我が国ニッポンの公衆便所が、駅のトイレが神社仏閣の御手洗いが飲食店のレストルームが学校の洗面所が、最近いろいろとお願いしてくるのにはお気付きだろうか。
【止めてください、そして、使い切ってください。】
平成のトイレは様々な事情を抱えている。
平成のトイレはマンパワーを信じて、我々に助けを求めてくる。
だから我々はその期待に応えなくてはならない。
節水にご協力願った流水音は、自動では止まらないものもあるのだと心得よ。
ボタンを押したら押しっぱなしに慣れた民たちよ、今こそ「センサー」や「自動」を忘れて初心にかえろうではないか。
押して音を出したら、押して音を止めよ。
トイレットペーパーホルダーが、我々にトイレットペーパーの使い切りをお願いしている。
これは切実である。
このお願いから、このようなツインホルダータイプで人々は、トイレットペーパーの「より巻きの多いほう」を使っているのだという事実が垣間見れる。
とくに「残り少なくなってきた」頃には「微妙に多いほう」を本能が嗅ぎ取り、手が伸びているのであろう。
1回分を巻き取るには心許ないトイレットペーパーの最後の残りカスが2つのホルダーにしがみつくかのようにホールドされている毎度毎度の光景に、トイレットペーパーを交換したスタッフの心が痛むのである。
「あぁ、まだどっちかのトイレットペーパーの巻きが多いうちに、片方のトイレットペーパーを使い切ってくれさえすれば、ホルダー2コ分の新品トイレットペーパーを装填することもないのに…もったいないもったいない嗚呼もったいない…」
「おもてなし」よりも先にニッポンの言葉として知られていた「もったいない」精神の炸裂である。
流水音のボタンは押して作動させ、終了させるのに再びボタンを押せ。
そして、トイレットペーパーは巻きの少ないほうから使え。
【余分にご使用することを、お控え下さい。】
綺麗。
改めて漢字を見ていて気付いたことがある。
綺麗…画数が多い。
綺麗にするのも綺麗と書くのも、骨が折れる。
これはトイレの壁に貼ってあるお願いであるが、施設内での食べかす処理にまでトイレで言及してあるということは、トイレ内に弁当などの食べかすを持ち込んでいるということである。「弁当の食べかすはおのれで持ち帰れ、カス!」といったトコロだろうか。なかなか風刺のきいた文面だが、何人が気付いてくれるのだろう。
ニッポン人のモラルよ、とうとうここまで落ちぶれたのか。
マナーはどうした、ひとを思いやる心はどうした、己の欲せざるところひとに施すことなかれはどうした。
食べかすの処理はひとまず置いておき、このトイレのお願いのメインはトイレットペーパーを余分に使用することについてである。
わざわざ書くほど、相当量が余分に使われているに違いない。
しかし、使ったトイレットペーパーが余分かどうかの線引きは非常に難しい。
使用者本人にとってはいつだって適量であるから。
余分に使っている意識がないニッポン人に告ぐ。
「頑張ればわたしなんてこのくらいの量で足る!」というチャレンジ精神を今こそ発揮し、最小限の記録更新に毎回挑め。
【確認を、してください。】
トイレだって不調な時もある。
しかしまァこの貼り紙のくたびれ具合から察すに、随分と長きにわたり水洗の威力が足らないようである。ザー、ボコボコ、ザー、ボコボコと繰り返す音が聞こえなくても、たとえ、ジャー、フゴフゴ、ジャー、フゴフゴ、であっても、完全に流れたかを確認せよ。しかも必ず振り返れ。
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トイレのお願いに、ニッポンの民よ、耳を傾けよ。
※全画像筆者撮影