2月4日に70歳の誕生日を迎えた歌手の加橋かつみさん。1960年代にグループサウンズブームを巻き起こしたザ・タイガースでの活躍と突然の脱退は当時の若者に大きなインパクトを与えた。
その後も松任谷由実さんにデビューのきっかけを与えたり、ミュージカル『ヘアー』の日本初上演、『かもめが空を』(1979年)など『ひらけ!ポンキッキ』(フジテレビ)テーマソングを手がけ、さらに2013年には40年以上ぶりに結集したオリジナルメンバーのザ・タイガースでドームを含む全国ツアーを敢行するなど世間に広く知られる事績は数多い。日本の音楽史を彩るスターの一人と言って差し支えないだろう。
しかし、誤解を恐れない自由な精神の持ち主で、進んで自分語りや自己弁護をする方ではないことから世間にさまざまな誤解を与えていることも確かだ。
僕は世代こそ離れているが子供の頃からザ・タイガースが大好きだし、初めてのプロのお仕事が加橋さんの前座だったので思い入れもある。いつか加橋さんにゆっくりお話を聞きその実像にせまりたいなと思っていたが、3月に久しぶりにお会いする機会があり、インタビューを快諾してもらうことができた。
加橋かつみライブ in 横尾忠則現代美術館
4月14日、この日は加橋かつみさんのフリーライブ。小雨が降る中を僕は横尾忠則現代美術館に向かって歩いていたが、傘をたたんで正面玄関から入ろうとしたとき「おーい」という呼び声。振り向けばそこに加橋さんがいた。本番直前だがリラックスした様子で、タバコを吸うために外に出てこられたということだった。
ライブは詰めかけた百数十人のファンを前に定時に開催された。一曲目はザ・タイガースのヒット曲『廃墟の鳩』。平和への祈りがテーマであることは知られていたが、実は原爆が投下された後の広島をイメージして作られた曲だったというエピソードを明かし観客を驚かせていた。
その後も横尾忠則さんやかまやつひろしさんとのエピソードトークを織り交ぜながらザ・スパイダースの『フリフリ』やソロナンバー『雨上がりと僕』(※かまやつひろし作曲)、『花の首飾り』とマイペースに歌い上げてゆく加橋さん。奥行きのあるチェロの響きと加橋さんの浮遊感のあるボーカルとのマッチングが心地いい。
この日はフリーライブにも関わらず1時間以上にわたってステージをつとめあげた加橋さん。ステージを降りた加橋さんの顔には若干の疲れがにじんでいた。若い頃のハイトーンボイスを出し続けることは、やはり体力的な負担も大きいのだろう。70歳という年齢は加橋さんの自由な精神にどのような影響を与えているのだろうか。
同じことは二度と出来ないからこそそこに生命感や情熱がこもる
インタビューをおこなったのはライブ前日の4月13日。リハーサル会場のMosrite Cafe(神戸市)で2時間弱にわたってお話を聞かせていただいた。
――今回のライブはチェロの方と二人で演奏されるんですね。
加橋:別に僕は一人でもやれるんだけど、それだと楽しくないもんね。『花の首飾り』を歌うにしても、編成やリズム、歌い方も日々変えてやりたい。ライブでやる意味ってそこだと思うんだよね。同じことは二度と出来ないからこそそこに生命感や情熱がこもるんだよ。
――人と一緒に演奏する楽しさって音楽の根源的な部分ですよね。
加橋:高校生の時にバンドブームになって僕もバンドを始めて「こんな楽しいものがあるんだ」って驚いたよ。それは今でもちっとも変わらない。身近な所ではかまやつひろしさんもつくづくバンド好きだったけど、僕も同じだな。
――かまやつさんにはシンパシーを感じる部分があるんでしょうか。
加橋:かまやつさんとはずっと仲良しだったからね。
――残念ながら昨年お亡くなりになりましたが、かまやつさんも晩年までライブ活動を重んじる方でしたね。
二人はそっくりさん?横尾忠則との関係
――明日のライブ会場は横尾忠則現代美術館ですが、美術館で演奏されるのはおもしろい試みですね。どんないきさつがあったんでしょうか。
加橋:横尾さんとは親しくしてるんだけどね、今回は美術館の人からオファーがあったの。横尾さんは音楽関係の友達がとても多いんですよ。細野晴臣くんや玉置浩二くんも美術館でライブやったらしい。あれだけミュージシャンと親しいアーティストって横尾さんくらいじゃないかなぁ。サンタナのレコードジャケットのデザインしたり……ローリングストーンズかミックジャガーのデザインの話もあったらしいよ。それは無くなったみたいだけど。
――横尾さんとはいつからのお付き合いになるんですか?
