音楽業界も、違法ダウンロードの刑事罰化が現実味を帯びてきた、或はネットの配信ビジネスがほぼ行き詰まってしまった、はたまたオリコンデイリー3位の売り上げがたったの700枚、というような、気がつけば暗いニュースばかりになってしまいました。
原因や理由は、色んな事が言われております。2chなんか眺めていると、「90年代は皆が買ってたから買ってただけで、音楽そのものに興味のある奴は、昔からそんな多くなかった」という意見をチラホラ見掛けるのですけど、割と的を得ていると思いました。80〜90年代の音楽マーケットの売り上げは、僕も以前に書きましたけど、生きていく拠り所として集団に対する依存心を持つことを社会通念として強要されていた環境が、とても大きく影響していたと思うのです。80〜90年代にその社会通念に適応した人達は、横の繋がりを確認し合う需要を、同じ消費行動をお互いでとり合うことで満たしてきたのです。
2000年代に入って、経済が衰退し始め、今まで容認されてきた集団の持つ非効率的なコストの部分が容認できないようになってくると、やがて集団に依存しない自立した“個”が求められるようになり、全体で横のつながりを確認し合う消費行動が需要として縮小する方向になった流れの中、音楽業界はネット上の不正なコピーに対する対処の仕方を間違えたり、或はリーマンショックに見舞われたり(あんまり関係ないか…)、色々な要素が交錯しながら売り上げをどんどん落としていったでしょうか。
そして社会の中で横のつながりを確認し合うものは、“皆と同じ”消費行動にとって代わり、ネット上の無料ソーシャルメディアに移っていきました。ただ、このソーシャルメディアの横のつながりは、80〜90年代のようにただ全体として呼応していこうとするだけの方向とは異なり、その中で個の力を確認し合う性質を持ってるものが発展し、それは80〜90年代にあった横のつながりとは、かなり景色の違う形のものが勢力を伸ばしていったように思います。
そんなソーシャルメディアの課金モデルの成功例として取り上げられるのがソーシャルゲームの課金方法ですが、個人の見栄と欲望にコミットするその課金方法は、道徳的には非難の対象となるケースもあるものの、それは明らかに横の繋がりの中で個の力を確認するアイテムとして機能しており、それは間違いなく今の個の力を求める社会の需要とリンクしたシステムと言えるのだと思うのです。
商売は、結局社会の需要を満たして成立するものですから、今は横のつながりの中で個の力を確認するセンスと何かしらコミットしていかない限り、例え音楽であっても、それを社会の中で商売として成り立たせるのは難しい、ということなのではないでしょうか。
それがどんな形に、或はどんな媒体のどんな仕組みの中で可能になっていくのか、業界としては一部(AKB等)を除いて何も見出せないまま暗中模索の状態がずっと続いている訳ですが、既存メディアの衰退が顕著である以上、ネット上のソーシャルメディアの中でその可能性を探ってみることは、どうしても必要だと思うのです。現状、社会の中で他に横のつながりの需要を満たすものが、ソーシャルメディア以外にないのです。そして、今あるメジャーなソーシャルメディアの中で、音楽ビジネスとしては何が有効なのかを考えていく必要があると思うのです。更に、単に商売としての可能性ではなく、新人さんが出て来れる環境、という部分に特化すれば、選択肢は本当に限られてしまうのではないでしょうか。
以下、今のメジャーなソーシャルメディアの中での音楽ビジネスの有効性を考えてみます。
1:アメーバピグは、アレは結局ファンの人との距離が近くなり過ぎて、演者とお客さんの関係を築いていくツールとしては不向き、という結論になるかもしれません。コアなファンには限度を超えたセンスの人が、どうしてもいますから…。ただ、利用した人が横のつながりの中で個の力を確認し合えるアイテムとしての機能は、充分果たせるものなので、あくまで演者とお客さんの関係性には向かない、ということだけだと思います。
2:日本のFacebookは人を茶化したり、下ネタだったり、が厳禁で、しかも鍛えられていない人の顔色を伺わないといけない空気に支配されていますから、その土壌そのものが音楽には適していないと思います。音楽は、人を茶化したり下ネタだったり、或は鍛えられていないヤツは鍛え直して来い、の要素の全てをなくしてしまうと、表現としたら無味乾燥なことにしかなっていかないのです。言葉で説明するのは難しいですけど。あれではこれからの音楽は育たないと思うのです。海外は分かりませんが、少なくとも日本のFacebookに関しては、これからの音楽業界が新人を展開させる場所としては、不向きだと思われます。
3:mixiは、コミュニティーが固定化してしまい、コミュニティーそのものにあまり流動性が見られませんので、もはや新規の横のつながりを作れる場所でなくなってしまった所が、難しいと思います。何より個の力を確認し合える空気が希薄な所が、過去の習慣を守る場所としての役割を担っていると思うのです。
4:Twitterは、芽があると思います。個の力を確認し合える仕組みも、ちゃんと含まれています。ただ、扱える情報量が限られていますので、既に有名な人にとっては使い出のある武器になるのですけど、これからの新人さんにとって、主戦場にはなり得ないと思います。主戦場は他にあって、その補填的な役割になっていくと思います。
5:だからniconico(ニコニコ動画)なんです。新規の横のつながりを作れる機能を持っていて、下ネタOK、茶化し合いOK、鍛えられていない底辺は這い上がれ、のセンスがある、という今の日本で唯一のソーシャルメディアなのです。消去法かもしれませんが、今の日本で音楽で新人さんが出て来れる土壌を持ったソーシャルメディアはだからツイッターとniconico、と筆者は考えています。何よりボカロの文化が、個の力を確認し合えるセンスをベースしている所で、社会の需要を捉えていると思うのです。
niconicoの唯一にして最大の問題は、作品の技術力の低さにあります。DTM技術の未熟さ、歌唱、演奏技術の未熟さ、動画編集の未熟さ。色々なことの技術の要素がまだまだ子供のお遊びレベル故に、一般の人達が感情移入するのは、とても難しい状況にあったりすると思います。ただ、その未熟さを大目に見ると、作品のコアになっている表現の部分は、今の業界では確実にボツにされてしまうであろう、だけど中身としては面白い表現が、間違いなく埋もれていたりするのです。もちろん、それは数多の底なしにレベルの低い音楽に紛れていますし、それを慣れない人が見つけ出すのは、ほぼ不可能です。でも発想がない所で技術だけが高いのが今の音楽業界だということを考えれば、その逆の発想はあるけれど技術が未熟、という所の将来性は高く見積もっても良い気はするのです。技術を進歩させる事は、発想を持たせることより何倍も簡単なのですから。
この状況は80年代のビジュアル系の黎明期に良く似ていると思います。