日本の報道の「性」問題に関して

  by 横西麗華  Tags :  

私は、昨今の「現代の日本の恋愛」に対し、いささかの憤りを感じている。

どうして男女間の関係がここまで神聖化されているのか?と。
この記事だけではなく、日本の今ある現状とすべての人間に対し思っている。

日本の報道の性問題に関して

「~系女子」「これをつければモテカワ女子」という風潮に不快感を感じたことのある読者も多いだろう。筆者もそのうちの一人だ。
女性だからってモテカワである必要はないのだし、ブサイクはもちろん、可愛い女の子でも「スイーツ(笑)」と蔑まれ、カッコイイ子でも「かわいくできないの?」と蔑まれるのが日本の現状である。かといって地味ではどうか?「薄幸メイク」「目立たない」「特徴がない」と見下されるような社会だ。

そして、男性でも、痩せていれば「頼りない」、太っていれば「だらしない」「邪魔」、無難だと「存在感がない」、かといって存在感があれば「見せかけだけのイケメンっぽい何か」、「うるさい」などと何をやっても見下されるのが今の社会だ。

何が悪いか、と問われれば私はこう答えよう。「勝ち組」という概念と、「気に入らない奴は見下しておけばいい」という「公での足の踏み合いの許容」がよろしくないのだ! ……と。

以下にその問題の一部を記述しておこうと思う。

負けることすらできない「非・勝ち組」の問題

恋に恋してはならない、かといって出会ってはならない、結婚を前提にしなければならない、そもそも挑戦してはいけない、でも新しい何かを探してはならない……このような環境でそだった人間がまともに人を愛するなどという「無謀な挑戦」に出るだろうか?個人見解だが答えはNOだ。挑戦したことがなければ「どれぐらいの利益が出るか」とか以前に「どれくらい失敗したら痛いか」と考えるのが人間である。

新しい挑戦ができない場合、失敗もしないが、そもそも「挑戦したことで得られる利益」なんて出ないのだ。
失恋の人数がどうの、付き合った人数がどうの、童貞か処女かそれ以外か経験過多か、など、文化が発展しているわが国では些細な事象でしかない。それをいちいち揚げ足取りに使う人間の器の小ささには、こちらもいちいち苛立ってしまう。仮に現住所が○○村だとしても、今の日本が村社会であっていいとは思わない(都市社会であっていいとも思わないが)。

女性でも、開脚して暗闇に突進しても得られるものは何もなく、「喪失者」の汚名がつきまとうこともあれば、25歳を超えて未経験だと罵られる場合もある。
男性でも、恋愛経験が多ければ「種馬」と罵られ、少なければ「非モテ」となじられる。
双方の共通点は「真ん中の安全地帯等なく、なにをやってもダメ扱い」ということだ。

性が関係する問題において、必要以上に感情的に、そして悪く言うのは我が国の大きな恥の内の一つである。

バレンタイン問題

バレンタイン商戦を思い出して欲しい。チョコレートはおいしいが、お返しを考えなきゃいけないことや個数を数えるのが面倒な男性、「そもそも貰えない」と憤る男性諸君は多いだろう。それに対し、女性も「なんでチョコをあげなきゃいけないんだ」「あいつにあげると面倒」「そもそも好きな人が甘いものを食べられない」とこちらはこちらで憤る者が多数いるだろう。
筆者はチョコレートは好きだが、2月14日以外でも食べたい時に食べるのでこの日があまり好きではない。

恋愛と「リア充」の問題

リアル(現実)が充実している人間…それが「リア充」だ。もともとはネットスラングだったが、今では広まっている言葉なので、道行く10人にこの言葉を使って話しかければ(少なく見ても)3人はわかってしまうだろう。

しかし、そんな「リア充」と呼ばれる人間はほんとうに充実しているのか?

日本の恋愛において、だいたいが「オシャレな場所で」「オシャレな話をして」「オシャレに抱き合って」というものが多いだろう。果たしてそれでいいのだろうか。

身だしなみを普段から整え、普段からオシャレな場所に行く人間はそれでいい。だが、そうじゃない人間は(男女、どちら側にしろ)そういった行為が苦痛でしょうがないのだ。じゃあなぜそこまでこだわるのか? それは、TVや雑誌の特集では「デートスポット」とされる場所はだいたい「緊張しそうなほど」オシャレで、「普段から通うにはちょっとつらい」ようなルールやお値段が設定されている。そんな不自然な環境で恋愛をしなきゃいけないなら、そのあとの結婚がどうのこうのなんて言ってる場合ではないのだ。
もちろん、こんな環境で婚約したら、結婚後に「妻が太った」「男がハゲた」と、その程度で相手が嫌いになったりするのだ。

つまり、恋は出来ても愛せないのだ。そんなことを強要するような環境で性がどうのこうのなんて言ってる人間だらけの環境で討論でもしようものなら「建前だけはみんな一緒」なので、本音を言った人間から潰されては、つぎに結婚したものが潰され、最後に恋愛をしたものが潰される。それが今の日本だ。

話を戻すが、これのどこが充実しているのだろうか。
そして、こんな人間同士が子供を授かったところで、幸せにできるのだろうか。

考えてもみてほしい。自分を幸せにする方法どころか願望すらどうもっていいかわからない人間が、その子供を愛することができるか。そしてその子供に恋人ができるかどうか。

我々はこの問題に関して、怒鳴らずに、裏でもめ合いもすることなく、そして真剣に討論すべきだ。

 

余談だが、筆者はクリスマスカードをネット上のつながりで送ったところ、いきなり悪口を言われるという行為を連続5人にされた。日本にはびこる恋や性の問題は、根深く、そして広く張り詰めているようだ。

ジェンダー思想にとらわれないオタクです。東洋医学を勉強しつつ、ネット上から現実のウワサまでを追いかけ、気が向いたら記事にします。どうぞよろしくおねがいします!