加橋:大昔だけどね、50年くらい前は僕と横尾さんと田村正和さんがすごく似てたらしくてね。『週間平凡』だったと思うんだけど、そっくりさん企画みたいなのがあってそこで一緒になったの。
年が離れてたからその時はそんなに喋らなかったんだけど……その後僕がタイガースを脱退した時、マスコミが見当外れの憶測ばかり流す中、横尾さんだけがとても的を射たコラムを書いてくれたんだよ。
それで「とても見る目がある人なんだ」って思っていたし、個人的に横尾さんに興味もあったから2013年にタイガースが再結成した時に東京ドームに招待したんですよ。そしたら足をケガしてたにもかかわらず来てくれて。それからアトリエに時々遊びに行かせてもらうようになったんですよ。軽井沢や草津温泉にも一緒に遊びに行きました。
――横尾さんとはうちとける部分があるんでしょうか?
加橋:よくわからないけど僕と横尾さんは性格が似ているような気がするね。年齢は一回り違うからマインドとかは違うはずなんだけど、そういう部分も含めて面白い。作品って言うよりは横尾さん自身が面白いなって思ってる。
僕も元々はグラフィックのアーティストになりたかったの。気が付いたらバンドなんか初めていたけど(笑)。でも絵を書くことも音楽をやることも、芸術って意味では同じだと思うな。横尾さんはアヴァンギャルドとかロックとか型にはまるんじゃなくて、やりたいことを自由に表現する人なんだけど、僕はそういう部分に共感しているのかなぁ。
70歳の実感
――加橋さんは2月4日で70歳の誕生日を迎えられました。年齢を感じることってありますか?
加橋:そりゃああるよ。デビューから数えてももう50年以上だよ。やだね(笑)。やっぱり若い頃にくらべて体力が落ちてるよね。
――気をつけてることや健康法ってありますか?
加橋:どうすればいいと思う?僕が聞きたいよ(笑)。70年も使ってる身体だから、どんどん故障してくる。
――こまめにマッサージ行くのがおススメです(笑)。
加橋:マッサージはもちろんいいけどね……。
――世間ではリタイアしていてもおかしくないお年ですが、今も毎年数十本のライブをこなされていて、本当に精力的にやっておられるなと思います。
加橋:いやべつになにもこだわっちゃいないんだけど(笑)。
――自然にこなされてる感じでしょうか。
加橋:そうだね。昔からのことだから。
――若い頃と比べて精神的な部分に変化は感じますか?
加橋:言葉で表現しにくいけどあるよね。もちろん僕だってなにかを究めたいと思ってるから、変化しつづけたいと思っている。ミュージシャンとしてもそうだし、人間としてもより良くありたい。
子供の頃からそう思い続けてるかもしれないね。若くて未熟な時は自分が歯がゆくて仕方なかった。今はジジイになりすぎてしまったかもしれないけど(笑)。
――今、ミュージシャンとして「こんなことがしたい」とか「やり残したことがある」と思うことはありますか?
加橋:全部やった。思いつく限りのことは全部やったね。あとは死ぬだけか(笑)。
――まだまだそれは困りますけど(笑)。
加橋:だからこれからどうしようかなという感じ。これからが僕の人生の最終コーナーだと思うんだよね。今まで思ってきたこと、経験してきたこと、勉強してきたことを形にしたいという気持ちはあるんだよ。
加橋かつみの世界観の根源
――ザ・タイガース時代の加橋さんに関する情報は世にあふれていますが、脱退されて以降のことや加橋さんの持つ世界観は断片的にしか知られていなくてもったいないなと思っています。ソロになられてから一番印象的なお仕事を挙げていただけますか?
