数学ができない!
学校の勉強の中で、苦手な科目を挙げるとすれば、最も多くの方が選ぶのは、おそらく数学ではないでしょうか?
大学受験で文系、それも5科目を受験した方ならばいざ知らず、私立文系の多くは3科目です。当然ですが数学は「捨て科目」となります。もっといってしまえば、大学受験よりも前、高校受験をする中学生の段階で多くの人が挫折してしまう…そんなケースが少なくないのです。
証明問題は数学ではなく、国語です
数学において、多くの人々を挫折に追いやり、そして数学嫌いを量産するのが「証明問題」です。
「証明問題は全く理解できなかった」
「数学で躓いた原因は間違いなく証明問題」
いわゆる「数学が苦手」「数学嫌い」という方で、このような方は多いのではないでしょうか?
実は証明問題って数学ではなく「国語」なんですよね…
つまり数学が分からない場合、ほとんどの人は数学ではなく、「国語をやれ」ということになります。
数学の前に国語をやれ!
私の高校最後の偏差値は32でした。ちなみに私立文系です。理由は「数学が全くできないから」です。
とはいえ、文系科目がそれほど得意だったというわけではありません。敢えて言えば社会科はそこそこ点数がとれていたというところでしょうか。
「文系とか理系以前の問題じゃん」
もしかしたらこのように思われる方もいらっしゃるかもしれません。確かにそのとおりです。一体何が問題なのかといいますと、
国語が得意だから、ではなく数学が全くダメなだけ。
つまり「消極的な文系選択」ということです。文系に「逃げる」ことで、数学から解放されたまではいいものの、国語(現代文)が理解できていないので、結局意味がない。
さらに言ってしまいますと、国語が理解できないと英語(長文読解、英文解釈)も全く理解できないのです。なぜなら英語は「英語圏の国語」だからです。
「文系の国語嫌い」を変えた小論文講座
偏差値が32だったので、当然ですがまともに受かる大学はありません。まぐれを期待したものの、全く上手くいかず、浪人生活に突入でした。むろん、浪人したからといって偏差値が上がる保証はどこにもありません。
しかし、実はここで思わぬ「逆転」が起きます。浪人してから最初の模試で、
偏差値が32から62にUPした
劇的な変化をもたらしてのは国語、即ち「現代文」の授業ではなく、小論文の授業でした。
「自分で文章を書き、問題文の筆者の気持ちを理解する」
ここで論理展開という概念を学んだわけです。最初から国語の偏差値が高い方、あるいは数学的思考が備わっている方にとっては、ある意味当たり前のことなのかもしれません。しかし逆に、それがないために「一生懸命やっても全く点数に結びつかない」状態が続いていたわけです。
これが理解できて以降、国語に加え、英語の偏差値も飛躍的に上昇することになります。
全ての基礎は国語に通ず
今の教育はとにかく「英語重視」です。小学校から英語を学び、大学の授業は全て英語で行うことが目標とされています。
むろん、英語の授業について行ける事は必要かもしれません。しかし、それよりも前に、
「英語より国語」
これは決して感情的に道徳とか、あるいは愛国心を煽る意味ではありません。
大半の人間が数学を理解できない理由は国語が原因
言い換えれば、
国語をしっかりと教えれば数学も理解できるようになる
英語教育において、最も重要なのは「英語のテストで高得点を獲得する事」ではありません。
数学その他、自然科学の分野を自国の言葉以外で理解できるようになること
です。いくら英語の偏差値が高いからといって、日本語で理解できない数学を、英語では理解できるということは絶対ありません。即ち、
英語は手段であって、目的ではないのです。
なぜ国語の時間に証明問題をやらないのか?
