自分の専攻に自信を持てない文系学生にとって学生生活で重要なものが勉強ではないとしたら何だろうか(in 就活市場)

  by ダダダダ田  Tags :  

自分の専攻に自信を持てない文系学生はいったいどのくらいいるのだろうか。
そんな人たちは、授業を真面目に受けているのだろうか。

国立大学でも、たった90分の講義1回に3000~5000円ほどかかると言われている。私立の場合は1万円に近い、らしい。しかし、講義中の教室を見回してみると、大半がスマートフォンをいじっていたり、寝ていたりする。つまり、高い金額を払って、前日の飲み会やアルバイトでの寝不足を補う時間や暇つぶしに充てているのだ。
また、出席を取らない講義はもっとひどい。講義には1回も出席せずに、テストだけで単位を取る学生もいる。そういった場合など、講義の中には単位を取るために必要なものは学習ではなく、人脈や情報だといえるようなものもある。

なぜ学生は勉強をするために大学に入ったのに、授業を真面目に受けないのか。
それは、「この講義は将来につながる明確な過程ではないのではないか」という気持ちが起きてしまうからだと考える。
高校までは、「いい成績を取る」「いい大学に入る」などの近い未来のためには、目の前の勉強をすればいいという非常にシンプルな構図だった。大学も、シンプルさで言えば「単位を取って卒業する」という点ではあまり変わりがない。しかし「将来につながるかどうか」という点では疑問が残る。高校までずっと「知識を覚える」ことが重要視されていたのに対し、大学では「活かすためには」が重要視される。「専門知識の活かし方がわからない」ために「この知識は必要がない」と学習することを放棄してしまうという構図が生まれる。また、文系分野の大学院進学率が低いことから、「専門的な知識をつけたところで…」という意識が生まれてしまうせいもあるだろう。実践的な知識が必要なのは理系分野であり、文系分野は教養程度に身に着ければいいのだろうか。文部科学省による理系分野拡大の方針がこれからの社会の変化を示唆していると考えている人も少なくはない。

いまや、実際に文系の学生は大学の授業を真面目に受けていればいいとは言い切れないのではないか。「積極的な人」「行動力のある人」が求められる時代であり、「大学の勉強をしていた学生」は「何も大学時代に活動してこなかった人」とタグ付けされてしまう。就職活動指南本などでも、大学時代に頑張ったことに「学業」をあげるのはあまり支持されていない。実際に、私が経験したインターンシップの集団面接などでも「自己アピール」や「学生時代頑張ったこと」に「学業」を上げている人は一人もいなかった。理系学生は企業の採用枠に「技術職」があるなど研究が就職に密接に関わるが、文系学生の場合、学部に求められるのは微々たる差だろう。法律に関わるものでなければ法学部でなければいけないという必要はないし、営業には経済知識がなければ…なんて話も聞かない。もし知識が必要だったとしても、内定してから資格や勉強をすればいいという会社が多い。法学部でも銀行に入社することになれば簿記やファイナンシャルプランナーの資格をすすめられ、教育学部でも保険会社に決まれば宅建の資格をとることができる。もちろん選考の過程で取得していれば多少有利になる可能性もあるが、知識がないからと言って内定が出ないというわけではない。

また、就職活動の際に企業から優遇されている学生は、「学生団体に所属していた」「サークルを立ち上げた」「学外活動を行っていた」「留学していた」という学生が非常に多い。実際に周囲の先輩や同学年で早くから内定をもらっている人にはそういった人が多く、中には2年生で内定をもらっている人もいるから驚きだ。もちろん、自分から主体的に動いてきた人は自分の考えもあるし能力も行動力も優れている。その点では優遇されるのは当たり前だろう。

では、単に授業よりも課外活動を優先して行っていればいいのだろうか。
加えて、そういったいわゆる「行動力のある」人達は、きっかけさえあれば、必要なことは独学でどんどん勉強する。資格やプログラミングが必要となれば学外のスクールに通うし、いまや必要な情報はネットで検索すればいくらでもみつかる。そこで、疑問が生じる。その人達にとって、大学の授業はきっかけに過ぎないのではないか。大学の授業とは何のためにあるのか。結局は、文系学生は大学生活をどう過ごすべきか。勉強ではなく課外活動に重きを置くべきなのだろうか。

しかし、そうとも言い切れない。実際に大学で何を学び、気づき、それをどんな形で活かそうとしたかが重要なのであって、学生が考えているほど方向性や成果の大きさ、結果はあまり重要視されていない。つまり、それが課外活動であろうと学業であろうと関係がないということだ。大事なのは行動するまでに考えた過程や成し遂げるまでの困難の乗り越え方であり、理由が伴っていなければ、学生が重きを置いてアピールしがちな成果については就職活動時も大きな効力を持たない。極端に言うと、考えのない行動は人生において「経験値」は上がるかもしれないが、自分の糧にはならない。行動する中で後追いして理由や考えが生まれてくればまた別だが、ただ「活動したという実績が欲しい」という理由だけの行動は価値も低く就職活動時にも簡単に見破られてしまう。