加橋:『パリ 1969』っていうアルバムと『ヘアー』っていうミュージカルを日本に持ってきたことかな。その二つがタイガースを辞めてからの一番の仕事だと思ってる。
――『パリ 1969』はタイガース脱退直後の作品ですね。フラワー・ムーブメント的なメッセージ性と言い、サウンドの洗練具合と言い、時代の最先端を行くアルバムだったと考えています。実際にフランスでレコーディングしたことでも話題を呼んだようですが、制作期間はどれくらいでしたか?
加橋:1ヶ月くらいじゃないかな。24チャンネルで当時としては画期的だった。ミュージシャンも現地の人に参加してもらったけど、みんな普段オペラ座とかでやってるからストリングスにしても音がいいんだ。
――なかなか言葉も通じにくい中だったと思いますが、レコーディングに不自由はありませんでしたか?
加橋:フランス語も英語もできたんだよ。今は忘れちゃったけど(笑)。語学って使わないとダメだね。でも当時はヨーロッパ中を回っていろんな人たちと付き合っていた。フランスはもちろん、イギリスもイタリーも行ったよ。
僕、元々ミュージシャン志向じゃなくて絵が好きだったって言ったでしょ?子供の頃からレオナルド・ダ・ヴィンチが大好きなの。フィレンツェの金融家だったメディチ家がダ・ヴィンチやラファエロ・サンティのスポンサーになってルネッサンス文化が花開いたあの時代にすごくあこがれていてね。「どうしてもフィレンツェに行くんだ」って思っていたけど自然に行くことができたな。
――そういうあこがれが加橋さんの音楽性にも影響を与えているんでしょうね。
加橋:そうかもしれない。音楽も絵も根本は一緒なんだよ。言葉に出来ない感動を表現したいから音楽をしたり絵を描いたりするんだから。あまり言葉にしないほうがいい部分なんだと思う。
――レオナルド・ダ・ヴィンチに影響を受けたということですが、ミュージシャンで影響をうけた方についても教えてもらえますか。
加橋:かまやつさんかな。昔、京都会館でザ・スパイダースの『ノー・ノ―・ボーイ』を聴いて「うわーいいなー」って思ったもんだよ。バンドをやるきっかけがかまやつさんだった。あとはベンチャーズとビートルズ、ローリングストーンズ。
――ビートルズではどなたに一番シンパシーを感じますか?
加橋:やっぱりジョン・レノンですよ。でもどちらかと言うと僕はローリングストーンズのほうが好きでね。一番格好いいなと思っていたのはブライアン・ジョーンズだった。ロンドンで一度だけ彼が生きている時のライブを観た事があるんだ。ゾッとするほど格好よかったね。今のエンターテインメントみたいなストーンズとは全然違うんだ。マディ・ウォーターズみたいな黒人のブルースを聴くきっかけにもなった。
当たり前のことを言える時代にするために僕は歌い続けてきた
――ザ・タイガース脱退前後の加橋さんは当時のフラワームーブメントの象徴的な存在だったと思います。ご自身で意識されることはありましたか?
加橋:そうだね。当時は若者たちの間でも民主主義がいいのか共産主義がいいのか社会主義がいいのか揺れてた時代だよね。どんな形で理想の社会を創るべきかというテーマで世界中が揺れてた。
僕は音楽をやる前、学生運動をやってたの。広島でやってる原水禁(原水爆禁止日本国民会議)の大会なんかにも参加して。でも学生運動って国家権力の前では無力でね。今でこそ多少は言論の自由があるけど、当時は少しでも過激なことやってると警察の公安にマークされるような時代だったんだ。それに学生運動やってる連中って理屈っぽいばかりで次第に飽き飽きしてきた。
そういう時にビートルズやストーンズが僕に方向性を示したんだ。理屈こいてああだこうだやってるより「She loves you, yeah, yeah, yeah~♪」ってやったほうが素敵じゃない。学生運動よりもより情熱的にハートに訴えかけるよね。
――たしかに当時の音楽は学生運動よりはるかに良い形で自由や平和のメッセージを世界中に伝えましたね。加橋さんも音楽を通じて多くの人にメッセージを伝えたいという気持ちがあったのでしょうか。
加橋:それはもちろんあったね。時代と戦っている意識があったから。ひどい時代だったんだ。『花の首飾り』にしたってあれだけ売れたのにレコード大賞の候補にもならない。紅白歌合戦からお呼びもかからない。大衆に支持されても無視される……民主主義なんて建前だけの時代だったんだよ。政治も芸能界もね。
綺麗なものは綺麗、魅力的な女は魅力的、セックスもいいことじゃないかと当たり前のことを言える時代にするために僕は歌い続けてきた。『ヘアー』に感銘を受けたのも”LOVE&PEACE&FREEDOM”という基本理念があったからだよ。
――加橋さんに今の日本の世相はどう映っていますか?
