ファイト・クラブ(1999/デヴィッド・フィンチャー)
私は今回、この映画をレビューする。
この映画の主人公は、不眠症に悩む平凡な会社員だ。
物語は、主人公(=僕)視点で繰り広げられる。
北欧家具で統一された高級コンドミニアムに住む僕は、カルバン・クライン、アルマーニなどの衣服を買い揃え、物質的には何不自由のない生活を送っていた。
そんな僕は、医者に不眠症の悩みを訴える。
僕は、医者に世の中にはもっと苦しみを抱えた人がいると、睾丸癌患者の集いを紹介される。
その会で、僕は感極まり、不眠症は解決したのだが……。
これが、癖になってしまい、彼は、皮膚癌、結核患者などのグループ集会に参加するようになる。
そこで、僕は自身と同じように、自分を患者だと偽り、集いに参加するマーラ・シンガーに出会う。
彼女に出会ったことで、彼の不眠症は再び悪化の一途を辿る。
彼は、ある日、自身のコンドミニアムが爆発事故に巻き込まれ、家具も衣類もすべてを失ってしまうこととなる。
家を失った僕は、出張途中の飛行機の中で、タイラー・ダーデンと出会う。
石鹸商人の彼は、喧嘩に強く、女性にもてる。野性的な彼に僕は、自分の理想の姿を重ね合わせる。
そんなタイラーは「ファイト・クラブ」というクラブを主催していた。
ファイト・クラブ。それは、殴り合いを目的にした地下秘密クラブ。
連日、参加されるファイトに僕も参加するようになり……。
僕は、ファイトの魅力に取り憑かれた。
昼間はデスクに張り付いて、仕事に追い立てられる。
上司ともうまくいかず、それでも日々をこなさなければならない。
しかし、ファイト・クラブでは違う。
力が正義だ。互いが互いを殴りあう。
そのことに、僕は、喜びを覚えていた。
ファイト・クラブは会員数を増やす。
タイラーは、マーラとベッドの上で激しく抱きあうようになる。
そんな中、ファイト・クラブは現代社会に疑問を持つものたちによって、破壊とテロを繰り返す組織と変貌していった。
僕は、タイラーの立てたビル爆破の計画を阻止しようと、あちこちを奔走する。
そこで、彼は思いもよらなかった事実を知る。
タイラーは僕の中に秘められた人格のひとつだったのだ。
僕は、タイラーの計画を阻止しようとするが、それは叶わぬこととなる。
崩れ行く金融会社のビル群を、僕はただ、駆けつけたマーラとともに、為す術もなく見つめるのだった。
勝ったのは、現代社会なのか、それ以外なのか。
僕の中のもうひとつの人格は何を表していたのか。
鬱屈した心の産み出す虚栄に似た幻想なのか。それとも、僕の本質なのか。
この映画は、以前レビューした と同じく物質社会に疑問符を投げかけている。
それが、間違っているとは思わない。
それでも、時々、疑問を投げかけなければ、僕の僕らの、世界の人々のリヴァイアサンとも言える、欲望は、歪に増大してしまうかもしれない。