生活保護とパチンコと広告

  by アルナオ  Tags :  


先日マネタイズ勉強会に参加しました。ちょっと考え込んだのが、広告はギャンブルなのか取引なのかという広告の性質についてでした。

最近のWeb広告は中間に業者が入ってオークションを経ることで最適化されているそうです。網羅的に行えば経済活動なのでハズレ馬券が経費になるという最高裁の主張を借りればWeb広告が経済活動になるのは明らかです。

網羅的に買わなければ馬券購入はギャンブルになりそうですが、ギャンブルなら賭博罪が適用されそうです。馬券を買った園田競馬の厩務員が4月15日に逮捕されましたが、賭博罪ではありません。馬券を買えば国が潤うのでお目こぼしがあるというより、賭博かどうかは慣習的に決められるところが大きく、その慣習は社会の慣習と言うより裁判官の印象で決まってしまうわけで、賭博かどうかという基準は客観的に矛盾することになります。

Web広告を見た時のイメージも同じように矛盾していて、同じ広告でも印象が違うことがあります。どこかで見たことがあるような内容をまとめたような記事にある広告はうさん臭く映って、新鮮で面白い記事にある広告は信ぴょう性が高く映りがちです。そういったイメージに合った広告をうまく表示する仕事はやりがいありそうですが、センスが足りないと逆効果になってしまうでしょう。センスの良い担当がついてくれるかどうかはギャンブルになるので、結局広告はギャンブルだなと考えていました。

パチンコは娯楽かギャンブルか

ギャンブルと言うと、生活保護とパチンコの問題が頭に思い浮かびます。パチンコを娯楽とする国側とギャンブルとする市民の争いになっていますが、一体どちらなのでしょうか。

昔麻雀雑誌のコラムで、パチンコのレートは麻雀のリャンピンに相当するという記述を読んだことがあります。リャンピンと言われても何が何だかわからない方が多いとは思いますが、1000点200円というレートで、細かいルールによって差はありますが、1局1万円程度の勝ち負けになるレベルです。

5年ほど前にテンゴという1000点50円のレートで運営されている店が摘発されたので、その4倍のレートになるパチンコ店が摘発されないのはおかしい感じがします。通常の4分の1のレートになる1円パチンコでも摘発されることになります。

こういう話の展開にすると、パチンコ業界が警察に付け届けをしているなどという話になると思われてしまいそうですが、ちょっと話を過去に戻します。

最近のパチンコには詳しくないのですが、20年ほど前のパチンコは娯楽でした。1玉4円で借りて、2円ちょっとで買ってもらえるというシステムが一般的だったのですが、お金ではなく景品に交換する時は4円換算だったのです。1000玉持っていると2300円くらいにしかならないのですが、カウンターの近くのケースにはゲームソフトやCDといったものが並んでいて、5000円くらいのものが1000玉で交換できていたのです。さらにイベントが行われる日には200玉で米5kgを交換できたり、10玉でおにぎりと交換できたり、貧乏な頃にお世話になっていた記憶があります。

これが大きく変わったのは等価交換が一般的になってからです。イベントも芸能人が来たりテレビ取材が入ったりというものが増えました。広告費がかかるなら客が得するケースは少なくなります。パチンコは損をするという認識の人が多くなり、娯楽とは思えないのでしょう。

今40代から50代以上で、学生時代にパチンコをやっていた人は、その頃のイメージでパチンコ=娯楽と思っていて、30代以下の人はギャンブルと思っているところに矛盾が発生していると考えられます。パチンコ業界が努力して娯楽要素が増えても、ギャンブルと思っている裁判官が増えればギャンブルという判断になってしまうでしょう。

パチンコは文化になりうるか

ギャンブルと判断するかどうかという問題は、矛盾にあると言うよりタイムラグにあると言った方が良いかもしれません。タイムラグを発生させないためには広告が必要になります。歴史上の芸術家には死んでから作品に価値が出た人がいますが、うまく広告すれば生きている間に価値が出た可能性があります。芸術品もギャンブル要素がありますが、鑑定という網羅的な知識の試練を受けることでギャンブル性を大きく下げることができます。

競馬が単なるギャンブルとされないのは、ブラッドスポーツの側面があるからです。皐月賞で人気になっているサトノダイヤモンドはディープインパクトの子供で、18頭中6頭もディープインパクトの子供が出走しています。この中から凱旋門賞を制して親の無念を晴らす馬がいるかも知れないと思うと心が躍ります。

近年のパチンコは台の設定が全てで、等価交換で出玉率を100%以下にすれば、長く遊ぶほどマイナスが増えていくことになります。100%でも玉を床に落とすことがあるのでマイナスになります。累積赤字を計算すれば家が建つというレベルになれば、やらなければ良かったと思うのは普通で、生活保護受給者だけでなく、全ての人にやらせたくないという社会的合意があると思っても仕方ありません。

パチンコの性質上友達と行くのは難しいと感じているので、パチンコを通じて人間関係を構築していくのは一般的なものにはならないでしょう。逆に、考えが行き詰まったり、頭を使いすぎて疲れている時に行くのはおすすめです。徹夜で民法の参考書を読んだ後などに行くと、頭がすっきりしてさらに勉強できたものです。

何も考えずに玉の流れを見つめていると、脳を休めることができるなら、ストレスの多い現代社会の病理に対応する文化として成立していく可能性はあります。客の負け分が店の利益になるのではなく、様々なストレスケアを併設してその利益でやっていく形になるなら生活保護の人がパチンコをしても良いということになるはずです。

ストレスケアに舵を切っても、うまく広告しないと莫大な設備投資が無駄になりかねません。広告の信ぴょう性を高めて広告がギャンブルにならないようになる記事を書ける日が来るよう努力していきたいものです。
(写真は筆者撮影。奥日光のかまくら祭りのもの。ギャンブルはわずかな光の中を歩くようなものでしょう。)

何でもかんでも競馬に例えてしまうのが悪い癖なので、競馬は門外漢という皆様には読みにくいかもしれません。逆に競馬好きの皆様は法律経済のあたりがわかりやすくなるかも?