日本学生支援機構が悪でなければならない理由

  by アルナオ  Tags :  

学生支援機構のトップが奨学金制度を批判する報道が多いことに反論する形で語る記事が出ました(東洋経済オンライン1月28日)。
言いたいことは「奨学金の貸与を受けるのは自由」だからその結果も本人の責任ということのようです。言っていることが無茶苦茶です。そもそも未成年者に「完全な自由」は認められていないのですから。

学生支援機構は不都合があると弱者に押し付けて蓋をしてしまうという日本の悪い部分が凝縮されています。貸与型の奨学金の利点として、より多くの借りたい人が借りれるというものがありますが、借りたいのは「親」であって「学生」ではないことを無視しているのが最大の問題になります。

私が最初奨学金を「借りた」のは高校生の時です。その審査は中学生の時にあるので、15歳にして大きなリスクがある契約をする決断をしたことになります。はっきり言って勉強なんかしたくなかったのです。何かを学ぶことは嫌いではありませんが、学校の勉強は嫌いでした。学生支援機構のトップの言い分では、この15歳の段階で拒否すべきということなのでしょうが、どうやって親や教師に反抗すれば良かったのでしょうか?教えて欲しいところです。

借りたら返さなければならないので嫌だという主張はしたのですが、返すころにはインフレでお金の価値が低くなっているから借りた時より少なく返すことになるし、教師になれば返済を免除してもらえるとの説明にはさすがに反論しきれなかったのです。時代がバブルに差し掛かったころで、就職できないなんて誰も考えていないのもありましたし、返済免除規定がなくなるのも想定外でした。

本来景気によるリスクは学生が負うものではなく、政府が負うもののはずです。学生が数年後の経済状況を予測できるはずありませんし、リスクを分散することもできません。政府なら景気を予測していますし、リスクを分散することもできるはずです。政府の無策の責任を学生が負うのはあまりに筋が通らない話です。

学生支援機構のトップが、「不況のツケは誰かが払わなければならないから、借りた人が払え」と言うなら納得できます。弱肉強食の世の中で負け組みになれば辛い思いをするのは当たり前ですし、学生支援機構には死んだら返済が免除されるという規定もあります。判断能力も完全な自由もない時期に押し付けられたことを自己責任と言うなら悪と呼ぶしかありません。

結局タテマエの部分が「自己責任」という最も厳しい言い方になってしまって、ホンネの「弱肉強食」の方が納得できてしまうのが問題なのでしょう。「弱肉強食」は強者の糧になれる分まだ救いがあります。何の救いもない「自己責任」以外のタテマエを考えて頂けるまで、学生支援機構には悪で居続けていて欲しいものです。

何でもかんでも競馬に例えてしまうのが悪い癖なので、競馬は門外漢という皆様には読みにくいかもしれません。逆に競馬好きの皆様は法律経済のあたりがわかりやすくなるかも?