天才子役・寺田心くんと、2005年版に続いてメガホンを握った鬼才・三池崇史がタッグを組み、令和の時代とともにスケールアップした冒険ファンタジーを描く『妖怪大戦争 ガーディアンズ』が公開中です。妖怪役として、杉咲花、大沢たかお、大森南朋、安藤サクラ、大倉孝二、三浦貴大、大島優子、赤楚衛二、SUMIRE、岡村隆史、遠藤憲一、石橋蓮司、HIKAKINという豪華キャストが出演していることも話題の的です。
その本作の製作総指揮であり、劇中では国際妖怪会議<ヤミット>の議長で、江戸時代の妖怪<雨降小僧>を演じている作家・翻訳家・博物学者の荒俣宏さんにインタビューをしました。荒俣さん自身妖怪に魅せられ、妖怪博士と呼ばれるほど妖怪に詳しく、愛情を注がれていることは知られていますが、人はなぜ得体の知れない妖怪に魅せられるのか。ご本人にお話をうかがいました。
■公式サイト:https://movies.kadokawa.co.jp/yokai/ [リンク]
■ストーリー
フォッサマグナに眠る古代の化石たちが一つに結集し、巨大な妖怪獣へと姿を変えた! 向かう先は東京。
このまま妖怪獣の進撃を許せば、人間も妖怪たちもタダでは済まない。
この危機に妖怪たちは、伝説の武神『大魔神』の力を借りるため、伝説の妖怪ハンター・渡辺綱の血を受け継ぐ気弱な少年・渡辺ケイに白羽の矢を立てる。
しかし、ひょんなことから、ケイと間違えて弟のダイが妖怪たちに連れ去られてしまう! ダイを助けるため、ケイは謎の妖怪剣士・狐面の女の導きで大魔神のもとへ向かうが、人間嫌いの狸の大妖怪・隠神刑部がケイと妖怪たちに待ったをかける。
そして渡辺綱の末裔であるケイの命を狙う、鬼の一族が姿を現わすのだった。はたして、選ばれた少年・ケイは弟を救い、大魔神をよみがえらせ、妖怪獣を止めることができるのか?
すべてを巻き込んだ妖怪大戦争がついに始まる!
●本作は、寺田心くん演じる少年・ケイの成長物語でもありましたね。
『妖怪大戦争』は、子供たちにも観てもらいたいので、子供を主人公にするという作り方になりました。子供と言うのは、昔から妖怪とつながりが多いんです。簡単にいえば、あまり疑わない。疑うことを始めとする“武器”を持っていないので、最終的に“受け入れるしかない”という存在が活躍をする、というのは、それなりに物語の趣旨と一致していた思います。心君は、ある意味で大人だか子供だかわからないような達者な人だから(笑)、子供なのにさらに子供らしい演技をしてくれましたね。
●先生もヤミットのシーンで議長「雨降小僧」として出演されていますが、いかがでしたか?
映画の中では寝てるだけだからね(笑)。でも面白いですよ、やっぱり妖怪になるということが面白い。仮装行列とか扮装とか、妖怪になるということは、一種の憑依なんです。他のものになりたい、つまり化けるということですよね。化けるという妖怪の特質は、人間の深い欲望の一つなんじゃないかと思います。目が覚めたら違う人になっていたというようなこと、つまり現実では達し得ないようなことにも妖怪は到達することが出来る。そこで人間も化けられる、ということが妖怪映画の一番自由なところじゃないかと思います。この自由さをテーマにしたからこそ妖怪映画は意味がある。みんなどんどん化かす。この作品も、映画を観るお客さんをたくさん化かすように、色んな仕掛けを入れてありますね。
●人間の欲望をヒトに代わって満たすところを含め、そもそも妖怪はなぜここまで人を惹きつけるのでしょうか?
