先進国で少子化が深刻である。人間が子供を育てるということはどういうことか考えてみたい。
人間が育児をする古典的意味
人間の育児において大きな特徴は、非常に生命力の弱い子供を数年にわたり育てなければならないということだ。他の生物では出産した後、育児の期間を必要としないこともあることと比べて、人間の育児は非常にエネルギーのいる作業である。人間が成体になるのは脳が16歳、体が20歳といわれており、かなり長期にわたることがわかる。
ではなぜ親はこのような育児を行うのかというと、古典的には家族や集落などの集団で生活する中で、年老いていく世代を子供世代が守るという時間差の互助関係があるからである。
労働力としての投資
さらに第一次産業が中心の社会では、子供(男中心)は労働力、一種の投資財として捉えられた。第一次産業は人材集約型の産業であるから、10歳ぐらいから労働力として見込め、時間差の互助関係を含め、子供の出産、育児には親にとって非常にメリットがあったと考えられる。このような現象は現代でもアフリカの一部など第一次産業を中心とする社会ではスタンダードになっている。
しかし、第一次産業が中心の社会から第二次、第三次産業が中心の社会に変容する中で、労働を担うためには教育が重要になり、子供は労働の即戦力にはならなくなってきた。さらに、育児の古典的な動機である時間差の互助関係に関しても、テクノロジーが進化により、年老いた親世代は必ずしも若い世代の互助を必要としなくなってきた。つまり、子供は投資財から消費財になり、その結果先進国での少子化が進んでいる。
少子化対策の2つの方向性
そこで、先進国が取りうる少子化対策は2つの方向性が考えられる。1つは育児の負担を軽減することである。他の生物で見られるように、出産後の子供が自律的に活動するのであれば、育児の負担は軽減され、少子化は緩和される。人間の子供が生物学的に出産後すぐ自律することは不可能であるから、テクノロジーを活用し、制度を整えることが求められるだろう。保育園の整備などが代表的な対策になる。もう1つの方向性は、投資財的な側面を強めることである。これは子供を育児することが親のメリットになるような制度の構築を意味する。この方向に賦課年金方式や子ども手当などが含まれるが、メリットとしてうまく機能していないか、弱いということが指摘できる。
少子化対策には「育児の楽しさ」を広報することに加え、上記のような2つの方向性からのアプローチが求められるのではないだろうか。
【写真:自主撮影】