私が数学をやろうと思ったきっかけは、大学受験が終わった後でした。おそらく多くの方が「今更そんな苦労をするなんて、なんて物好きなんだ」と思われるかもしれません。
なぜそのように考えるようになったかというと、
小論文を通じて論理的に物事を考えられるようになり、証明問題の基本が理解できるようになったから
です。つまり、小論文の作成方法を理解することで、
文系的なアプローチで数学が理解できるようになった
ということです。
むろん、このような方法を必要とせず、最初から数学が出来る人は存在します。どんなテストも常に高得点という「秀才」タイプ。あるいは文章に書く前に頭の中で全て整理し、完結してしまう「天才」タイプです。
数学が理解できるのはおそらく、この2者です。ちなみに後者の「天才」であり、かつ秀才でない。即ち「数学しかできない」タイプの人は文系科目、それも社会科がほとんど出来ないという欠点があります。
大半の方は当然ですが、天才でもなければ秀才でもありません。結果「真っ先に数学を捨ててしまう」わけです。
実はこれが大きな問題で、
証明問題は数学ではなく国語
なのですから、当然、
国語教師が、数学の前段階としての論理学をきちんと指導すべき
です。にもかかわらず、そのような指導は行わない。国が指定したカリキュラムに存在しない、といえばそれまでですが、一番の問題は、
国語教師の指導能力が全くない
ということです。だとすれば、数学教師が「国語」を教えるべきなのですが…残念なことに、
数学教師は「知ってて当たり前」と思っているので、指導方法がわからない
のです。いわば「名選手は必ずしも名監督にあらず」という感じでしょうか。
数学が必要なのは理系学生や技術者だけではない
とはいえ、数学が0点でも「逃げ道」は多く存在します。別に数学が出来ないからといって、人生に困るというわけでもありません。
それに、少なくとも私立文系であれば数学をやらなくても難関大学の、それも理系の学部の学生と「対等の学歴」として評価されます。
しかし実際問題として、数学能力の有無は企業では思ったよりも評価の対象とされます。最近では「地頭」というのを評価するため、大学よりも高校の学歴を重視するケースがあったり、さらには私立文系でも数学を必修とするケースが出始めています。
2000年代のリーマンショックの辺りでしょうか、企業が学生に対して非常に高い英語力を要求していた時代がありました。
「我々は英語が出来ないしかし学生は英語が出来ないと採用しない」
「どうやって英語を勉強すればいいかは知ったこっちゃない」
ある意味、無責任ですよね。しかし不況で「買い手市場」であったため、そのような要求もある意味、まかり通っていたのです。
では、現在はどうでしょうか?
「数学が出来ない学生は採用しない」
「勉強方法は、知らない」
これも英語のケースと同様、非常に無責任です。しかし、一旦景気が悪くなればこのような「理不尽な採用条件」がいつ訪れても不思議ではないのです。
理系学生ならば何とかなるでしょう。あるいは難関国立大学で文系とはいえ、数学がかなり出来る学生であれば何とかなるかもしれません。しかし「入試に不利だから」という理由で数学を放棄してしまった文系学生にとっては完全に「門と閉ざされた」状態となってしまうわけです。
挫折の原因は「国語」であるということ
繰り返し申し上げますが、数学で挫折する原因は数学ではなく国語であるケースが大半です。
私の場合、たまたま小論文というきっかけがあり、問題の根本を知ることができました。しかし実際はどうでしょうか?実は小論文をやらなくても大学には合格できます。自分の場合、国語の点数が極端に悪かったため、逆にその問題を知ろうとすることで解決策が見つかりました。
しかし「何となく、そこそこ点数がとれてしまう」方の多くはそういった問題に気付かないまま、それこそ「国語が得意だが数学は全く理解できない」状態で大学受験を終えてしまう。そして数学は「封印」というケースが圧倒的多数なのではないでしょうか?
もしも、あなたのお子様が「数学を放棄」しそうになったら
このようなケースは、本人だけでなく、次の世代にも影響を及ぼしてしまいます。当然ですが今も数学は数学教師が教えるもので、それが当然だと思われています。
英語教師の中には、学生時代全く英語が出来なかった状態から「大逆転」という方が少なからず存在します。また、理系でも文系でも必須科目であるため、多くの方が「勉強せざるをえない」状況です。
加えて、現代文よりも複雑な論理展開を必要としないため、(理系文系を問わず)「成果を出しやすい」科目なわけです。
では数学はどうでしょうか?数学教師には英語のようなケースがほとんど存在しません。元々数学が得意で、数学が出来ない人の気持ちなど全く理解できない方が大半です。
彼等に言わせると、文系的なアプローチでないと理解できないというこちらの意見に対し、
「なぜそう考えるのかが分からない」
「ただ、目の前にある問題を理解すればよいだけ」
全く会話が噛みあわないわけです。しかし実際に問題が解けるのは彼等で、解けないのは我々であるため、逆らうことはできません。黙って引き下がるしかないのが現実でしょう。
もしそれが、あなたのお子様だったら…
私立文系の大学に合格できればいい、というのであれば数学を棄ててしまうのもアリでしょう。しかし、
国語をきちんと教えれば解決するのに、なぜそれをやらないのか?
そこで数学を理解できていれば、将来の選択肢はグッと広がる。そうなれば、何よりお子様の勉強に対するモチベーションは全く違うものになってきます。
数学が出来ないならば、まず国語をやれ!
今から自分自身が国語を学ぶ。そして数学を学ぶことで、それを伝えて行くことは十分可能です。
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