我が国ニッポンの公衆便所が、駅のトイレが神社仏閣の御手洗いが飲食店の洗面所が、二分されているのにお気付きだろうか。
勿体無い精神 VS ザ・日本の技術力
ニッポンの美しき心“勿体無い”はモノを大事にし大切に使うことの顕れである。
しかしこれはよくよく注意をしなければ、買い替えるべき取り替えるべき更新すべきタイミングを見逃すことになる危ういココロでもある。
勿体無い精神がそのタイミングを逃していないかを見極める目を以ってもったいながらねばならないが、それこそが本当に難しい。
見極める目を、いったいどれほどの日本人が有しているだろうか。
今後「勿体無い」の真価が問われる時が来るかもしれない。
その時に日本人である我々は意地になってもったいながっていないか、自分を客観視出来るだろうか。
一方、“最新”市場に於いてニッポンの技術力は安かろう悪かろうの日本製を払拭してからというもの世界を驚かせてきた。
島国ニッポンだからこその発想で作り上げたさまざまなコンパクト化の技術は進化に進化を重ね、昨今の精密機器はこんなに小さくて本当に大丈夫か思うほどコンパクトになっている。
しかし我々はコンパクトであることを良しとしてきたがため、何か大きなものを見落としてはいないだろうか。
今後、日本の技術力や日本人の細やかな仕事が批判の憂き目に遭う日が来るかもしれない。
会議を丸ごと録音出来るボイスレコーダーのコンパクト技術は高いが使う人間が小さすぎてうっかり失くしてしまったり、あれもこれもと丁寧に行き届いた多機能ロボットの開発が進み商品化されれば人間が自分で考え行動することを怠りジワジワと自分でも気付かないうちに堕落していく。
そんな、技術力ではいかんともしがたい弊害が問題視される世の中が来た時、日本人である我々は技術力こそ世のため人のためと声高に叫ぶことが出来ようか。
古き良き勿体無い精神も、進歩をもたらす未来への技術力も、私たちの目には具体的に見えてこないとお思いであろう。比較対象出来るだけの資料が自分たちの目に触れないと感じておいでだろう。
何をおっしゃいますウサギさん、出掛けた先にあるビフォー便所とアフタートイレを見よ。公衆便所や駅のトイレや神社仏閣の御手洗いや飲食店の洗面所は、勿体無い精神と技術力の比較の場なのである。出掛けて比べてかけ比べ。
トイレの新しい間取り
今やトイレは用を足すだけの空間ではない。
子育てを応援する部屋なのである。
少子化に拍車がかかる世の中にひっそりとエールを送る場所なのである。
入口はいたって普通
関係者以外立ち入り禁止と書いていてもおかしくはない無機質なドアにすっかり気が緩んでいた私はまずその人数に驚く。
なかなかの人数を収容可能である。
母親に、幼児が男女で各1名、赤ちゃん1名の性別はわからないがオムツを穿いていることはよくわかる。手のかかる子供を引き連れた合計4名様。赤いアンダーラインを引かれている女性がひとりで大変だ。
まァ一度に入るってわけじゃなくてこれらに該当する人物専用ですよ、という意味で示したのだろう、と納得してドアを押す。
二部屋+ホール
入れる…入れるではないか。
十分に4名いっぺんに入れる間取りをしている。
あの無機質なドアからは想像も出来ない優しいピンクをベースにした可愛らしい空間がそこには広がっている。
初孫を楽しみにする気持ちが湧いてくるような模様の壁紙がトイレに使われていることの衝撃と言ったら、濡れた花嫁がシースルーのベールを被っているようなもんである。なんか、よけいにキレイ。
便器部屋は親子並んで仲良く用が足せ、その距離感も絶妙で親しき仲にも礼儀ありといったちょっとした遠慮が配合されている。
余裕のある配置であるが、かといってどちらかが悲しくなるほどは離れていない。
きょうだいの距離感もまた絶妙に計算されている。お兄ちゃんだかお姉ちゃんだかを高い所からではございますがと眺める弟もしくは妹。
高みの見物をしているがよい、所詮おぬしはオムツの身、自力排泄のひとつもろくに出来まい、と余裕をぶっかます兄。
きょうだい間の上下関係が明確にあってこそ、兄から学び、弟に諭し、姉に見守られ、妹を窘める、そんな社会の中で欠いてはならぬ教訓を会得していくのである。
見よ、きょうだいがまっすぐに前を向いた時、互いに邪魔にはならないが視界の端にその存在を認めることが出来る。
きょうだいとは、そうゆう存在である。
居心地の良さを追求
トイレの鏡がこんなに大きくこんなに主張することが今まであっただろうか。
