「幽体離脱」は、あるのかないのか。それは、あるのかもしれないし、ないかもしれない。
それを証明する手段は今のところないと言ってもいいでしょう。つまりは、あると断言する人を否定することもできないのです。
そこであると仮定して考えてみました。
幽体離脱とは、魂が分離し、そこに残された自分の身体を見て離脱してるかどうかを確認しているのが多く認められる体験です。そして多くの場合、幽体離脱の話は、視覚情報だけで話が展開されているのです。
ここで、ひとつの疑問が浮かびます。もし、これが音声情報だけならば、幽体離脱したことを自身が確認できるのだろうか。たとえば、体から1m上に離脱していたとしても、それが離脱であるかどうかは、確認しようがありません。仮に別の部屋に離脱して行ってみたとしましょう。隣の部屋の話を聞くことが出来ました。そしてそれを確認できた時、それはテレパシー(受信)とも呼べるのではないでしょうか。
スピリチュアルな現象は、呼び方で様々ありますが、結局ひとつの現象における視点違い、分類分けしてるだけなのかもしれません。ただ、何かがあるからこそそれらは、命名されているのだとも思います。
さて、自分自身についても、魂がひとつのものとして生活していますが、ミクロ分解していけば、細胞の寄り集まりです。脳細胞の統一意識で行動はしてますが、結局自分自身とは、どこまでを自分と呼べるのかを言い切ることはできません。
幽体離脱に話を戻しますが、右手の親指だけが幽体離脱することも否定できないのです。それは、身体的に見れば、右手の親指だけを本体から切り離して組織溶液の中で生かすこともできるからです。生命活動を認められるのです。
生きています。生きてるということは魂が宿っているということです。 つまりその魂は、離脱可能ならば、離脱する権利を有するということになるのです。
しかし、そうなってくると今度は、ウィルスという存在は何なのかという疑問が沸いてきます。細胞に宿って、その本体を攻撃し始めるからです。ウィルスは生き物ではありません。細胞を乗っ取るプログラムと呼べます。自分が宿った主のプログラムを書き換えて、自己を攻撃するようになります。
そこまでくると、私の魂とは、いったい何なのだ?となります。もしウィルスに感染すればその感染部位は元の自分ではなくなってしまうのでしょうか?もし、それが脳ならば?もし、それが体全体ならば?そして、自分が自分であるかどうかは、自分で確認しようがありません。たとえば、昨日の記憶を失った自分は、昨日の自分を自分で説明することができないのと同じなのです。自分が「自分」であると、ただ認めるしかありません。自分自身で自分自身を説明や証明はできないのです。
また、自分が自分を定義づけることもできません。1時間前の自分と今の自分と、微小ながらも変化はしています。1時間前に会った人にとっては、自分は1時間前の自分が真実です。しかし、現時点の自分にとっては今の自分が真実になります。もうここまで来れば、細胞レベルの話じゃなくて哲学に足突っ込んでしまいます。
幽体離脱を考える時、抜け出して行く自分は何だろうと思います。もしかしたら残存思念と呼ばれるもののように、1時間前の自分がどこかをさまよってるかもしれません。自分であるが、今の自分とは違う自分なのですから。
幽体離脱
by Koichi
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興味を持ったことには、猪突猛進。自他共に認める努力家ストイック派だが、自他共に認められるほどの不運の持ち主。現在の趣味は記事への所感投稿と、聖書解読と、空手。目指す目標は、君子。気持ちは任侠。