誰にだって、忘れられない恋がある。
恋愛のカタチが自由化した現代日本において、“忘れられない恋”というものは今や現代病のようになっている。
失恋の切なさや恋の儚さを歌う曲はヒットし、純愛を描く映画は多くの共感を受けヒットする。
恋に溺れている時は頭の中にお花畑が広がり、世界は鮮やかに彩られまるでこの世界には幸せしかないように感じることもあるだろう。
しかし恋に破れた時にはその世界が荒廃し、まるでこの世界には自分しかいないような気さえしてくる。
そんな荒廃した世界を再び元に取り戻す為には今までの恋を忘れることが必須なのだが、最近ではその“恋の忘れ方”が難しくなってきているように感じる。
現代日本の恋には今までのような“心理的距離”以外に、“物理的距離”が常に付きまとうからだ。
【恋の距離には大きく二種類ある】
前述の“心理的距離”と“物理的距離”については、説明が必要だろう。
まず、“心理的距離”について。
これは言わずもがなだが、“お互いの心の距離”の事を表す。
付き合っている時は近いし、そうじゃない時は遠い。恋が生まれるのも終わるのも、全てはこの“心理的距離”が判断基準と言っていいだろう。
そのままだんだん心理的距離が遠くなって超遠距離になると、きっと恋を忘れられる。
忘れることのできた恋というのは、自分の中で相手に対する心理的距離が遠くなったからこその産物なのだ。
だから当然、“振られた”方よりも“振った”側の方がその恋を忘れられるのは早い。
“振った側”の相手に対する心理的距離は既に遠い位置にあり、“振られた”側の心理的距離はまだ近い所にあるからだ。
でもいつか、“振られた側”にも恋を忘れるタイミングが来る。それはこれから述べる“物理的距離”が遠くなったことによって、“心理的距離”を遠くすることが可能になるからだ。
“物理的距離”の離し方
恋の“物理的距離”、これは“相手との実距離”を表す。
付き合っている時は常に繋いでいた手だったり、離れていてもまるで傍にいるかのように受話器から聞こえる声だったり。
“物理的距離”を、“相手とすぐにコミュニケーションを取ることのできる手段の多さ”と変換してみよう。
多くの場合この“物理的距離”は、上記の“心理的距離”を近くにしておくにあたって、とても重要なものであることは経験上納得いく人も多いのではないだろうか。
10年前であれば、携帯電話に登録されている電話番号を消去してしまえば“物理的距離”をいとも簡単に離すことができた。
街で偶然出会ったりしない限り、相手の顔を見ることも声を聞くこともなくなるので必然的に“物理的距離”が遠くなり、“物理的距離”の遠くなった“心理的距離”は、まるで糸の切れた凧のように遠くなっていく。
だが最近では、時代の進化と共に登場したした“SNS”という存在がそれを邪魔する。
mixi、グリー、モバゲー、ameba、Twitter、そしてfacebook……。
生活していくにあたって、ごく普通に接するこれらのSNSが、自然とかつての恋人との“物理的距離”を縮めてしまう。
もちろんこれらのつながりを削除したらいいだけの話なのだが、その行動を“心理的距離”が近いうちは邪魔してしまい、なかなか実行に移せない。
相手は離れているのに、こっちはいつまでも繋がった気でいたいのだ。
そういった“物理的距離”の近いところで元恋人の言動が目に付くことによって、いつまでたっても“物理的距離”が離れないから“心理的距離”も長いこと離れないのだ。
恋の上手な終わらせ方、それは現代社会における“物理的距離”が近くなる要因を“全て”取っ払うことだ。
友人に協力してもらってもいい。とにかく全ての“つながり”を消去しよう。
忘れられない恋を忘れていくうちに、人は成長していくと思う。
いつまでも開かない窓をぼんやり眺めているより、後ろにある扉から飛び出していった方が忘れられるよ。恋。