トイレのゴミ箱がクチを開けてこんなにゴミをウエルカムしていることがあっただろうか。
手を洗い、ペーパータオルを引き出したら手を拭きながらゴミ箱直行、という無駄のない動線である。
便器部屋ともうひとつ用意されている部屋は授乳・おむつ交換室。
すくすくベビールームという名の部屋である。
中にはメインであるおむつ交換台(折り畳み式)があり、その奥には休憩するには長居してしまいそうなソファを完備。
かなりの居心地の良さである。
ここがトイレであることを忘れ、軽食くらいなら取れそうなほどだ。
そしてもうひとつここがトイレであることを忘れ、長居してしまいそうなアイテムが完備されている。
まさかのエアコンである。
ニッポンのアフタートイレは思いやりに満ちている。
いいや、もう思いやりしかないと言っても過言ではないだろう。
勿体無い精神が宿る便所
勿体無い精神が宿るビフォー便所のほうはというと、受ける印象は少々ザツである。
どうしてそうなってしまったのか
何かを失敗する、それは人間ならば誰しもが経験することである。
その後のリカバーでフォローすればいいことで、経験者たちはそれをあたたかく見守ってくれることだろう。
荷物をかけるフックがあまりにも高い位置にありすぎた。
だからココまで下げる、という指示をマジックで書いておいたのだろう。
油性マジックで書いているヒマがあったらとっとと自分で下げたほうがよかったのではないか。
暗い、とにかく暗い。
電気が点いていないわけではない。
電気の位置がとても悪くて個室にまで光りが届かないのだ。
たったこれっぽっちしか届かない。
たった、これっぽっちしか。
暗い、暗すぎる。
かざす 近づける センサー天国
覚えておこう、水を流すのではなく流水音である音姫を作動させたい場合は、手をかざす。
実際に水を流したい場合は、手を近づける。
センサーにはきっと、かざしているのか近づけているのかの区別はついていないだろうから、人間のほうがかざしているのか近づけているのかの意志を持って行動すべきである。
かざせば音、近づければ水。
許容範囲内のズレには目をつむる 勿体無い精神ここに極まれり
おわかりだろうか。
トイレットペーパーホルダーが若干斜めにズレている。
しかしこれくらいのズレであれば使用には問題ないだろう。
こだわらない生きかたの成れの果て、究極の時短。
「このズレを修正しとる時間で別の個室のトイレットペーパーホルダーを設置出来るわい、ちょっといがんでるくらいが何やねん死にはせん」
そんな職人の粋な声が聞こえてきそうである。
おわかり、だろうか。
やはり若干斜めにズレている、カギを通す穴が。
これはさすがに支障あるだろうと思ったが、力任せに一応カギはかかる。
力任せにかけたカギは力任せにオープンすることになるので、スライドタイプのカギゆえに指先の力が必要にはなるが、頑張ればなんとかなる。
このズレを修正する時間で別の個室のカギ穴を、職人はいがましているだろう。
ドアは閉まらなくなるまで、あるいは開かなくなるまで、補強で凌ぐ方針である。
個室にこのような穴が開いていることにいちいち目くじらを立てていたら、ビフォー便所マスターは務まらない。ドアにこの穴が開いていてこの穴が貫通しているのなら、いくら女子便所内であってもプライバシーの侵害に匹敵するので目くじらを立てるべきである。
しかし、以前にココに何かが設置されていてそれを取り払った後の傷痕として壁面にあるだけのことなら、広い心で見逃すのがビフォー便所マスターの務めである。
まあまあ数が多くても見逃すことから始めよう。
甲乙付け難いニッポンのレストルーム
このようにニッポンのレストルームはビフォー便所とアフタートイレに二分されており、一見「丁度いい」と感じるレストルームであってもよくよく見ればどこかしらの部分がビフォーに傾いていたりアフターに洗脳されていたりするものなのである。
ビバ!ビフォー便所!
アフタートイレ、万歳!
こんな身近な空間で比較をしてみれば、おのずとバランスが大事だということに気が付く。便利さを重視しているばかりでもいけないし、コストダウンだけを狙ってもいけない、無駄を徹底的に排除することも、遊びだらけでごちゃごちゃするのも、それはそれでバランスが悪いのだ。
勿体無い精神も最新技術も捨てがたいが、人間そのものをシンプルに捉えているか。
まさに武道の心得、レストルームに見る心技体である。
※全画像筆者撮影