充実した生活の裏に、17年経っても消えない無念
目にもまばゆい六条院に住むようになってしばらく。理想のマイホームで家族と幸福に暮らしながらも、源氏は折々に(夕顔が生きていたらなぁ……)と思わずにはいられませんでした。
夕顔が目前で物の怪に取り殺されてから、すでに17年。身分も素性も一切関係ない、無償の激しい恋でした。あれ以来、源氏は心のどこかでずっと、夕顔のことを想いながら生きていたのです。そして、彼女と頭の中将との間に生まれた娘のことも。
あの時、夕顔のお供をしていた右近もすっかり古株女房に。源氏に仕えた後、須磨行きの折に紫の上付きになり、現在もそのまま彼女に仕えています。おとなしくて気のいい右近は、紫の上のお気に入りでした。
夢のような御殿で、旦那様や奥様に可愛がられ、充実した女房ライフを送っている右近でしたが、内心では夕顔のことを忘れたことはありませんでした。(もし夕顔さまが生きていらしたら、紫の上さまほどとはいかないまでも、明石の御方くらいにはなれたのでは。殿はいったん好きになった女性を見捨てないご性格だもの……)と思わずにはいられません。
六条院への引っ越しも落ち着いた頃、右近は休暇願いを申請します。休みを使って長谷寺(奈良県桜井市)まで行くためです。長谷寺は初瀬寺とも呼ばれ、全国各地の長谷観音の根本寺です。当時から復縁や縁結びのご利益があるお寺として知られていました。
観音様にお願いしたいのはもちろん、夕顔とその娘のこと。右近は源氏の分も祈念すべく、7日の休みをもらい、警護の侍に守られながら一路奈良へ。それにしても、7日間のまとまったお休みが取れる職場、なかなかいい勤め先ですね。
両親と生き別れ…夕顔の一人娘の波乱の半生
行方不明になった夕顔の娘はどうなったのか。彼女は頭の中将の娘ということで、幼名を藤原の瑠璃(るり)君と呼ばれていました。きれいな名前ですね。母親が隠れ住んでいた五条の夕顔宿とは別に、西京の乳母の家に預けられていたことは、右近も知っています。
夕顔の死の混乱のあと、源氏は右近から瑠璃君の話を聞き、「その子だけでも探し出して大切にしたい」と望んでいました。が、騒ぎが大きくなっては大変だという惟光の意見により、こちらからの連絡はほとぼりが冷めてから、という事に。
一方、乳母の方でも忽然と消えた夕顔と右近の行方を探していました。でも、源氏は素性を隠して夕顔と逢っていた上、巧妙に尾行なども巻いていたせいで、誰も正体を知らない。あの光源氏とは知らない乳母達は謎の男に連れ去られたとしか思えません。
今度は父親の頭の中将に連絡をしようとしましたが、伝手がない上、夕顔のことを聞かれたら何と答えていいかわからない。それに馴染みの薄い父親に姫を引き渡した所で、その後のことも心配です。
タイミングの悪いことに、乳母の夫が太宰少弐に任命され、筑紫国(今の福岡県)へ転勤命令が下りました。一家は仕方なく、瑠璃君を伴って九州へ下向することになります。これがちょうど右近が連絡を控えていた時期と重なり、音信不通の原因になったのでした。
瑠璃君は4歳。幼いながらも気品が備わり、とても美しい姫君です。よくわからないままに「お母さまの所へ行くの?」と問う様子もいじらしく、乳母達は涙を流すばかり。そして道中で美しい景色を見るたびに「夕顔さまにお見せしたかった、きっと喜ばれたはず」「でもお方様の所在がわかっていれば、こうして姫様をつれて引っ越すことはなかったのに」と言い合います。
「見た人は必ず具合が悪くなる」かなりヤバイ心霊現象
無事、筑紫についた一家は姫を主人とし、5年の任期明けに帰京することを目標に頑張ります。九州での日々はおおむね平穏に過ぎますが、その中で一点、気がかりなことが……。
乳母一家の夢枕には、夕顔らしき女性と、高貴そうな謎の女が立つことがありました。夕顔は何も言わず、悲しそうな顔で佇んでいます。そして翌朝、その夢を見た家族は必ず体調を崩すのです。具合が悪くなる心霊現象、かなりヤバイ。
このせいで、一家は次第に(残念だけど、きっとお亡くなりになったんだわ)と、夕顔の生存を諦める方へ傾いていきました。あの世の夕顔からの精一杯のメッセージだと思いますが、何か言って、夕顔!そして例の物の怪もいるちゃんといるところが怖い!!
