大阪中1殺害事件ではなぜ親の責任を問われないのか?

  by あおぞら  Tags :  

大阪で中1の仲良し同級生が、45歳の前科者の手にかかり本来であれば夏休みを満喫しているであろう二人が、既にこの世の人ではなくなった。いや、まだ山田浩二”容疑者”の立場であるから殺人鬼と決めつけることはよくないかもしれない。しかし、過去の経緯から犯罪に手を染める要素は見受けられる。

ネットニュースや動画でこの信じがたい殺害事件を見ているが、不思議なことに中1の二人の親を責めていない。ようやく元横浜市長が「保護者への罰則も考えるべき」と発言して、本来なら最初に出るべき意見がこんなに遅くメディアに出てきたかと思った。

日本のマスコミは比較的右にならえと言うか、違った意見を扱わない気がする。それに殺害された中学生の親御さんの気持ちを配慮してか、親の子供に対しての無責任さに対して何も言っていなかった。だからこの「保護者への罰則も考えるべき」がようやく真っ当な考えとして登場したのが、救いのような気がする。

中1ということは、この春まではまだ小学生だったのだ。そのわずか半年前までは小学生だった中1の幼い男女が、真夜中家にも帰らず夜の街を徘徊して、しかも友達の家に泊まることを願い出て断られ、野宿を考えること自体親の管理不行き届きで、親として完全に失格である。

友だちの家によく泊りに行っていたから特に気にも留めなかったとしても異常である。夜は家にいるものである、ましてや12歳、13歳の子供である。自分の子供が夜に自宅にいないことに対して何とも思わないのだろうか?

メディアは山田浩二容疑者について事細かに調べ上げて情報を流し続けているが、残念ながら世の中にはこのような尋常じゃない人間がいるのだ。正常な人間すら何かが憑依したように急に変な犯罪を起こすことだってある。真面目な会社員が何を血迷ったか電車内で痴漢をするケースだってある。要するにこの世の中は何が起きても不思議はないのだ。

今回この事件で治安のことを取沙汰している人たちもいたが、治安というより一番小さな社会である家族の問題だ。殺人鬼、異常者、変質者の容疑者に不運にも最悪のタイミングで会ってしまうようなことを、親として野ざらし状態にしていたわけなのだ。これを責めずして容疑者を調べ上げても話にならない。

世の中には悪い奴がいるのだ。畑の作物も丁寧に育てたからと言ってもウラナリや実を結ばないものは出てくる。人間だって残念ながら自然界の中では同じようなものである。悪者に対しては自分で身を守らなければならない。何も教えておらず深夜に街をふらつく子供がいたこと自体が事件に繋がってしまったのだ。親が夜の外出禁止を当たり前のように徹底し見届けていれば、中1の少年少女はこの9月に始業式を迎えられたのに……

ニューヨークから発信しています