妖怪とは、現代人にとっての「最後の拠りどころ」なんじゃないかと思います。何をするにしても、「ここまで追い込まれても許される」という滑り止めを、人間は妖怪にもとめました。なぜなら、妖怪は神様とちがい、個性があって弱さも滑稽なところもある。つまり、話が分かり、こちらも相手の気持ちがわかるんです。コミュニケーションが成立する「神様もどき」といえるかもしれません。
たとえば動物が犯人なら、熊が出たら熊を退治すればいいんだけど、そうじゃなくて目に見えないコロナのようなものはどうしようもない。そういうときにどうするかというと、「これは妖怪の仕業だ」「これは神のやったことだ」と責任を押し付けられ、最後の安心のしどころというのが常にあった。合理的とか非合理的とかは度外視されていて、人間がごく自然に、一番古くから、ある種の自己防衛の最初の機能、方法として発見したことじゃないかと。だから「妖怪のせい」と言えば済むわけですよ。妖怪はそういうものの最終形態であったわけですが、科学の時代になってどんどん忘れ去られて行って、キャラクターやおもちゃになっていった。だからコロナが出てくる前までは、ある種妖怪の停滞期だったともいえます。
でもコロナになって以降、手の施しようのない世界になった時に、みなさんよくご存じの「アマビエ」みたいなものがいきなり出てきた。なんだこれはと思いました。アマビエなんていうのを話題にした人って最近ではほとんどいなかったわけですよね。わずかに研究としてアマビエは「アマビコ」の読み間違いじゃないかっていうのがあったぐらいで。「アマビエ」を面白いという風に思われることがないぐらい忘れ去られていたわけですが、そういう状況で突然出て来た典型的な妖怪でしょう。いきなり出てきて、「これから天変地異が起こりますから、アマビエの姿を絵に描いて家の前に貼っておきなさい。そうすれば大丈夫だよ」というんで、江戸なんかで瓦版が売れたわけですよ。売った人は儲けたけど、買った人もある意味安心ができた。
●その売り買いの事象は現代にも通じるところがありますね。
この源は、八坂神社のパターンで、「我々は蘇民将来(そみんしょうらい)の子孫である」というお札を貼っておけば、天変地異をまぬがれるというのがある。蘇民将来は貧乏な人でしたけれども、ある日村にやってきた牛頭天王(ごずてんのう)という神様に一晩寝床を提供したんですよ。他の人は誰も泊めてあげなかった。牛頭天王はこれに怒って、「ほかのやつらは俺を泊めてくれなかったから、こんな村はつぶしてしまえ」と八匹の龍の子供に襲わせるわけです。でも、一晩だけ泊めてくれた貧乏人がいたな…あいつだけは助けてやろう、ということで「蘇民将来の子である」という札を貼っておけ、という命令を出した。他の村人たちはひどい目に遭ったけど、お札を貼っていた家だけは助かったという、一連の、最後の神頼みですよね。お札を貼っておけば安心という。最後の安心というのが、やっぱり一種、妖怪だったんじゃないかと思います。妖怪にやさしく、という普段からの心がけが最後に報われる。
だからこそ人は妖怪に惹かれるんじゃないですか?何があっても最後はここに行きつく。あらゆる手段を失ったときには、妖怪にすがって安心ができる。安心安全の一番の源はこれだった、ということがなんとなく実感として分かった。だから、コロナ以降にこの映画が先頭を切って出るというのは非常に重要なことであります。
この映画は『妖怪大戦争』ですが、戦争は回避されます。なぜ鎮まるかといったら、アマビエと同じようなお札がちゃんと発見されて、そのお札が「戦争なんかやめなさいね」という形で終息するからです。安心安全に。結局戦争なんかする必要ない、という映画を作っていたのですが、コロナの前には映画は完成していました。この映画を作ったということは、天が後で意味付けをしてくれたんでしょうね。コロナがなくてこの映画をそのまま公開していたら、「ああそうね」で終わっていたかもしれません。これから観てくださる方は、そのことを心に刻まれるように感じるんじゃないかと思います。
●改めまして、映画を待っている子供たちへメッセージをお願いします!
子供たちへのメッセージは、自分の体験も含めた、たった一つですね、「世の中、自分の思うようにはならない」!どんなに苦しいことがこれから待っているか、大人や先生ははっきり言わないけど、生きていくのは相当大変。でもね、化けることができますよ!妖怪にはもちろん化けられないけれども、人間として、今のあなたとは違うあなたに化けることができます。どこかで気が付きますよ。それはもしかしたら、妖怪たちと一緒にいろんなことをやっているところで、気が付くかもしれません。だから、観てほしいと思います!
(C) 2021『妖怪大戦争』ガーディアンズ
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