「人が多いな・・・」
「受け身でおったら埒あかんで。人がいなくなるのを待ってても人の多いところではひっきりなしやからな。日本人の性格をフル活用や、カメラを構えてジーっとしとくべし。そしたら前を通るひとたちが足早に通り過ぎてくれたり、立ち止まって撮り終わるのを待ってくれたりするから。ごめんなさいねぇ~ありがとうございますぅ~て言いなさい、満面の笑みで。」
普通にしている表情がちょっと怒ってるように見える一重目が笑うと、二重目が笑うより3割増し愛想が良く見える。
我々は恵まれたことにお得なギャップを所有する純日本風一重目ではないか、それを大いに活用して撮影に臨むのだ、ハチ。
撮影部隊ハチの自宅から日本一トイレまでが小一時間かかり、姉妹トイレ、兄弟トイレの順に遠くへ足を運ぶことになる位置関係で、日本一トイレから姉妹トイレまでが10分、姉妹トイレから兄弟トイレまでは15分。
兄弟トイレから日本一トイレまで戻らされると25分で、いずれも交通手段は車である。
この3つのトイレは近いと言えば近いがちょっと離れていると言えば離れている、そういう微妙な距離感があるのだ。
【同一人物がデザインしているというクセをつかみましょう】
人間だれしも自分では気付かないクセというものを持っている。
同じ言葉を多用していたり、同じパンばかり食べていたり、同じようなベルトを何本も買ってしまったりするものなのだ。
そこで、パッと見では同一人物のデザインとは思わない3つのトイレであるがその中からデザイナーそのものと言うべきクセを抽出してみたいと思う。
まずはトイレ表示プレートから
日本一トイレ
姉妹トイレ
兄弟トイレ
うーん、てんでばらばら。
強いてクセと言えることがあるなら、男が青で女が赤という色の別だろうか。
しかしこれは同じデザイナーだからではなく、日本だからに違いない。
清掃用具入れのイラストが同じなのは日本一トイレと姉妹トイレだが、
この表示プレートをデザインしたわけではないだろうから、デザイナーのクセとは言い難い。
照明はどうだろうか
日本一トイレ
姉妹トイレ
電球は埋め込み式。
兄弟トイレ
兄弟トイレの照明はスイッチがない。
スイッチをココにつけることが出来るであろうスイッチプレートはあるが、肝心のスイッチがない。
そんなわけで点けることが出来なかったため形状で予想するに、これは電球色の照明になろうかと思う。
照明で3箇所のクセが一致を見た。
デザイナーはぼんやりとした黄色い明りを使う。
最後に、窓のクセを探ってみよう。
日本一トイレ
姉妹トイレ
日本一トイレと姉妹トイレは言わずもがな、開放感のある大きな窓が特徴的な空間に仕上がっている。
しかし異質な兄弟トイレは小窓を使ってコンプリートである。
兄弟トイレ
天井付近
足元付近
目線付近
私たちが日常生活を送っていて公衆便所を利用する時、通常なら小窓は目の高さ付近に、あってもなくてもどっちでもいい感じでお気持ち程度にひとつ、時々換気のために開けられていたりなんかすることが多い。
手の届く箇所にひとつあれば機能的にも体裁的にも御の字なのだ、小窓は。
しかし、開く窓でもなかなか開けはしないような位置にわざわざ小窓をもってくる、足元や天井に。
小窓ではあるがこれは立派な開放感を狙った配置ではなかろうか。
【市役所に問い合わせた時にデザイナーの名前を聞いておきました】
「すべて同じひとのデザインのトイレなんですね、3箇所。デザイナーさんのお名前ってわかります?」
市役所職員35歳女性に問うと、ちょうど今パソコンが固まっていて情報が見られないので、調べて折り返してくれると言う。
3箇所もデザインをお願いしておいてまだデザイナーの名前を覚えていないなんて、なかなか失礼じゃないか。
折り返しの電話で35歳女性はこう言った。
『会社自体は東京のゴンドラという会社になります。そちらの小林純子さんというかたです』
「女の人なんですか?」
『はい、女の人です』
「このかたの出身地ということで?」
『出身地ではないです』
「この土地に何か縁があってとか?」
『とくにそういったことはないです』
調べてみたら、有限会社ゴンドラはトイレを専門としている設計事務所で、その代表取締役が小林純子女史なのである。
汚い公衆便所を快適なパブリックトイレにする達人なのだ。
驚いたことに表示プレートまで作成している。
トイレの壁面に貼られているあのプレートはピクトサインと言うらしい。
小林純子女史は、汚いトイレの全てをキレイに変えてしまうだろうか。
確かに最新のオシャレでキレイなトイレは使っていて気持ちがいい。
しかし私はAfterばかりではなく、Beforeのトイレにも惹かれる。
汚くて臭くて、何年ぶりにココには人が足を踏み入れたのか、踏み入れたのは私だが・・・というような険しい公衆便所に出会うと、秘境を探検するような気持ちになる。
懐かしさがこみ上げ思い出し笑いが止まらず、ヨダレが垂れることもある。
もちろんその公衆便所にはなんの思い出もないし、ただただきったない公衆便所なだけであるが、私はキレイなトイレの時よりも夢中になって写真を撮っている。
夢中になれるのだ、汚いのに。
真剣になれるのだ、臭いのに。
動きまわるのだ、狭いのに。
Beforeな公衆便所がなければ、私はこんなにも長く便所魂を磨いて来なかったかもしれない。
有限会社ゴンドラのサイトのトップページにはこんな一文がある。
公衆トイレは誰に対しても開かれているところです。
寺である、寺。
有限会社ゴンドラが手掛けたトイレを今後は密かに寺と呼ぶ。
もし有限会社ゴンドラに秘境からきったないトイレをキレイに生まれ変わらせてほしいという依頼があったとして、その秘境が文句なしの秘境感を醸し出していたら、小林純子女史はきっとそのままにしておいて、衛生面の問題だけをクリアにしましょう、と提案してくれるひとかもしれない。
汚いんだけど小奇麗な。
狭いままだが臭わない工夫をし、狭いからこそ落ち着く空間を作る。
そんなひとだといいなァと妄想したところで、小林純子女史の言葉をひとつ。
偶然を深めれば必然に通ず
トイレが人間味あふれる空間だと偶然に気が付いてから8年、まだまだ深める必要はあろうがそのうち必然に通じる時がやって来る。
その時までに私は撮影部隊を育てねばなるまい。
※全画像:筆者および助手ハチ撮影