鉄人・小橋健太引退

  by toshiharu sato  Tags :  

プロレスリング・NOAH所属のプロレスラー・小橋建太が12月9日の両国国技館大会で引退を表明した。

90年代の全日本プロレスに君臨した「全日四天王」は全て一線を去ることになった。

 

「小橋健太」が四天王の一角に入ったのは93年7月の札幌中島体育センターでテリーゴディに勝利してからだ。当時「善戦マン」と呼ばれジャンボ鶴田、スタン・ハンセンなど力のある選手達と互角に試合を繰り広げてはいたものの「壁」を越えられずに居た小橋健太がテリーゴディをムーンサルトプレスで下し、強豪外国人選手の壁を越えて見せたのだ。

 

その後、世界タッグ獲得、三冠奪取とメインイベンターの階段を駆け上がっていった。特に思い出深いのはスタン・ハンセンとの試合だ。全盛期を超えてはいたものの、パワー健在だったスタンハンセンと小橋健太の戦いは常に感情むき出し。特に小橋がムーンサルトを狙いトップロープに登ったところをハンセンが下からウエスタン・ラリアットで仕留めた試合は語り草となっている。素早い動きと、華麗なムーンサルト、そして気合十分のファイトスタイルに全日本ファンは魅了されていった。ジャンボ鶴田が病に倒れた後、小橋健太は全日本プロレスの中心選手として活躍した。

 

押しも押されもせぬメインイベンターとなった小橋健太は、とにかく相手の技を受けるレスラーであった。スティーブウイリアムスの垂直バックドロップ、三沢光晴のタイガードライバー91、川田利明の垂直落下ブレーンバスター。時には田上明の断崖のど輪落としで口から血を吐いた事もあった。当時そんな小橋健太を見ていて「大丈夫なのだろうか?」と不安になった。体が、ボロボロになるのではないか?そんな心配をよそに、ハードな垂直落下プロレスを続けていた。

 

私は全日本プロレス分裂後、プロレスリングNOAHを全く観ていない。だから、私の中で小橋健太と言えばオレンジのパンツで颯爽とジャンピングリングインし、ムーンサルトプレスで相手を仕留める小橋健太のイメージが強い。もちろん「絶対王者」と呼ばれプロレスリングNOAHで活躍しているのは知っていた。しかし私の中では、小橋建太ではなく、小橋健太だった。

 

昨年、東日本大震災からの復興イベントで見た小橋健太のプロレスは、想像を絶するものだった。腎臓癌、肘の手術、膝の不調。オレンジパンツで颯爽とジャンピングリングインをしていた小橋健太は影を潜め、膝が動かず痛々しいプロレスをしている。もう引退させてあげて欲しい。見ていて、そう思った。

 

そして2012年の引退発表。予想以上に小橋健太の体はボロボロだったのだ。引退発表の際、「辞めるな」と言う言葉も飛んでいたが、もういいのではないだろうか。ハードなプロレスの代償は、他人から見てもせつなくなるほど大きかった。ファンのわがままでレスラーをリングに上げるのは、もう終わりでいいのではないか。悲惨な事故は、もう見たくない。

 

「人生が終わったわけではありません」小橋はそう言った。小橋健太ならプロレスができなくても、出来る事があるはずだ。

 

 

 

 

 

 

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