会とかに絵を出すと、必ず金賞獲ってました。県からとか地元の青年会議所からメダルとか賞状とかもらってましたね」
比較的裕福な家庭に育った斉藤さんは、絵の才能が元々からあった。何不自由なく、高校生を迎えた彼にある転機が訪れた。
街中で、大好きだった彼女といるところを不良たちに絡まれたのだ。金を取られ、嫌がる彼女も不良たちに連れて行かれた。怖くて、何もできなかった。震える体で眼を瞑り、立っているのがやっとだった。
その後、彼女は連中の仲間に入り、学校にも来なくなった。そんな世界に引き入れてしまったのは自分のせいだと斉藤さんは自分を責めた。
普通の人生に転機が訪れる
「そこからは、今でも飽きれるほど超自虐的(笑)。もう手当たり次第に、ケンカ吹っかけて、死んでもいいと思ってた。ケンカ慣れってのはあって、ボコボコに殴られることが少なくなった頃には、地元の神奈川では名が知れてた。ケンカキチガイ呼ばわりされるようになって、地元のチンピラに可愛がってもらったんです」
それから高校を中退。すぐに準構成員になった。19才で兄貴分を真似て、刺青を入れに彫り師の元を訪ねたとき、衝撃的な出会いをした。“どんぶり”と呼ばれる手首から足首までの全身に和彫りを入れたヤクザたちの姿に目を奪われたのだ。
「ベタベタですけど、全身にビビッと電流が走ったんスよ。こんなヤクザの世界に、芸術性を結集した和文化を見つけてしまったんです」
和柄彫りに魅了された彼は、ちょっとした空き時間にも彫り師の元を足繁く通い、教えてもらえるように何度も何度も頭を下げた。
片手間にできることではない、とはじめは門前払いされていたが、そのうち斉藤さんの尋常ではない熱意に絆され、彫り師は絵を書かせた。虎の絵。彼はスラスラと躍動感のあるまるで生きているような虎の絵を書き、入門を許された。
恐ろしい絵の才能が身を助ける
「先生のびっくりした顔をよく憶えてます。熱心に刺青の技術を叩き込んでくれました。下絵のテクニック、色の調合、人肌への針の当て方とかね。実際に腕のいい彫り師だと紹介されて、“モンモン”を何人にも入れましたね。組もお抱えの彫り師がいるんで、鼻が高いんでしょう。組長以下幹部連中はみんな喜んでくれてましたよ」
斉藤さんはヤクザと彫り師の二束のワラジを履き、下絵のデザインにのめりこんだ。やはり自分の好きなことはコレだ、と悟ったとき、ヤクザ社会への興味が失せた。
なんとなくヤクザの仕事(といっても、組の店やデリヘルチラシのデザインなど)をこなしていると、ある団体から携帯に電話が入った。以前に公募で出した着物のデザインが最優秀賞に輝いたというのだ。その知らせを聞くと、斉藤さんは一目散に組事務所へむかった。
「辞めさせてください!デザイナーになりたいんです!」
「は、はぁっ!?」
事情を話すと、組長とヤクザ社会に引き入れた兄貴分はすぐに首を縦にふってくれた。
デザイナーとして開花し、ヤクザを辞める
「ずっと“俺らみたいなモンにはできんこと”と言っておられましたね。絵の才能をわかってくれていたんで、あっさりと除籍を認めてくれました。後で聞いた話では、上の人間は僕のことを“ヤクザになってはいけない人間”として特別扱い、どんな失敗にも目こぼししてくれていたようでした」
30才でヤクザ生活に終止符を打った。
その後、デザインを主催した社団法人の副理事長などの紹介で、関西の和装着物・雑貨の会社にデザイナーとして就職。自らがデザインした和柄の小物や器などを全国で展開している。
役職はデザイン部係長。勤続3年半で勝ち取った。
2年前に飲みに行ったクラブのホステスと結婚。そこらへんが元ヤクザらしいが、年収600万円のデザイナー生活を幸せに送っている。
(C)写真AC
≫≫シリーズ・足を洗ったヤクザたちの第2の人生『企業舎弟になるくらいなら普通に就職した男』へ続く
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