やっと帰京のはずが…トラブル発生で謎の引っ越し
5年が過ぎ、乳母の夫は無事に任期満了。しかし帰京費用の工面に四苦八苦しているうち、病に倒れてしまいます。姫はもう10歳。父の頭の中将の血も入り、母の夕顔よりも美人になりそうな成長ぶりです。
死期を悟った乳母の夫は、3人の息子に「姫様は、このような片田舎でお育ちになるには恐れ多いお方だ。でもわしはもう生きられそうにない。わしの葬儀などはどうでもいいから、とにかく姫様を京へお連れ申せ」。これが彼の遺言になりました。
大黒柱を失い、一家は路頭に迷う思いです。こうなれば一刻も早く京へ、と思うのですが、夫は在任中に地元の権力者と不仲だったためにトラブルに。そのしがらみに気を揉んでいるうちに、更に年月が流れていきます。
乳母の夫は貯金もなかったようですし、ひどい取り立てをする悪徳地方官ではなかったみたいですが、一体どういうことがあったのか謎です。しかも、そのことが死後も尾を引くとは、彼もあの世で悔やんでいることでしょう。こんなことなら明石の入道みたいに、嫌われてもいいからせめて財テクぐらいはしておいてほしかった……。
ちなみに、トラブルが原因かはわかりませんが、一家はいつの間にか筑紫から肥前(佐賀県)に移動しています。近くとはいえ、明石の入道のように任地の領内に住むこともできたはず。やはり「居づらい理由があったのかな?」と思わずにいられません。
すでに九州に来て16年、ついに姫は20歳に
姫の素性を知るのは一家のみ。乳母は館の使用人たちに「訳あって大切にしなければならない孫娘」と説明し、大事に隠して育ててきました。ところが、いつの間にか美人の評判が立ち、地元の田舎侍達が結婚したいと言ってくるようになったのです。
一家は「とんでもない」と誰も相手にしません。それでもラブレターが切れ間なく届くので、乳母は仕方なく「顔かたちは問題ないが、体に良くないところがあって結婚はできそうにない。私が生きている間は手元において、死後は尼寺にやる」と言いふらしました。
ウソを振りまくのも不本意ですが、悪い虫がつかないようにするには仕方ない。それでも「美人なのに気の毒だね」と離脱した者がいる一方で、多少モノのわかる豪族はなかなか諦めません。乳母は困り果てて、「どうか姫様をお守り下さい、京へお連れ出来るようにしてください」と、この地の神仏にひたすらお願いするのでした。
この間にも時だけが過ぎていきます。乳母の息子や娘もそれぞれ地元の人間と結婚し、子どもが生まれるとますます京は遠のくばかり……。すでに九州に来て16年、ついに姫は20歳に。苦労したせいかかなり真面目な性格で、年に3回は15日もの長精進をして、身を謹んで暮らすような、健気なお姫様でした。
その頃、お隣の肥後(熊本県)に、大夫の監(たゆうのげん)という有名な地侍がいました。年は30過ぎくらい、一族はこの地の大豪族で、彼も武骨な乱暴者として恐れられています。一方、好色漢でもあり「俺様のハーレムをつくる」という野望のため、美しいと評判の女を集めています。
姫の美貌は監にも届き、「体がどぎゃんでもおいは良かばい。どうか姫さんば下され」と、熱心に言い寄ってきました。とんでもないと乳母が仲介者を通じて断ると、今度は直接交渉すべく自ら肥後を飛び出してきました。ピンチ!
簡単なあらすじや相関図はこちらのサイトが参考になります。
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