加橋:何ごともすごく薄っぺらくなっちゃった気がする。ポリシーも思想もない。テレビはあまり観ないけど、芸能や音楽の世界も大人が少なくなってしまったね。おちゃらけたり子供っぽいものばかりで……それはそれで良さがあるんだろうけど、自分とは関係ない世界のように思えちゃう。
――たしかに芸能界はアイドルとお笑いが全盛ですね。中身も年々薄まってきている気がします。加橋さんは今も政治や世界情勢について興味をお持ちですか?
加橋:興味と言うより危なっかしいから気をつけて見てるね。日本や世界が今どんなふうになっているのか。
トランプみたいな不動産屋のオヤジがアメリカの大統領なんだよ?日本の周辺でもいつ戦争が始まってもおかしくないよね。ヤバい時代だよ。
日本自体も、昔よりはマシかもしれないけど危ないね。民主主義の理念は個人の尊重だよ。多数決じゃない。今って個人が尊重されてる?
自分の思った通りに生きてこれた
――インターネット上では関係者の言を引用したり、過去のエピソードからいろんな憶測をして加橋さんを否定する書き込みをよく見かけます。加橋さんはご自身でそういったものを見られることはありますか?
加橋:あえて見ないようにしている。僕のことは誰にもわからないと思うし、わかってほしいとも思ってないからね。君が見ただけでも「難しい人間だな」って思うでしょ?複雑怪奇でしょ(笑)。
でも自分自身ではすごくピュアでシンプルなつもりなんだ。君は僕の本質的な部分をちょっと感じるんだろうね。それは僕が君に対して心を開いてるからなんだよ。僕が心を開いてない相手が僕のことをわかるわけはないと思ってる。
――前にお会いした時にもそう言っていただけたのがインタビューのきっかけでした(笑)。加橋さんの本音を聞き出したり、正確な人物像を感じ取るのはそんなに簡単じゃないことだと思います。
加橋:僕はやりたいようにするし行きたいところに行く。そういうふうにやってこれたと思ってるんだよ。僕は自分のことを芸能人と思ったことはないの。人前で芸を見せてテレビで愛想よくしておべんちゃら言うなんて恥ずかしくてできない。あくまでミュージシャンとして表現をしたくてここまで来たから。自分の思った通りに生きてこれたなと思ってる。なにも後悔することはないよ。
新作の発表はあるのか?
加橋さんがこれほど時間をかけて真剣にインタビューに向かい合っていただけたことは本当にありがたかった。手前味噌かもしれないが、このインタビューは加橋さんを、日本の音楽史を語る上で重要な資料となるに違いない。
しかし、僭越ながら僕が期待するのは今回のインタビューよりもはるかに多くのことを語ってくれるであろう新作の発表。これまでのザ・タイガースの作品もソロ作品ももちろん素晴らしいが、さらに長い時間を経た今の加橋かつみはどんな言葉を、メロディーをつむぎ出すのか知りたいのだ。
その可能性についてご本人に訊ねてみたところ、否定も肯定もしなかったが……僕が見たところまんざらでもない様子だった。まだまだ加橋さんの活動から目が離せない。
加橋かつみライブ GINZA TACT
【日時】
2018年7月24日(火)
2018年8月23日(木)
Open 18:30
1st 19:15~
2st 20:45~【料金】
5800円 (with1Drink) 入替なし
※ご予約の必要はありません。【会場】
東京都中央区銀座6-9-15 タクトワンビル B1F
※JR有楽町駅下車 徒歩7分
地下鉄日比谷・銀座線 銀座駅下車 徒歩3分【お問い合わせ】
タクト TEL:03-3571-3939
http://ginzatact.com/schedule/detail.php?id=201806_006
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※ 取材にご協力いただいた『横尾忠則現代美術館』 (http://www.ytmoca.jp/) 、 『Mosrite Cafe』(http://www.mosritecafe.com/) のご厚意に感謝いたします