先日、ポストされたihayato.書店の記事、猪子寿之氏:「上の世代と理解し合えているやつはヤバい!20世紀に冒されてるね!」に大変共感を覚えたわけです。
なぜなら、僕は上の世代と本当に価値観が合いませんし、言ってることもわかりませんので。(逆に、上の世代からすれば、僕の言っていることもわからないと思いますが。。)特に40以降の人は。
それは後述するとして、内容は以下の通りです。
12/14に開催された 2020-working | 【2020年の自分へ】−「働く」をデザインする時代に向けた若き有識者による緊急提言−での一コマで。
上世代と価値観が合わない理由
堀さん:周りから求められる実感というのは重要、というお話がありました。高木さんは大企業だとどうでした?
高木さん:いやー、大変ですよ。ぼくはコピーとか書いてたんですが、現場(クライアント、市場)に出るまでに、上司に却下されつづけるんですよね。出してみないとわからないのに。
で、会社を1年でやめて、コピーライターの実績ないけど、最初は求められるがままにタダで書きまくったんです。そしたら1個くらい当たるじゃないですか。で、実績ができてきてそれをポートフォリオみたいにまとめて、「1件何十万でやります」と言っていたら本当に仕事がきた。
コピーライターなんて適当だな、と。資格とかないじゃないですか。言ったもの勝ちで、実績作ったもん勝ち。
高木さんの最後の言葉は実績のない僕みたいなの人にも、応用できるんじゃないかなーって思います。実績はないけど、とりあえず自分のやりたいことをやりまくる。たとえただ働きとなっても。
僕も、最近は編集者・ライターみたいなことを勝手に名乗って何件もこなしていくうちに次第にお金が発生するぐらいまでになりました。もちろん、今までそんな実績はありません。ただただ面白いからやり続けただけです。
更に共感したのは、猪子さんのことば。
猪子さん:根本的に、ぼくらはたまたまちょうど情報革命が起こったわけですよね。つまり、前の世代とは、理解し合えないですよ。絶対的に。理解し合えると思うことを諦めた方が良いよね。
大企業の話でも、高木さんのコピーも、新しい社会に生きる人たちには刺さるものだったかもしれない。でも、それは前の社会の人たちからすると、どうしようもなく見えるときがある。
それは当たり前で、農耕社会で、槍投げてる人に「田植えすごいよ!」と言っても、それより「肩の力付けろよ!」となるじゃないですか。
(中略)
まとめると、上の人には理解してもらえないんですよ。副業という手段もあるかもしれないし、大企業に行くのを諦める、という手段もある。世界中の同じ世代に向けて何かをやる、という道がある。そうでなければ、忍耐力を挙げて、ひたすら槍を磨くとか?
本当にほんとうに心臓が止まるぐらい共感しました。
同じこと思っている人なんてたくさんいるんだなーって安心もしました。
冒頭にも述べたように僕も上の世代とは、分かり合えない人間です。
例えば、今の会社では転職して早々になぜか、上の役職の方から「坊主にしろ」と言われました。
本当に『謎』です。
理由としては、「若い奴は坊主」という考え方があるそうなのです。
正直、意味が分からないので、とりあえず無視していますが。。笑
下積みなんていらない
まあ、あとは「下積み3年説」も良く言われる上世代の価値観ですね。
これもよくわかりません。
「やりたいことを見つけるまでは、とりあえず会社にいるのがベター」という選択肢は、ちょいと人生を遠回りしているように、ぼくには思えます。まぁ、環境によっては合理的な判断ではあるんでしょうけれど…貯金もできますしね。
ただ、そういっていつまでも会社に残っている人を、ぼくはけっこう知ってるんですよねぇ。会社にいると変に求められちゃうので、踏ん切りが付かなくなるという悪影響もあるのでしょう。そういう生き方を全否定するわけではないですが、「とりあえず今は、会社で下積みをしているんです」って、明日死んだら後悔するような生き方だとは思います。
いやー、ホントくだらない下積みとかやらないでよかったです。オフィスの掃除とか書類整理とか電話番とか上司とかクライアントにビール注いだりとか、まったくブロガーには関係のない能力ですからね。時間の無駄。
一度社会のレールからダイブしてフリーターになった僕が、大手広告会社に内定を貰えた理由。 (前篇)
自分が望んだ場所や仕事ではないところで、仮に3年我慢して頑張ってみたとしても、
そこで何かが見つかるとも限らない。
もし仮に、後で後悔したとしたら、それはかなりの「機会損失」になるかもしれない。
その3年間はもう返ってこない。
だったら、「こうしたい」と思った時に、行動した方が得るものは大きいと僕は思う。
それが、その時点では仮に失敗と思えたとしても。
当たり前だけど、結局、僕の人生は他の誰かが責任をとってくれるわけではないわけで。
かなり生意気なことを発してしまいましたが、要は新しい猪子氏が仰るところの、「情報革命意向」に自我が芽生えた新世代は、上世代の価値観に囚われず、「嫌われない程度」にうまく共存していくしかないのでしょうかね。
ただ一つだけ言えることは僕たちは、僕たちなりの価値観で胸を張って生きていっていいということだと思います。