結局は、「学生時代に覚悟を決めて打ち込んだものは何か」という問題なのだ。
真剣に打ち込まなければ物事は大成しない。
私たちは私たちの考える「課外活動をしていた」成功者たちの表面だけを見がちだ。しかし彼らも私たちと同じ人間であり、学業やその他のことと打ち込みたいことを天秤にかける迷いや葛藤もあっただろう。在学中に企業する学生も、休学する可能性や、勉強の時間を取れなくなるというリスクを背負っていたかもしれない。それだけではなく、金銭的、対人関係的なリスクも背負っていたかもしれない。そんな中でもリスクを背負ってもやってみたい何かがあるから行動できたのではないか。それならば、ただ「大学生活は学業よりも課外活動をすべきだ」とは言えないのではないか。

しかし実際に、社会全体が勉強以外の活動を重視している傾向が少なからずあるというということもまた確かだ。それならば、そんな社会にあわせて大学の学習制度も変わるべきではないかと考える。例を挙げると、東京大学や東北大学のような「大学1年次は教養を勉強する」といった方針を全大学共通にしてみてはどうか。高校時はすべての教科を勉強し、知能や条件に合った大学を選び、大学に入学した後に、1年間教養を通して高校時代の教科としての知識を社会の動きに結び付ける機会があるといいと思う。高校までは、学生や学校によって差もあるが「とにかく成績が上がれば良い」といった風潮がある。それこそ、この学習が何を意味するかよりも、公式や語句を覚えれば成績が上がる世界でもあった。しかし大学ではそういった学び方はよしとされない。今後社会に出ていく身として学業のその先を見つめなければいけない。そういった、相互的に多くの学習を結び付ける経験を経て、研究職に進むもよし、経済や法、商業の知識をつけて対外関係や社会財政を担うなどその道のプロフェッショナルになるべく勉強に専念するもよしだ。また、勉強してみて一つに絞れない場合は社会に出るまでの時間を存分に使い、多くの知識を身につけながら課外活動の経験を積むもよしだと思う。つまり、高校時に将来を考えて学部を選択すること、限りある大学生活の過ごし方を入学時にすぐに計画するのは酷であること、教養という広範囲な勉強をしつつ課外活動に打ち込むという選択肢も加えてほしい、と主張したい。

ただでさえ社会人と比べて余裕のある学生がこんな制度にしてほしいと社会に対して望むことはゆとりならではの考えでもあると思う。「大学生でそんなことも気づけないのか」という人もいるかもしれない。しかし、更に良い人材を育てるためには、学生の努力だけではなく教育制度から見直されるべきではないか。「社会の教育制度が悪い」と批判したいのではない。今後の学生が今まで以上に「貴重な学生生活の過ごし方」を考える機会が得られれば社会全体も更にいい方に動くかもしれない、という可能性を考えたうえでの主張である。

私たち学生にとって、大学の敷居は低い。そこそこの学習能力があり、難関と呼ばれる大学を選ばず、学費さえ払えればとりあえず大学に入学できる。進学率が高くなることによって、大学に入学するハードルも下がり、「学問を究める場所」よりかは「社会に出る前の猶予期間」といった考えを持つ者もいる。

結論からして言えば、行動までの考えや社会の柔軟性が大事であり、大学生活の過ごし方に、具体的な「こうでなければいけない」という正解はないと。正解がないということは「考える」ことに重きを置いているということだ。つまり、どんな選択も「考えた結果」ならば間違いではないと思う。(社会的問題でなければ)責任を持って取り組んだことは、どんな経験も結果でもすべて「学び取れるもの」があり、次に「考える」時の知識になる。これをきちんと使いこなすことができれば自分の人生の大きな糧となる。
大学生活は短い。「あと〇年もある」ではなく「あと〇年しかない」のだ。もちろん社会に出てからも学べることはあるが、大学生活でしか学べないものもある。ある意味では「学生」というステータスが使えるのも今のうちだ。
社会に出る時に「どう考えたか」が過剰なほど重視されているのは、「ちゃんと学び取ったものを使いこなすことができますか」という確認なのだと思う。その質問に自信をもって答えられるよう、大學は訓練をする場なんじゃないかと思う。

つまり、何が言いたいかというと、私は自分の専攻に自信を持てなくて、どちらかというと経験に重きを置いてきた学生です。就活を頑張ります。

ダダダダ田

現在新潟の大學に在学中の21歳女子大生です。 出身は群馬県。安中と高崎のハーフ。 好きなことはお酒を飲みながら本を読むこと。 日々の思うことなどを書きます。