カレーが好きなんて思い込みじゃないですか?

  by nikolaschka  Tags :  

「嫌いな食べ物はカレーです」
というと、たいてい驚かれる。そして「なんで?」「味? 匂い?」「シチューやハヤシライスもダメなの?」と質問攻めに遭い、最終的には「あんなに美味しいのに」で締めくくられるのがパターンだ。

しかし待ってほしい。本当にカレーは美味しいのだろうか。そう思い込まされているだけではないだろうか。そう……大多数の日本人は言わばカレーに“洗脳”されているのではないだろうか。

日本人の大多数は子どもの頃からカレーを食べている。母親が作るからだ。母親は何故カレーを頻繁に作るのか。作るのが楽で、しかも作り置きできるからだ。
もちろん本格的に作ろうと思ったら何にしてもそうだと思うが、カレーいえども侮れない。スパイスに凝ってみたり隠し味を研究したり材料を吟味したりと手間暇かかる。しかし、具材を煮込んで市販のルーを入れるだけのカレーでもそこそこの味になるのだという。

余談ではあるが、アフリカのある地域でボランティア活動をしている筆者の友人が現地でスパイスを入手しカレーを作ってみたところ、美味しいけれど何か物足りない、しまりがないと感じたらしい。そこで日本から送られてきたルーを加えてみたところ、見事に味がまとまったという話を聞いた。市販のルーは、それだけ品質が良いのだろう。

閑話休題。カレーは作るのが楽だからと献立に選ぶお母さんも少なくはないだろう。その結果、子どもの頃から親しんだ味としてカレーが美味しいものだと思い込んでいるのではないだろうか。
たとえば筆者は納豆が大好きなのだが、関西の多くの人は納豆が嫌いだという。匂いのキツさも味の独特さも、カレーと似たようなレベルだと思うのだが、やはり子どもの頃から親しんでいるか否かというのは大きいのではないだろうか。

しかし何故カレーなのか。作る手間ならハヤシライスでも良かったのではないだろうか。日本で作られるようになった時期は、どちらも明治時代で大差はないのに何故。
恐らくだが、カレーは好みによって辛さが変えられる点が評価されているのではないだろうか。子どもには甘口を、大人は辛口をといったふうに年齢によって味を変えることもできる。また、子どもたちは辛口カレーを“大人の味”と認識し、辛口カレーを食べられる=大人の仲間入りというステータスを持つことができるのではないだろうか。『おとなのふりかけ』と同様の特別感である。

そういった諸もろの事情からお母さんたちはカレーを作り、子どもたちに食べさせる。子どもたちは幼い頃からカレーに親しみ、いつしかカレーは美味しいものだと思い込む。そして大人になってカレーが好きだという思い込みと作る手間の楽さからカレーを作り、子どもたちに振る舞う。無限ループである。実にうまい仕組みだと言わざるを得ない。
さらに他者と関わると大体みんなカレー好きだということを知り、マジョリティでありたい人たちはますますカレー好きになっていく。

だが、カレーとて所詮は食べ物のひとつである(飲み物だという人もいたが、一応世間では食べ物と認識されているので割愛する)。好きな人もいれば嫌いな人もいて当然なのだ。
にも関わらず何故カレーが嫌いというだけで変人のような目で見られるのか。何故林間学校の飯盒炊爨(はんごうすいさん)は決まってカレーなのか。何故家庭科の調理実習はカレーなのか。
現在では給食に食べられないものが出た場合、無理に食べなくても良いとする学校が増えたそうだ。筆者の時代もそうであったなら、あんなに給食の時間をつらいと感じずにすんだのになぁ……と思わずにはいられない。

カレー好きだと公言している皆さんも、カレーが好きなんていうのは親子代々受け継がれてきた思い込みかもしれない、ということを念頭に置いて、一度まっさらな状態でカレーと向き合ってみてはいかがだろうか。
案外「そんなに好きじゃないんじゃないか」ということに気付くかもしれない。逆に「やっぱり好きだ! 毎日カレーの海で溺れたい!」と再認識するだけかもしれないけれど。

画像:足成より引用
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